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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

恵みの雨

2013-06-15 | 日記
午後から降り出した雨が私を蘇らせてくれた。
帰国してから再度の時差ボケと喉の痛みと咳に、細心の注意を払って身体を労わってきたこの一週間。ようやく感覚が戻ってきて元の生活が出来そうになってきた。もしこの旅行がもう一日長かったら、今頃お医者さん通いで寝込んでいたかもしれない。完璧に戻るまでには後2・3日はかかりそうだけど。。。。。
それでもお土産に買って帰った生の青いビスタチオロクムで毎日ワインを飲んでいると旅の余韻が伝わって楽しい気分になれたよ。

この雨、私を喜ばせてくれたのにはもう1つの理由があった。先日トユ屋さんにこんな物(右写真)を作ってもらっていたのだ。長年ほったらかしの昔々の「垂れ壺」と言う壺を雨受け壺に変身させたのである。バケツに入れて運んでいた植木鉢の水やりがこれで楽になりそう。楽しくなりそう。何よりお邪魔虫が解決出来て嬉しいなぁ~。側にカエルを置いてみた。なかなかいけるじゃぁない!(笑) と自己満足して、貯まった水に杓を入れてみた。
不要な水は排水溝に流せるようお願いしたので、そこがプロの仕様で有難い。
雨の日が待ち遠しい今日この頃である。

メダカが大きくなっているのにびっくりした。
お腹に卵を付けたヒメダカを見つけ別の容器に移して、ペットショップで買ったメダカの藻を入れ産卵を待ちに待っていたある日(5/14)、藻に付いた丸い物を発見!喜んで急いでカメラに収めて拡大した。それから何日か経って極々小さいメダカの赤ちゃんを確認していたのである。その赤ちゃんが大きくなっていたのだ。毎日見ていなかったら、特にそう感じるのかもしれないけれど。。。。。

今日はもう一つ嬉しい発見。サフランに似たこの花(川の堤防で雑草に埋まって咲いていたもの)が咲いたのに感激!ホントの名前は何なんだろう?トルコのサフランボルで買った紫サフランを早く植えよう~と。
ついでに今年咲いた水連の花も投稿しておこう。
       

エジプト&トルコへ(下)

2013-06-14 | 日記
旅の12日目、イスタンブールの地下鉄に乗ってテュネル広場駅下車、イスティクラル通りを散策してから後の観光日記を続けよう。

イスタンブール新市街のランドマーク、石の塔・ガラタ塔に登った。8階まではエレベータそしてもう1階を階段で登って9階へ。ボスフォラス海峡を挟んでイスタンブールの新旧両方の市街を眺めることが出来た。素晴らしい眺めだ。写真は左からトプカプ宮殿(明日観光予定)、アヤソフィア、ブルーモスクそしてガラタ橋が1枚の絵に収まって感動!ガラタ橋を見ると下層の中央部分は船が通れるようになっているのがよく解る。
       (画像はクリックすると拡大する)

エジプシャンバザール」(旧市街)に移動。
こちらはグランドバザールよりも後に出来た市場だそうだ。スパイスのお店が多く店先にうず高く盛られているスパイスの山にびっくりした。
ふと見ると可愛い子供が美味しそうにお菓子を食べていた。それを見て私も急に食べたくなった。“いやしんぼう”ながら買ったよ。食べたよ。美味しかったよ。そしてその可愛い兄妹と一緒に写真を撮らせてもらった。祖父なる老紳士はそれを快諾して下さりありがとうございました。
バザール内ではスリや置き引きに注意ということで、教えられた通りバッグに手を添えて歩いていたが、この時は忘れていたかも?(笑)

夜の8時、「民族舞踊とヴェリーダンスショウ」を観に行く。
本場のヴェリーダンスなるものを一目見ておきたかったのだ。腰の動きを一目観て納得すると、後半は昼間の疲れでついうとうとしてしまった。惜しいことをしたよ。(笑) このオプションに参加したのはたった3人、松ちゃんも眠っていたね。
ホテルに戻ったのは夜11時、日本から持って来たお粥と梅干しを食べアリナミンを1錠飲んで、目覚し時計を5時にセットしてベッドに入った。


★旅の13日目、いよいよトルコ観光最終日。
早朝近くの公園を散歩した。野良猫がベンチを我が物顔で占領してこちらを見ている。トルコは何処へ行っても猫だらけ。猫嫌いの私だが、トルコに猫が多いのも旅の思い出になるだろうと、横を向きながらシャッターを押してみた。(笑)

トルコの案内人さんと毎朝交わすトルコ語、ギュナイドゥン(おはよう)そして メルハバ(こんにちわ)を使うのも今日限り。元気に挨拶をしてイスタンブール最後の観光となるトプカプ宮殿に向かった。
15世紀~19世紀の中頃までオスマン帝国の皇帝が住んでいたという世界遺産トプカプ宮殿、今は博物館になっている。第一の門前には銃を握る警備員が居て厳重な警戒である。第二の門をくぐると広い庭園が広がり、「謁見(えっけん)の間」であった装飾華麗な部屋があった。又宝物館にはその価値推測不可能な貴重な宝石類が沢山展示されていた。中でも特に、柄に3つの大きなエメラルドをはめ込んだ短剣や86カラットのダイヤモンドは必見だ。別の宗教遺物の展示室ではモーゼの杖等を観た。
        
  
そうそう移動中のバス車窓から一瞬見えたヴァレンス水道橋も私の記憶に残っている。
378年に完成し、郊外の森の湧水を宮殿や地下貯水池に運んでいたという。高さ20mで長さは800m、昔は1km程あったというから凄い橋だ。

