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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

飛翔の軌跡

2010-06-27 | 日記

やはり梅雨蛍の季節
友人から「蛍がいっぱい居たんだよ!」と聞いて、私の心は即決まった。「行こう!と。
昨日快晴ではなかったが、出かけることにした。
かつては野迫川まで出かけ、蛍の飛び交うソレはソレは素晴しい夢のような幻想の世界に浸って大満足した年があったっけ。帰り、真っ暗で見えない山道を間違って(ナビが未だ発明されていなかった時代)ドンドン山の中に入ってしまい、細い細いくねくね道を走りに走って山1つ越え、和歌山の橋本に辿りついた思い出が蘇ってきた。
出かける前、彼が「カメラは?」と言うので、なんて感性の乏しい人なんだろう・・・
と思った。が、逆らわなかった。花火を観に行く時は、何をさておき先ずカメラを握る私なんだから。人様々なんだと。。。。。
蛍は午後8時くらいが一番多く飛び交う時間帯だというので、7時49分スタンバイ!幸い雨は降っていなかったが、いつ降り出すかは怪しい。今か今かと待ちに待った。突然、川の一点が光った!「あっ 光った光った! あそこ あそこ!あそこ観て!」 とても嬉しかった。しばらくすると、あちらでもこちらでも光り出した。そして暗闇の中をスゥ~と飛翔した。
彼は1匹の蛍を私の掌に乗せてくれた。ポッ ポッ ポッと柔らかい光を放ってしばらく止っていてくれたが、停まる所を間違えたことに気付いた蛍はやがて飛び去った。「ありがとう!さようなら。。。」蛍との一期一会であった・・・・・

結局のところ、40~50匹というところで以前に見た景色とは違ったが、こちらが普通で、これも又心に浸みる風情があった。
昔私が子どもの頃は、川があれば何処ででも観る事が出来たのに、農薬散布でほとんど居なくなり、今漸く環境が改善され始め戻って来た蛍である。いつまでもきれいな小川でありますように。

梅の香りに魅せられて

2010-06-26 | 日記

梅雨、毎年この時期になると「梅干し漬け」に迷う。
今年はどうしようか・・・・・と。 1つ1つ優しく丁寧に梅を洗い、爪楊枝でヘタをとる。
短気で不器用な私には、この作業が大変である。
梅のピンク・黄・うす緑のなんとも言えないきれいな色と香りに魅せられて、「やっぱり漬けよう!」と決心するのである


今年はなんと10kg。洗い上げた梅の量に我ながらびっくり!「ばあちゃんの梅干しはおいしいよ」と言ってくれた可愛い5歳の孫・大志君に送りたい。
カビが発生しないようにしっかりと気を付けねば。。。
さあ~明日から頑張るぞ!!



小さな幸せ

2010-06-25 | 日記
        


日記をその日の内に毎夜きっちり書くことはなかなかむずかしい。
きょうは、6月21日の朝、嬉しくて写真だけを撮っておいた朝顔とニガウリの話を投稿しよう。

写真(左)は先月の5月8日に植えた小さな苗が大きくなって、花を咲かせ、実らしきものを付けているニガウリである!初めて花を咲かせたのは6月5日。私は小さい黄色い花を見つけたその日も感動したのを覚えている。
写真のは6月21日の未だ2・3日前に咲いたばかりの花かと思うが、ついにココまで成長したのである。花が萎れてから実が出来るのだと想っていたのに・・・・・  兎に角、うれしい。感動! 

そして偶然ながら、時を同じくして朝顔も1輪咲いた!
コレを植えた彼が朝から「咲いた~!!!」と歓声をあげたのである。確か5月の末に苗を植えたはず・・・・・それに朝顔は7月・8月に咲く花ではなかったかナ??  なんて優しい(私のような)きれいな(私でない)1輪であることよ!


ポンペイ遺跡

2010-06-04 | 日記
今日も気持ちのいい五月晴れ、そして私にはゆっくり出来る『花の金曜日』!
イタリアアルバム第2巻が完成したので、その中の1ページ・「ポンペイ遺跡」でのお気に入り画像を投稿しておこう。
                    

その昔、ローマの植民地であったポンペイは、西暦79年8月24日に大噴火したヴェスヴィオ山の火山灰にすっぽり埋められ、その後復興ならず、1748年農耕地から発見された大理石像によって本格的な発掘が始まったという。灰の中なので遺跡の保存状態が大変良かったらしい。

   ↓ コレはアリーナ門
      左側は専用で 右側は馬車専用 
                       

   
  道路はこのように→
      整備され   
      横断歩道の凹の部分は馬車が通れる幅になっているということである。
      夜の歩行の為に白い光る石・猫目石が埋め込まれていた。驚いた!


   次は書物で聞き覚えのある神殿:1つはアポロ神殿(左)で、
         もう1つ(右)はヴエスヴィオ山を背景に建っていたジュピター神殿である。
                 


    ↓ これは裁判など行われた司法の場・バシリカ。
              裁判官の座っている姿を想像している二人かな?
            


 上流階級の食堂の壁画の前に、見るも痛々しい人型石膏像が二体置かれていた。
当時街の人口は1万人余りで、逃げ遅れた約2000人が犠牲になったそうである。毒ガスでその場に倒れた人の上に火山灰が降り積もり、いつしか肉体は腐り無くなることによって出来たその人形の空洞に石膏を流し込んで造られたという。腰のベルトは彼が奴隷であったことの証しであるらしい。   
      
       

                       


  ↓コレはカリゴラの門。 門の向こうにヴェスヴィオ山が見え、偶然ながら(笑)の
ナイスショットで私は特に気に入っている。 
    


 ポンペイ遺跡は神殿ばかりではなく、人々の日常生活が見れるので親近感を覚え
楽しめた。これはフォロの浴場:男湯の天井壁画である。↙
                     


  日常生活といえばこんな画像も撮れた:

        (左)パン屋さん          (右) 居酒屋さん
      
  こんな立派な石籠で焼いたパン 
 食べてみたいな~
                           
                        
                        先ほどのフォロには男湯だけではなく勿論女湯もある。
                       中庭もあり、ソコではスポーツを楽しんだたという。
                       丁度、今のフィットネスクラブのようなのかな。
                       人々はスポーツを楽しんだ後、お風呂に入り、帰りには
                       この居酒屋に立ち寄って、飲んで歌って世間話に興じた
                       ていたのだろう ・・・・・                     

        ナポリは海に面し海洋貿易で栄えていたというからポンペイの
       人々の生活は豊かだったようである。


 このブログを開いてくださった方には、読むのにそろそろお疲れのことかと。。。。。
私も疲れてきた。もう1枚で終りとしよう。 
                   
                              ↑これはオデオン座という小劇場である。


 2000年前、日本は縄文時代で狩猟の生活を
していたというのに、現代の我々と同じ生活が
営まれていたとは驚きで、本当に興味深い遺跡
であることよ!!

                                            おしまい