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写真付きで日記や趣味を思いつくまま気の向くままに。

続-沿線散歩

2014-10-19 | 日記
  10月19日(日)
今日は天気も良く絶好の散策日和、大和郡山市八条町の「嫁取り橋」を歩いて以来その周辺を訪ねる事引き続いて3回目となった。菅田神社の祭神が現れ出でられたという天理市二階堂菅田町の菰池(こもいけ)を確認したくて出かけた。
ギャラリーカフェ「赤いそら豆」では松岡徳郎コンサート(フルート・しの笛)が開催されるというので尚更気持ちが弾む。下ツ道の両脇に手作りケーキやお餅や野菜etc.を並べて販売している「下ツ道マルシェ」(第1回)では素敵なネーミングに誘われていろいろ買ったよ。

古典音楽・歌謡曲・唱歌、いろんなジャンルの曲を、フルート&オカリナ&しの笛を使い分けて1時間たっぷり聞かせてもらえた。しの笛はめったに聴けない機会だったし、特にフルートの演奏は素晴らしく感動!久しぶりに生演奏に浸って大満足した。最後にリクエストが許されるなら映画音楽「Let it go」をお願いしようと考えていたら、なんと幸いかな終わり寸前で聴く事が出来た。
古民家から流れる音楽が田舎の街に響くのは風情があって、道行く人もハッとして耳を傾けられたであろう。
        (画像はクリックすると拡大する)

午後2時コンサートが終了し、私はSanpo Mapを片手に下ツ道を南へ歩き始めた。
近鉄天理線二階堂駅を過ぎて、右手に提灯工房を見てさらに直進すると、左手に「二階堂地蔵堂」があった。
折角なので案内板を読み、格子戸のガラス張りの部分から中を覗かせてもらった。祀られているのは石造半迦地蔵菩薩像。半迦像(はんかぞう)とは左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左足を踏み下げて蓮華座に座る、正にそのようなお姿である。天正九年の銘があるらしいが、西暦1581年だから安土桃山時代、即ち江戸時代(1603年~)前と言う事になるようだ。
お堂は聖徳太子の妃・膳夫(かしわで)妃の創建だそうだが、変遷の歴史があるようで、案内板を投稿しておこう。
             
                 ↑(お堂の中右側は観音堂)

さて「菰池」は二階堂小学校に隣接していた。
地図では池が2つか?と思っていると、池の真ん中に道路が走っていたのだ。菅田神社発祥地の石碑と鳥居や常夜燈が建っているのを見て納得。
菰池を貫く道を東に行くとR24号線へ、西に行くとスイムピア奈良へ通じているのだと若いお兄さんが教えてくれた。私は勿論西に進んだよ。
                 
   

今日の秋晴れの如く私の気分もスッキリしたので、沿線散歩二階堂駅編はこれでお終いにしようと思う。




ヤゴ

2014-10-14 | 日記
  10月14日(火)
この季節、カラスウリの赤い可愛い実が庭のアクセントになっているよ。
台風19号は無事に通り過ぎてくれたが、ただ鈴虫の家が浸水した。昨夜、容器を庭の真ん中に出したままだったのがいけなかった。お祭の日(12日)を境に「リーーン リーン」の鳴き声は止み、残りは雌2匹となっているのだが、幸い彼らは止まり木に這い上がり、かろうじて水面ぎりぎりの所に避難していた。雨に打たれ揺れる水面に浮き沈みしながら一夜を過ごしてすっかり疲れ果てているらしく、フラフラ状態だった。
急いで水を濾したところ、勿論マットの土はひっくり返り沢山の白い卵が現れた。一晩水浸しになった卵は果たして大丈夫なのか・・・・・不安だ。

8日前、新しいお客様・ヤゴが来た。
紙芝居劇場でヤゴが登場するお話を読んだことがあって、体型の大体のイメージは有るものの生きているヤゴを見たのは初めてである。それにしても今の季節にヤゴとは一体どんなトンボなのだろう?赤とんぼ?否それにしては大きいなぁ・・・ 調べてみると、これは「マルタンヤンマ」のヤゴだと解った。羽化は来年だ、無事に越冬させてやらなければならない。エサは何がいいのかな?