ここで興味深い実話を書いておこう。トルコ国民が日本人に好意的な理由の1つには明治時代にこんな出来事があったという。
1890年(明治23年)トルコのエルトゥールル号が日本へ親善渡航をして帰る途中、台風に遭って和歌山県串本町の樫野崎で遭難した。当時の大島島民たちは不眠不休で救助活動にあたり、明治天皇日本政府は亡くなった人達587人を慰霊し、生き残った69人に手厚い治療を施して、2隻の軍艦・「比叡」と「金剛」に乗せて本国に無事送り届けたというのである。その歴史的経緯が今もトルコ人の心に生きているのだと案内人さんが話してくれた。

いよいよトルコとお別れの時が来た。
午後6時35分、トルコ空港からMS-736機でエジプト・カイロに飛んだ。約1時間で到着。日本との時差-7時間。トルコ時間に+1時間、時計の針を調整した。
トルコから携帯電話で日本に電話をしたのはトルコ時間で午後3時、日本で家族が目覚めている午前9時であった。ついでながら料金は1分間280円也。エジプトからは圏外表示で掛からなかったのは何故?。。。



さてエジプトでの観光箇所をたどっておこう。
先ずはカイロからバス移動して午後7時半ギザに着いた。この時間ギザは未だ明かるかった。信号の無い広い道路は人も車もロバも好きなように動いていて、先を急ぐドライバーさんの荒い運転は急ストップ&急発進の繰り返しが続いた。おまけに廃棄ガスで汚れた空気が車内に充満してさすがに気分が悪くなった私、もう限界かなと思った時、幸いにもホテルに到着。やれやれとハンカチで口をふさぎながらソファに腰を降ろした。部屋に入るとホッとするかと思いきや部屋の匂いとお風呂のタブに落ちる水の色にがっくり。でもこれがエジプトなんだ、お国柄を味わわなければと気持ちをなだめた。

★翌朝キャりーバッグをドアの前に出してポータさんを待っていると、1人の男性が側に来て花の咲く草花を2本差し出してくれた。意味が解らないまま「ありがとう。」と言って受け取ったその花はハーブのようで香り高かった。知らない土地で知らない人から突然手渡された花は言葉が通じないだけにちょっと・・・と思って、部屋に残してきたよ。「日本人は花に興味を持ちますがエジプト人は花には全く興味はありません。石の文化を育てて来たエジプト人は石にのみ興味があるのです。」と案内人さんから聞いていたので、あれは観光客を歓迎する気持ちだったのか危険物だったのか未だに不可解な思い出となってしまった・・・・・


ピラミッドは砂漠のど真ん中に在るのだと想像していたが、ギザの街の中、広い台地に在った。
ピラミッド建築の頂点とされる巨大ピラミッドクフ王のピラミッド内部に入った。1日300名限定だそうだ。小さい穴から入り急な梯子階段をかがみながら登って行くと、はぁはぁ息苦しくて心臓がトクトク動く。汗がにじんでくる。が、ゆっくり拭うゆとりは無い。皆んな一生懸命足を持ち上げ頑張った。そしてついに天辺の玄室に置かれている石棺の前に立つことが出来た。皆んな汗を拭きながら妙な達成感に包まれて感動している様子。
クフ王のお墓として紀元前2540年頃に20年以上かけて造られたと考えられているが、今から4500年以上経つわけだ。高さは本来146mだったのが、頂上部が欠け今は137mだとか。写真に写る人と1つの石を比べると解るように積み上げられている1つ1つの石も実に巨大だし、どのような計算でこれ程までに凄い四角錐が出来たのか。クフ王の巨大な石棺がどのようにしてこんな高い所まで運ばれたのか、何もかも不可解で未だ誰も解らない謎らしい。

ピラミッドは3つ並んで建っている。これらがエジプト三大ピラミッドであり、クフ王のピラミッドとその子どものカフラー王のピラミッドとその子どものメンカウラー王のピラミッドである。
それぞれ第一、第二、第三とするなら、第二のカフラー王のピラミッドは第一よりも1mだけ低いそうだ。保存状態が良くて、天辺には化粧石が残っている。最も小さいメンカウラ-王のピラミッドは高さ66m、大きさではクフ王の10分の1位だそうで可愛く感じた。
        

気温は42度、足元からふわぁ~と熱風が吹きあがってくる。うわぁ~と思わず足を上げて背伸びをする。強い日差しに暑い暑いと言いながらも私達は写真を撮りまくった。彼はピラミッドの先端をつまんでポーズをしたが、ちょっとずれてしまったよ。(笑)
写真では第二ピラミッドが一番大きく見えるが、右端の第一ピラミッド・クフ王の方が大きいよ。
3つのピラミッドを背景にラクダに乗って皆んな大はしゃぎをしていたなぁ。
          

この台地は世界最大の砂漠・サハラ砂漠へと広がっていくわけだが、エジプトの案内人さんが意外な事を教えて下さった。サハラとはアラビア語で砂漠と言う意味の言葉なので日本語の「サハラ砂漠」は「砂漠砂漠」になるんですよ(笑)と。・・・そう言われても日本人にはこれで地図が解るし落ち着くよナ。

それから第二ピラミッドの葬祭殿から長い参道が続いているエジプトで最大・最古の大スフィンクスの前に来た。顔はカフラー王、身体はライオン。カフラー王の墓の守護の為に造られたとも考えられているが、諸説があるようで真相は解らないらしい。
スフィンクスの正面に立つと背景に第二ピラミッドが在って、壮観だ。でも参道を歩きながら斜め横から眺めるのもいい感じ!鼻は欠け、あごひげは落ちて無い(破片はカイロ博物館とイギリスの大英博物館に保存されているらしい)のがよく解る。
横顔を観ているとふとスイスのユングフラウヨッホのスフィンクスを思い出した。雪山のスフィンクスを見ながら本当のスフィンクスを観たいなぁと思っていたのだった。念願叶い、今、目の前に在ることに感激しながら眺めた。
スフィンクスが足の間に挟んでいる「夢の碑」と言われる碑には何が書いてあるのだろう。
                河岸神殿(すぐ横に建っている)に入った。湖岸神殿の中は巨大な石の壁と四角い柱が並んでいるだけであったが、その石は王様の神殿ならではのとてつもなく大きい迫力ある石だった。
この神殿の中で遺体のミイラが造られ、参道を通りピラミッド前に在る葬祭殿に運ばれ、それからピラミッドの中に納められるそうである。王様って本当に凄いんだ!!!・・・・・


ギザから南へ約10km、サッカラに移動。
世界最古のピラミッドとも言われるジョセル王の「階段ピラミッド」がある。このピラミッドはギザより100年ほど前に造られていたらしい。数えてみると6段で、底辺は正方形ではなく長方形のようだ。
葬祭神殿に入ると石の円柱がずらりと並ぶ回廊があった。説明を聞いて神殿の地下を覘くと埋葬品を埋める為の2つの穴の物凄い仕組みがあった・・・・・

サッカラから更に南へ、メンフィスに来た。
館の中にラムセス2世の石の巨像がどーんと横たわっていた。これは今は無きプタハ神殿の門前に立っていたと考えられている。
そして庭にはアラバスター(大理石の一種)製のスフィンクスがあった。全長約8m、高さ4.25m、重さ約8oトンだそうだ。


次はダハシュールに来て、「赤のピラミッド」と「屈折ピラミッド」を観た。
赤のピラミッド」はクフ王の父・スネフェル王が建てたもので高さにして104.4m、カフラー王のピラミッドに次いで3番目に大きいそうである。
三角形の面がきれいな二等辺三角形になっている事と、使われている石灰岩の色がやや赤みを帯びているのが特徴らしい。1つ1つの石の大きさは他のピラミッドに比べて小さいようで、全体として私にはすっきりとして優雅に見えた。私達が観た方角には入り口はなかったが、話では入り口迄の距離が大変長く、内部の階段はクフ王のよりしんどいそうだ。ひぇ~~。
           1km程離れて南に在る高さ101mの「屈折ピラミッド」、これもスネフェル王のピラミッドだという。辺の途中から傾斜角度が変わっているのが解る。崩壊を避ける為に54度から43度に変更されているそうだが、そういえば後に造られた「赤のピラミッド」の傾斜角度が43度というのが納得できるよなぁ~。
ピラミッドの謎はいろいろ有れど、昔々のその昔これ程までに巨大な建造物を人間がどのような手段を使って造り上げたのか永遠に不可解で、世の学者さん方には永遠のロマンなのであろう・・・・・
   

エジプト観光はピラミッドばかりではなく、香水のお店やパピルスのお店にも行っが、一刻も早くお風呂に入って砂を落としたい気持ちでいっぱいだった私は製品の説明は上の空だった。
「生水と野菜・果物サラダは口にしない」を守っていたが、完熟の新鮮なマンゴー生ジュースは大丈夫と聞いて飲んでみた。とびっきりの美味しさで2杯飲んだ。何といっても鮮度が違うので日本ではこれ程美味しいのは絶対に作れないものネ。満足!

ツアー専属の警官同乗のエジプトバスツアーも無事終了。エジプトのお国を体感して思うのは小さい子供達も一生懸命働いている姿が目に残る。私が乗ったロバを曳いていたのも親方と一緒に来た少年だったし、何処の観光地にも小さい売り子さんが沢山いて声を掛けてきた。首を振って“No money.”と応えながら私は彼等の顔を見ることが出来なかった・・・・・
案内人さんが言っていた、「これからのエジプトは変わるでしょう。いつか又きっとエジプトに来てください!」と。2年前の革命であの子供達に違う日常が訪れて来てほしい。地理的・気候的には厳しく砂嵐で景色がかすむ瞬間もあったけれど、世界に誇る偉大な文化遺産観光には大満足のエジプトだった。


そしてカイロ発23時05分、エジプト航空で帰路に発つ。
★翌日6月9日、日本時間午後4時50分、関空に無事着陸の車輪音を聞いた。パイロットアナウンスによると貿易風の追い風に乗ったのでなんと11時間で帰れたそうだ。「ありがとう ありがとう お疲れさまでした。」と皆んな心の中で叫んでいたに違いない。。。。。。。

思い出いっぱいの、私の人生最後の15日間海外旅行が無事終わった事に心から感謝して、この日記を閉じる。画像整理が追いつかず満足な投稿が叶わなかったのは残念ながら、ゆっくり時間をかけて別アルバムを作ろうと思う。
                             おしまい













エジプト&トルコへ(中)

2013-06-12 | 日記
15日間のトルコ&エジプト旅行の7日目。
トルコと言えば誰もが言い出す観光名所・世界遺産カッパドキヤに来て昼食を済ませ、午後からはカイマクル地下都市の見学となった。

地下8階まであるというこのカイマクルは紀元前ローマ帝国の迫害から逃れ住んだ初期のキリスト教徒・ヒッタイトによって造られたと考えられている。
階段や坂で幾つもの部屋を繋ぐ迷路のような通路は大変狭く、暗く、天井の高さも低くほとんどかがんで歩かなければならなかった。明かりはどうしていたのだろう。暗くても辿る道筋は感覚が覚えていたのだろうか。
薄暗い中をきよろきょろ見回しながら前進するのだが、45名の団体なので案内人さんの説明が聞こえたり聞こえなかったりの状態で、兎に角迷子にならないようにと先を急がねばならなかった。
十字架らしき浮彫りが残る教会やぶどうを絞り落とした穴のあるワイナリーそれに貯蔵庫他いろんな部屋があった。壁の岩がすすけている台所らしき所にはすり鉢代わりと考えられている大きな石が残っていた。空気抗は造られていたがそれでも火を焚くと穴の中は酸欠状態になるだろうし、不思議いっぱいの空間構造に疑問は広がるばかりだった。