アカムシ、ボウフラ、イトミミズ、それにメダカもいいらしいが、前の3つは私の苦手とする生き物だし、メダカは沢山いても可哀想で差し出す気にはなれないし、困ったなぁ・・・・・・・
エサを見つけると折りたたんでいる下あごをぐっと出して獲物を捕え引き寄せて食べる、というので是非その様子を見てみたくなった。冷凍アカムシも食べるなら素干し桜エビも食べるかもしれないと思って、一昨日、テグスに引っ掛けてヤゴの目の前で静かに動かしてみた。

果たして獲物だと確認したらしく足をわずかに動かし飛びつく体制を整えたかと思うと、素早く下あごらしき物をニョキッと出してエビを捕えグイと引っぱった。そしてゆっくりゆっくり噛み砕きながら飲み込んでいった。その様子を横から見ていると、確かにあごはZ型に折りたたむ事が出来て、今は伸びている状態だった。5分程かかっただろうか。仰向けの不自然な姿勢のまま干しエビを最後まで離さずしっかり食べ続けたのには感心感心。その間お腹もずっと動いていたよ。固くてごめんね。ガンバレ!と私も一生懸命見守った。(笑)
バカチョンカメラではプラスチックを通しての撮影は無理だが、そのシーンは私の目に強烈に焼き付いた。スゴイ物を見てビックリと感動が同時に起きたよ。
ヤゴの身長は4cm、桜エビは1cm強。少しは栄養になったかなぁ~。

もう少し柔らかい物といえば・・・そうだ!釜揚げシラスはどうかと試してみたくなった。今日同じようにして水中で揺らしてみると、うれしい事に食べた!柔らかいので千切れて底に落ちたのには知らん顔。肉食の彼は動いている物しか食べないそうだが、要するに揺らせば乾物でも食べるのが解って大発見。なんだか嬉しい。。。。。

棒が必要だというので太めの南天の茎を挿しておいたが、いやいやもっと細いのが良いのかもと・・・
あれこれ考えて空いていたプラスチック容器に砂や石や草も入れ、太さを選べるように2本の棒を差し込んで、歩き回れるように広い住処を作ってあげた。棒につかまって上を向いたり下を向いたり、ホテイアオイのぷっくり部分を抱っこしたり、ふかふか根っこに包まれ眠ったりいろいろ試して安全で居心地の良い場所を探しているようだ。
下段左から2番目の写真は水槽から引き上げられて身に危険を感じたらしく、砂の中に隠れようとググっと潜って顔を隠したところだ。ダメだよ。ちゃんと見えてるよ。頭隠して尻隠さずだもの。(笑)
             (画像はクリックすると拡大する)
 

越冬してココから空へ飛んで行ってほしい。でも来年の夏までこんなエサやりは続きそうもなく、ヤゴも可哀そうなので明日には彼にアカムシを買って来てもらって、エサ係は彼とバトンタッチしてもらおうと思う。


秋祭り

2014-10-12 | 日記
今日は「菅田神社」の秋祭りで、先日見たあの赤い鳥居から行列が出るというので、一目見たくて、鳥居の近くに来た。午後2時、宮司さんや関係者の方々が歩き出され、あの神楽田(殿)に入って行かれた。「赤いそら豆」で聞いていた通りだった。お邪魔にならないようにそっと覗かせてもらうと、世話役のお一人がすっと身を引いて場所を空けて下さり、目でOKサインを下さった。カメラを提げた無礼な“よそ者”なのにありがとうございました。