私達と入れ違いに入ってきたのはトルコの元気な子供達。社会見学らしい。写真を一緒にと一人の子供がぴたりと傍らに寄り沿ってくれて「はいポーズ!」。無機質な暗い穴の中での緊張が解れた、思いがけない楽しい瞬間であった。


世界遺産カッパドキアのキノコのような形をした奇岩が林立する渓谷や谷は実に不思議な景観だ。
これらのキノコ岩は人工ではなく、固い岩と柔らかい岩が何億年もの長い間の風雪に浸食されて出来た自然の芸術作品である。3つのキノコ岩が寄り添って立つスリーシスターズ、ラクダの形をした岩デヴレンなど様々あった。この地方で最も高いところにある村・ウチヒサールを展望台から見た景色も忘れがたい。そして夕陽で真っ赤に染まるというローズバレーも素晴らしかった。
ふとアメリカのユタ州にある「ブライスキャニオン」を思い出した。奇岩が林立する広大な円形劇場のようなあの景色も水と風と氷が成した見事な自然の造形だ。気候と土の層が違えば違う奇岩を造るんだなぁ。。。。。

大きな岩のあちらこちらに空いている大小様々な穴は洞窟住居の入り口であったり、鳩の棲みかであったり、見るからに面白い。鳩の棲みかをわざわざ作ったのはワインの産地であるこの地方、鳩の糞をかき集めてブドウ栽培の肥料にしたそうだ。


★カッパドキア滞在2日目の朝5時~8時は自由行動で、私達数人は気球に乗って上空からパノラマを楽しんだ。気球飛行に雨はダメ風もダメということだが幸い飛んだ。
2月のエジプト・ルクソールで起きた墜落事故、そしてつい最近5月ここカッパドキアで起きた墜落事故で一旦は中止になっていたのが再開され、勇気?ある者が参加したのである。是非にと願う彼の念願が叶って彼は大喜びしていた。

気球は大気が温まると不都合なようで早朝に飛ばされる。朝4時半目覚ましが鳴った。送迎のバスで乗り場に来るといろんな国からの観光客でいっぱいだった。
熱風を吹き込まれてバルーンは次第に大きく膨らんで飛行準備OK!GO!サイン。うゎ~と歓声が上がる。
飛行遊覧は200m程高くあるいは岩すれすれ迄低く、1時間程ゆっくりと空中を飛びまわった。眼下一面にキノコ岩が広がっていた。人や車が小さく小さく見えた。遥か遠くの町並がマッチ箱の山のように見えた。山の斜面に私達の気球の影がきれいに写った。青い空に浮かぶ数々の気球が素敵な絵になって何度も塗り替えられる。目の前の気球に手を振ると同じように返ってきた。素晴らしい眺めにカメラのシャッター音は鳴り続けていたね。

標高1200mの地上プラス200mで防寒の準備をしていたが、頭上のボイラーから時々燃え上がる炎の熱気で寒くなかった。
無事着陸後、同じ気球に乗り合わせたメンバー皆んな大興奮でシャンパンの乾杯があり、籠に飾られたお花が一輪ずつ配られた。異国の大地でお花一輪、どうしよう・・・
えっ?そのお花どうしたかって?迷ったけれど広い高原に捨て去るのはお花が可哀そうで、ホテルの自分の部屋に持ち帰りコップに入れたよ。連泊の洞窟ホテルはちょっと壁の匂いが気になっていたけれど、このお花のお陰で気分的に少し解消したよ。

ホテルのレストランで朝食を済ませ、9時半再びロビーに集合。これもオプションツアーで「ギョレメ野外博物館」観光に申し込んでいた。忙しい 忙しい。
古代ローマ時代のキリスト教徒がこのあたりの岩を掘り洞窟教会を造って信仰を守り続けたとされていて、ここには約30もの教会があるという。
その中で特に保存状態が良い11世紀頃の教会内を見学した。キリストや聖母マリアのフレスコ画がきれいに残っていた。イスラムの国に生きながら隠れキリシタンの人達はこうして敬虔な祈りを捧げていたのは感慨深い。
撮影禁止で写真は撮れなかったが、フレスコ画の絵葉書を一枚ゲット。スキャンしておこう。

洞窟レストランで昼食となり、マス料理を食べた。壺に入っているスープが順番に注がれ、いかにも洞窟レストランらしい感じがした。大豆が沢山のトマト味スープは私には忘れられない味で美味しかった。マスは松の実入りのご飯と一緒に一皿に盛られて出てきた。小骨が取り去り難くてちょっと苦手だったがなんとなく日本的でホッとした。


★旅の9日目、カッパドキアから240km離れたボアズカレ観光。
先ずは世界遺産ハットゥシャシュ遺跡に来た。
ここは標高1000mの台地に在って、紀元前18世紀頃古代ヒッタイト王国の首都だったそうだ。最近復元されたらしい城壁の一部もあったが、ごろごろと礎石だけの広い広い神殿跡を歩き回った。印象に残っているのは緑色したつるつるの石があって、生贄を捧げた石だとか。

少し離れてライオン門なる2重の門があった。三角形の石積みトンネルもあって真っ暗な中を歩いて通り抜けた。王の門では、レリーフの王様に向かって戦う戦士の気分で皆それぞれにポーズしてカメラに納まった。ボクシングのパンチ型3種、ストレート・フック・アッパーをそれぞれ試みた私、へっぴり腰が惜しいねぇ~と笑われてしまったけれど。(笑)

ヤズルカヤ遺跡にも行った。表面はただの岩場だが、これがそのまま神殿なのだ。
風化によって碑文は判別しがたいが、大岩にいろんな神様が浮彫りされているのはやっぱり凄い!と思う。


この日の泊りはアンカラ。トルコ共和国の首都はうっかりイスタンブールと言いそうになるがアンカラだよね。
折しもイスタンブール・タクシム広場で半政府デモが起きている。深刻化してここアンカラにも及んでいる様子。たまたまホテルの横を50人程の小さなデモ隊が国会議事堂の方へ進んで行った。デモは市民の憩いの場であるタクシム広場のゲジ公園を取り壊して商業ビルを建設するという政策に反対するものらしい。エルドアン首相が私欲を肥やそうとしていることに国民の怒りが込められているという。


★次の日は、世界遺産サフランボルへ。
オスマン帝国時代の情緒が残る隊商都市、シルクロードで繁栄した都市だったそうだ。フドゥルルックの丘からサフランボルのきれいな街がよく見渡せた。木と土壁で造られた家々、これがトルコ本来の家だそうだ。
そよ風に吹かれてチャイしながらベンチに座って一息、幸せ気分!

その後街中のチャルシュ広場に来て散策を楽しんだ。目の前のトルコ風呂が目印で石畳の狭い道を登っていくと、古い土塀や木枠の白壁造りの家など昔を偲ばせる家や隊商ホテルや教会等が在った。一方、土産物店がぎっしり並ぶ通りは観光客で賑わい活気づいている。サフランボルは親しみのある気持ち良い町だった。


★旅の11日目は再度イスタンブールに戻り、ここで3日間を過ごすことになる。
こちらに来るとやはり例のデモは大がかりで何千人どころではなく5桁を数えるであろう人達のデモ行進が続いていた。危険なので旅の予定に有ったタクシム広場の観光は中止となった。

先ずは『Orient Express』と言うイスタンブール駅・旧駅舎レストランで昼食。ステンドグラスがしっくり似合うなかなか素敵なレストランだった。隣接しているヨーロッパ側のトルコ国鉄ターミナル駅・シルケジ駅構内に出てみると列車が入ってきた。ここから国際列車、国内列車、近郊列車が発着しているそうである。

ヒポドゥロームと言われるローマ時代の大競技場跡に来た。ここで戦車競技も行われていたそうである。それを聞くとふっとイタリアのコロセウムに立った時の感覚が蘇って背筋に何か走った。
エジプトのオベリスクも2本建っている。それにもう1本途中で折れている青銅製の柱はローマ時代にギリシャのアポロン神殿から持って来た蛇の柱とか。意味合いはよく解らなかったが、私はこの広場に何かしら重苦しい歴史を感じたよ・・・・・

直ぐ近くに在る世界遺産「ブルーモスク」(1616年に完成)にはなんと6本の尖塔が建っていた。内部はなんて広い、そしてなんて高い天井か!ぐるりと周りの壁にはめ込まれたステンドグラス窓と青い花柄模様の装飾タイルが綺麗で目をひく。実に素晴らしい!シャッターを切りまくっても対象物が大きすぎて私のバカチョンカメラでは哀しいかな全体の雰囲気を映し出せないよ。(涙)撮るのを諦めて折角だから絨毯に膝ま付いて信徒気分を味わってみた。。。。。

引き続いて世界遺産「アヤソフィア」、ここは皆んなの強い要望で当日改めて入場料の25トルコリラ、(1TL=約56円なので1400円ぐらいかな)を払って入ることになった。ビザンチン帝国時代の360年に建てられたキリスト教の大聖堂で、オスマントルコに征服されてからイスラム教のモスクになったそうである。確かにあちこちにキリスト画を見ることができた。イスラム教は偶像崇拝禁止の為、数々のモザイク画は漆喰で塗りつぶされていたのが、トルコ共和国時代になって大修復され昔の姿をとりもどして来たそうだ。今も工事中で足場が組まれていた。2階フロアーも含め建物の巨大さに圧倒される。
トルコのモスクを自分なりに納得して充分に堪能したよ。

次はグランドバザールでショッピングタイム。
金銀細工や宝石、絨毯等々ずらりと5000店以上がひしめく路地を歩いて行くと片言日本語の連発でお誘いがかかる。それを上手?にかわして会話を楽しむとトルコ人を妙に親しく感じるのは、やはりトルコ人は親日国民であるからかなぁ。。。。。
そうそう絨毯と書いて思い出したが、皮製品のお店(エフェソス)やトルコ石やトルコ絨毯(カッパドキア)の工場見学もあった。でも云十万円のおしゃれで素敵なコートはこの年齢になって着て行く所もなし、何百万円の絨毯は新築家屋でもなし今更もったいないし貧乏人の私はいづれにも購買意欲が出ないまま済んでいたっけな(笑)


★次の日の午前中はオプションツアーで「ボスフォラス海峡クルーズ」を体験。トルコをヨーロッパ部分とアジア部分に分けるこの海峡は黒海とマルマラ海を結んでいる。
イスタンブールのヨーロッパとアジア両サイドの景色:オスマン帝国時代の城壁や宮殿、モスクや別荘いろいろ展望できる。アジア側の山手にはウスクダラの町並が見えた。行って街中を歩きたかったなぁ~。

不思議なことで驚いたのは地震が起きても台風が来ても海の水位は50cm以上は上がらないという。なのでそれぞれの家の庭が海に面している。毎日海を目の前にして夢のような日常だろうなぁ~。黒海から流れる海水は海の匂いがしないので快適だろう。