間もなく全員の方の移動が始まって、いろんな神具を運ぶ列の最後には「ヨ~イ ソレ」掛け声勇ましく元気な子供たちの曳く“だんじり”が続いた。やっぱり由緒ある神社の行事には伝統的な厳かな雰囲気があり、八条町というよりは八条村と表現したくなる様な古風な風習が温存されているのを感じた。6番目の画像・長い竹竿の端に稲の束が括り付けられているのは五穀豊穣の祈願と感謝の意味があるのかなぁ・・・・・
事情は解らない“よそ者”なので、行列の様子だけを投稿させてもらおう。  (画像はクリックすると拡大する。)

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お供え物が拝殿の部屋から本殿へ手渡しリレーで運ばれた後、宮司さんの祝詞「かけまくも~かしこみかしこみももうす~。」が丁寧に読みあげられ一連のお祓いが続き、最後に巫女さんの舞が奉納された。巫女鈴の音が静かに境内に響き、両手に握られた短刀の刃が優雅な弧を描きながら光るのが垣間見えた。

私は本殿の透かし塀から慎んで拝聴拝見させていただいて時間を過ごしていた。榊の奉納で儀式は終了。
その後再び手渡しリレーでお供え物が下げられて、すべてが終わったと思う。
お咎めの言葉を聞くことなく、八条町の秋祭りを楽しませてもらえて感謝の一日であった。
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皆既月食

2014-10-09 | 日記
昨日は二十四節季の「寒露」。PCが辞書代わりになっている日常で久しく手に取ることのなかった大辞典を開いてみた。《①晩秋から初冬にかけての露。霜になりそうな冷たい露。②二十四節季の一つ。太陽が黄道上の一九五度の点にある時。陰暦の九月、現在の一〇月八日頃に当たる。》と出ていた。太陽が云々の難しい事はさておき、とにかく秋が深まってきた事を知るいい言葉である。
私には寒露即ち実りの秋の到来かな。銀杏ご飯を炊いた日であった。早朝散歩で拾った銀杏で炊いたご飯は格別に美味しかったよ。

  10月8日(水
前回の皆既月食、2011年12月10日以来3年ぶりに今日は満月の皆既月食を見ることが出来るというので月の出を待っていた。生憎の曇りで半分諦めていたところ、彼が「今 出た!見える見える。」と教えてくれた。大急ぎで家を飛び出し東の空を見上げた。左下部の欠けた黄色い月が見えた。6時49分であった。

昇るに連れて形は次第に変化し、色も次第に赤みを帯びて広がっていった。(皆既月食となった正確な瞬間は午後7時24分だったそうだ。)ほぼ丸い赤銅色のお月さまを見上げながら天空で起きている現象を想像してその貴重な瞬間に感動を覚えていた私の傍らで、彼が「ちょっと気持ち悪いなぁ~」とつぶやいた。。。。。そりゃぁ赤黒いまんだら模様のお月さまより黄色いお月さまの方が綺麗だけれど、今そんな事を言わないでほしいなぁと思ったよ。(笑)

皆既月食が終わっていく様子も見続けていたかったが、残念ながら出かける時間となり、事故っては大変だと思いながらもハンドルを握りつつ何回も振り返って空を見上げた次第。「雲よ どうか邪魔しないでね。」とつぶやきながら。。。。。
帰宅したのは9時45分、ガレージに車を入れて空を見上げるといつもの黄色い真ん丸お月さまが何食わぬ顔で輝いていた。あぁ~元に戻ったんだと・・・幻想的な赤色お月さまにあれほど感激していたはずなのにこのホッと感は一体どうして!?。私は大昔人間になっていたようだ。(笑)

とは言え≪太陽と地球と月が一直線に並んだ時の現象》それ以上詳しくは何も知らない私なので、ちょっと勉強しようと思って国立天文台の情報センターのページを開いた。月食のしくみ説明図を見て、地球の影に本影と半影の部分があり、皆既日食開始から終わりまでを私なりに納得した。

そう・・・・・このようなお月さまだったよなぁ。情報センターの画像から一枚コピーさせてもらった。ありがとう。
(画像はクリックすると拡大する。)

読売朝刊から得た豆知識《赤銅色になるのは、地球の周りの大気で太陽光が曲がり、赤っぽい光だけが月に届くため》という。