陸に上がってから、金角湾に浮かぶ船で売られている名物「サバサンド」を食べた。焼いたサバをパンに挟んだサンドイッチ、レモンを掛けて食べるのだがなかなかイケる味で美味しかったよ。家でも作れるのではとも思うがさてどうかな?秘訣があるかもしれないなぁ~。

その後リュステムパシャモスクの見学。
規模は小さいけれどオスマン建築美術の最高傑作と言われているそうで、モスクの外壁も内壁もそれはそれはきれいなタイル張りだった。イズニック地方で紀元前から作られていた歴史ある高級タイルでイズニックタイルと言われるものだそうだ。チューリップ他いろんな花や草木の繊細な模様が鮮やかな青や赤の色で塗られている。あまりの美しさに思わず息を飲んだ私。先に見た世界遺産セリミエモスクを設計したミマール・シナン(ミマール・スィナン)によって1561年に建造されたそうだ。


オプションツアーが終ってホテルに戻り、12時から本日の正規のツアーとなった。
昼食にはトルコ料理で有名なドルネケバブを食べた。ドルネとは回るという意味でケバブは焼き肉のこと。コックさんのOKをもらって撮らせてもらったよ。大きなお肉の塊がぶら下がって、ゆっくり回っていたよ。これが削られてお皿に盛られて「はいどうぞ」。
      
   
さてガラタ橋を歩いて渡る。
金角湾に架かる2層式の橋で下層はレストラン等が並び、上層は車も走っているが、釣り人がずらりと並んで釣り糸を垂らしている面白い光景をみた。あのサバサンドのサバが釣れるのかな?アジもバケツの中で泳いでいたね。

それからトゥネル乗車体験、地下鉄に乗ったよ。
カラキョイ駅からテュネル広場駅の1区間、1875年に造られ、570mの距離で世界一短い地下鉄とは成程ね。乗車券代わりの500円玉のような硬貨を自動改札口に投入、初めて電車に乗る子供の様に皆んな大はしゃぎ!
下車してから、タクシム広場に通じるイスティクラル通りの商店街をしばらく散策した。国旗を売り歩く人がいた。アンカラで国旗の服を着ている人もいてビックリしたがトルコ人って、愛国心が強いのだろうか。
国旗の服ってこんな恰好。(笑)


15日間の記録をいかに簡略化してもなかなか尽きず再び疲れてきた。続きは更にページを改めることにしようと思う。


エジプト&トルコへ(上)

2013-06-10 | 日記
蒸し暑さに思わず温度計を見る、25℃だ。一昨日のエジプト、熱風の吹く42℃は身に応えたが、日本の気候も蒸し暑く感じる今朝である。日本15日間空白の身体にはいろんな気候に対応するのが大変だ。トルコの37℃は気温の割に爽やかで案外過ごしやすかったのは湿度の違いかな。

思い返すと2年前のパスポートの期限が切れるのを機会に体力と相談して最後の海外旅行にしようと決めていたエジプト旅行、独裁政権ムバラク大統領辞任をめぐるあの大規模なデモ発生によって出発を目前にしながら中止の知らせが来て行きそびれていた旅である。私は諦めていたが、彼が是非というのでパスポートを取り直した次第。

さて「15日間のエジプト&トルコ」、取敢えず工程のおおよそを整理して記憶の旅を楽しもう。

★関空からの直行便は13時間35分のフライトでエジプト・カイロに到着した。エジプト時間で午前4時45分、日本との時差は-7時間だ。
その日はエジプト考古学博物館の見学をして、あのツタンカーメンの「黄金のマスク」や沢山のミイラ等を見た。マスクが日本に来た48年前?、私が学生の時であった。京都博物館へ見に行ったっけ。
考古学博物館の横に在った黒焦げた建物、あれは政府関係の物らしく、あの時の暴動で焼かれたそうだ。

その後カイロからトルコ・イスタンプールへ向かう。2時間15分のフライトであった。トルコは日本との時差-6時間、再度時間調整をした。そしてトルコをしっかり体感しようと思った。
イスタンブール空港からバス移動の際、添乗員さんが懐かしい曲・江利チエミの「ウスクダラ」のCDと庄野真代の「飛んでイスタンプール」のCDを流して下さり、気分は早やイスタンブールに飛んだよ。(笑)


★翌朝、イスタンブールから北西へ230kmエディルネにバス移動。
ギリシャとの国境・エディルネには世界遺産「セリミエモスク」がある。16世紀オスマン帝国のスルタン、セリム2世の時代に宮廷建築家シナン(ミマール・スィナン)の設計によって造られたという。四隅に70mの尖塔が立つイスラム寺院である。
モスクは神様の家ということで、靴を脱ぎ、女性は髪を隠す為スカーフを義務付けられた。イスラム教は別名マホメット教とも回教とも言われているが「アッラー」を唯一絶対の神と信じ、預言者マホメット(ムハマンド)のコーランの教えを信仰している。
偶像崇拝ではなく神は人間個々の心の中にあるもので、祈りは感謝から始まり人間は皆平等であり愛を尊ぶことが教義となるらしい。私達がアルカイダの名で知るあの恐ろしい宗教ではない事を知った。
2020年夏のオリンピック開催候補地はイスタンブールと東京そしてマドリードであるが、猪瀬東京都知事が「互いにいがみ合い、階級があるイスラム教国イスタンブール」と批判したのは間違っているのかな?

モスクに敷き詰められた絨毯や壁面にはデザイン化されたチューリップ模様が一面に施されていた。チューリップは神様を象徴しているらしい。読み不可なアラビア文字「アッラー」は私には芸術作品の様に見えた。

世界遺産ではないが、「ユチュ・シュレフェリモスク」を見学した。4つの尖塔は形、模様がそれぞれ違っていてユニーク。そしてモスク絨毯の模様がチューリップ模様で1人1人の座席を仕切っているのも印象的だった。


バスごと船に乗り、ダーダネルス海峡を渡ってチャナッカレに来た。
この海峡はマルマラ海からエーゲ海に流れる海峡でヨーロッパに属するエディルネとアジアに属するチャナッカレを結んでいる。ヨーロッパからアジアに行く船に乗っているわけである。前方のアジアを見て後方のヨーロッパを見て大喜び!?
カナダに行った時の事、アメリカに行きたいとパスポート持参で税関を通ってドキドキワクワクしながらレインボウブリッジを歩いて往復したのを思い出した。(笑)


★チャナッカレで一泊して翌朝、窓から外を見るとホテルの直ぐ下にエーゲ海が広がっている。若者二人が水着姿で海に居た。私も彼と一緒に海辺に下りてみた。黒海からボスフォラス海峡を経てマルマラ海に入り、更にダーダネルス海峡を越えてエーゲ海に注いでいるこの海水に手を浸してみた。塩の匂いが無い優しいまろやかな感触だった。子供の頃から地図上の海でしかなかったエーゲ海の水を自分の手で味わえたことに大満足だった。
この旅行に水着を持ってこなかった私は、後々のホテルのハマムやプールでも指をくわえて見ているしかなく、残念だったよ。

トロイまで約30km、伝説「トロイの木馬」で有名な世界遺産トロイ遺跡の観光となった。
ギリシャの詩人ホメロスによって書かれた紀元前1250年頃のトロイ戦争の話をトルコの案内人さんが聞かせて下さった。ギリシャ軍とトロイ軍の戦いでギリシャ軍の勝利となり戦争が終ったのは、大きな木馬が鍵だったという面白い経緯を知った。ヘェ~!
トロイ戦争ロマンの舞台に立てたことが嬉しかった。皆んなレプリカの木馬の中の階段を登って窓から顔を出し、写真を撮って楽しんだネ。
紀元前3000年から紀元400年頃迄のこの遺跡はドイツのシュリーマン博士によって発見されたそうだが、都市跡が九層にも及ぶ実に広大な遺跡で発掘はまだまだ続きそう・・・・・

トロイから200km離れたベルガマという所では紀元前4世紀から紀元後4世紀の総合医療センター・アスクレピオン遺跡を見学。午後1時37分、気温37℃の中での見学であった。
治療には投薬の他に心理療法も行われていたという。聖なる泉と治療所を結ぶ地下道では医師が患者の耳に「神のお告げ」として治療法をささやいていたとか。。。流れ落ちる水の音も癒しの一方法であったとか。確かに流れ落ちる水の音って癒されるよなぁ・・・現代の音楽療法の根源がひょっとしてこんなところに在るのかも知れないなぁと思った。紀元前の昔に古代ギリシャの医学がここまで進歩していたなんて驚きだし、ココには図書館や3000人以上収容できる円形劇場跡等もあった。
(この日は205km離れたクシャダスで宿泊。)


★次の日、クシャダスの市内観光30分。かってジェノバ人(ジェノバはイタリアの都市)が築いたと言われる要塞跡が残っているギュウェルジン島を道路側から望む。エーゲ海、クシャダス港のすぐ近く、陸路で繋がる島で歩いて10分ぐらいで行けそう。

ここから20km離れたエフェソスにある紀元前11世紀のエフェソス遺跡見学へ行く。
アルテミス神殿(焼失、今は夢の神殿で柱一本だけが復元されている。天辺に生きたコウノトリが止まっていたよ。)を中心に発達した都市国家で、現存するギリシャ文明最大の遺跡だという。
トラヤヌスの泉やヘラクレスの門やスコラスティカの浴場やハドリアヌス神殿etc.数えきれない程いろいろ沢山在る中で最も印象に残ったのがセルシウス図書館(蔵書12万冊)である。この時代に図書館が在ったのだ。
面白かったのは仕切りのない公衆トイレ、下は大変深く、水が流れる水洗トイレだった。大理石の長い通りが続いていて可愛いハート型した石が転がっていた。売春宿の看板と聞いてびっくりした。それから勝利の女神 NIKE の彫像は「ナイキ」のロゴマークが彼女の翼からイメージされているとか。
足腰が悲鳴を上げかけてきて野外劇場へ登って行く元気はさすがに無く、案内人さんから教えてもらった場所からシャッターを切った。劇場の全体像をイメージしておこう。2万5千人収容の広さはやっぱり半端じゃないよなぁ。
      
  
遺跡の規模は実に巨大で2時間以上の観光だった。気が遠くなるような歴史の重みに疲れた疲れた疲れた。。。。。

その後、世界遺産パムッカレに向かう。突然目の前に雪山か?と思う白い山が現われた。
午後1時52分、30℃の気温に雪は無い。白亜の石灰棚が太陽の光に反射して眩いばかりに輝いていたのである。裾野の湖にはガチョウが沢山泳いでいて、人馴れした彼らは私達としばらく遊んでくれたね(笑)
明日はこのパムッカレ(トルコ語で「綿の城」)の石灰の棚田を素足で歩くらしい。ビニール袋とタオル持参だ。


★旅の6日目、トルコの空気にも少し慣れて落ち着いてきた。午前8時ロビーに集合してヒエラポリス遺跡の見学から始まった。
温泉水が造り出した石灰棚の頂上にあるこの遺跡はローマ帝国の温泉保養地だったそうだ。都市規模はそれ程広くないが円形劇場等の施設も在り、まだまだ発掘の段階のようで大きなクレーン車が動いていた。
例の石灰棚に来て、私もズボンの裾をまくり上げて踏み込んだ。温かいお湯の流れる池の底はぬめって滑りそうだった。初夏の季節、水着姿が多かったのはロシア人が日光浴に来るからだそうだ。ちなみにこの石灰棚に勝るとも劣らない中国の黄龍!翡翠色した実に素晴らしい棚田を思い出した。酸素ボンベを片手に4kmの散策路を登ったのを思い出した。自然が造り出す造形美に絶句したものある。
              
池から上がって近くにあった温泉プール「クレオパトラ プール」に行くと沢山の人達が水浴びを楽しんでいた。気持ち良さそうだなぁ~。彼は「ドクター フィッシュ」(doctor fish)を体験したかったそうだが、タイムアウトで断念せざるを得なかった。側で興味津々聞いていた私は他人事ながら残念そうな顔をしていたのであろうか、係の人が私の指を水槽に入れてくれた。一瞬にして数匹の魚が寄ってきてチョンチョン私の指を突きだした。何とも言えないその感触は何時までもそのまま残しておきたい気持ちになった。
「Thank you ! ありがと。 ありがと。」と、英語と「う」無しの変な日本語のちゃんぽんで何回もお礼を言った私。(笑)車中で教えてもらった「ありがとう」のトルコ語「テシュッキュル・エデリム」(Tesekkur ederim)が頭から出て来なかったのだ。言葉が通じなくても人の心を読んでくれたハンサムなお兄さんに感謝!ありがとう。いい思い出ができました。

次は410km離れたコンヤ、トルコ最大の面積を持つ文化都市の観光で、1つはインジェミナーレ神学校の外観。1267年に造られたイスラム教の神学校で、今はイスラム関連の彫刻を展示している博物館になっているそうだ。正面右側のブルーの綺麗な尖塔は落雷で壊れる前はもっと細長くそびえていたという。正面入り口の浮彫彫刻が細やかでとても美しかった。
街行くトルコ女性のほとんどがスカーフをしていた、とてもおしゃれで綺麗に見えた。イスラムの国に来ている実感が強まった。
神学校の前でニコニコしながら観光客の相手をし、写真に一緒に納まるのを楽しんでいる中年男性を思い出す。「ジャポン?」と聞かれて、変な英語?と思いながらも「イエス」と答えると、その人は更に笑顔になったよ。(笑)日本人はトルコ人に好かれているのかな。

もう1つは、緑色したとんがり帽子をかぶったような塔があるメブラーナ博物館の見学。かつてメブラーナ教の総本山であったが、今は解散させられ博物館になっているそうだ。白い衣装をまとった聖人がくるくると回り続けてお祈りするそうだ。
敷地の中にはL字型に並んだ小部屋があって、アラジンの魔法のランプや赤い高級トルコ絨毯やコーランを書き写した筆etc.価値ある宝物が展示されていた。
モスクの中にはきらびやかな棺が並び置かれ、その上にターバンが乗せられている。ターバンには階層があって聖人の位が分るようになっているらしい。
館内は撮影禁止だったので画像を残せないが、教祖メブラーナの棺は一見して「凄い!」の一言に尽きる程立派な装飾が施されていた。ついでながら遺体はすべて土葬とか。
印象的だったのはイスラム教の開祖マホメット(ムハマンド)の“あごひげ”が納められているという銀の小箱があって、その前で真剣にお祈りをしている人の姿であった。信仰心の篤さを感じた。
この日の宿泊ホテル「RIXOS HOTEL」(リクソスHOTEL)の入り口回転ドアには白い衣装をまとって両手を上げている聖人が描かれ、人が出入りする度にくるくる回る様子は、この宗教の「旋回舞踊」をイメージしているようで、私はこのアイディアに心の中で拍手したよ。


★次の日はコンヤに在るキャラバンサライ(隊商館)の見学。ラクダに荷物を乗せてシルクロードを行く商人達の宿泊所である。がっちりした壁に囲まれた重厚な造りの建物である。これなら盗賊に襲われることなく一夜を過ごせる気がした。商人達は一旦宿に入ると決してドアを開けることなく夜を過ごすそうだ。内部の見学はしなかったが、中庭にはモスクがあって両側に宿泊部屋があり、ラクダ部屋も有るそうである。


一直線に延々と続く昔のシルクロードを走って215km先、カッパドキアに向かう。
途中でトルコの一般家庭訪問が実現した。
家の入口頭上にはガラスの目玉が飾ってあった。ぎょろ目?いえいえこれはトルコのお守りで魔除けになるのだそうだ。住人のお気持ちが込められているように思う。
こじんまりとしてきれいなお部屋に入れていただき、チャイ(紅茶)をご馳走になった。部屋の壁に掛かるいろんな飾りに異国家庭の情緒を味わった。そして手作りの靴下等を譲っていただき、お土産にした。
トルコ女性は外で働かず家庭に居て料理や掃除や洗濯に精を出し、時間があれば手芸等を楽しむそうだ。(ホテルでもレストランでも女性の従業員は全く見当たらないのが不思議でキョロキョロしていた私だった。)
早々にリタイヤーした男性は昼間お邪魔になるので家の外に出て、数人集まってお茶をして時間をつぶすそうである。そう言えば、男性が集団を成してお茶している姿が所々で見た。作物の収穫期以外は暇で仕方がないらしい。


いよいよカッパドキヤに着いた。洞窟風レストランでの昼食はカッパドキヤの名物料理・テスティケバブ。本来素焼きの壺に肉類や野菜を入れてオーブンで焼く “煮込み料理” らしい。ピラフと一緒にお皿に盛って出てきた。熱々で大変美味しかった。久しぶりに日本料理を食べたような気がしてホッとした。


ここまで書いて少々疲れてきた。一旦閉じて、続きは新しいページを開く事にしよう。だらだら書く癖私の悪い癖、なるべく簡単に仕上げたいと思う。