ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

山菜児

2018年05月18日 | 発信

雨ですねぇ、仕事がはかどりません。山はいつの間にかタニウツギの季節だ。

 

昔の人はウツギの葉も食べたとか、、、、ケツ拭いたとか、、、、

藤の花も満開になってますw。

 露地3回目の植え込みを終えたところで雨。土がかけられずに終わってる。

 2日晴れると3日雨、、、、死んじゃいます。

本日最後の山ウドの出荷、12月から始まった半年間の山菜シーズンが終わった。

直売所ではもうとっくに終わってたのだけどリピーターさんからの注文なのでありがたく発送しました。

ウドは採っても採っても後から出てくるので無理な注文にも応じられる。でももう、硬いかな。

歳をとると山菜の味がやたらうまく感じる。苦みやエグミ、、、順調でない人生にこそ味があるようなものかもしれない。

10年ほど前までは花以外の生産は考えてもいなかったが最近は、何屋さんなのかわからなくなった。

本業以外に精出すのは一流ではないとの文献を目にしたことがある。

でも、どうせ一流には程遠いのだから二流を貫くのも味があるような気がする。

 

人がまだ人とは呼べなかった原人、、いや、もっと大昔から人の先祖は山にあるものを食していたに違いない。

今ある野菜もまた野草から交配、進化させたものがほとんどであろう。

アフリカのゴリラが野生のセロリを食べているのをテレビで見たことがある。

野草の生長点には少なからず毒素を含んだものが多い。

毒素も消化しながら生きていく。粋も辛いもかみ分けて、まさに人の一生ではないか。

誰もみな山菜を好む遺伝子は備わっている、まさに山菜児だ。

 

吉田拓郎 「 フキの唄 」 に ♫ 短い旬の味はその季節まで待てばよい、人の世はすべて満たされなくていい♫

と唄われているが、人は欲張りで、珍しいものが食べたい、旬より早く食べたいと思うもの。

だから農業が成り立って、作る側の創作意識やモチベーションが高まるのである。

歳をとればとるほど農業には面白味が必要なのだ。

 

冬の間にコツコツ作った山菜のビデオクリップ、題して 「 短い旬の味、、、、、魚沼の山菜 」

芽を食べるもの、蕾を食べるもの、花を食べるもの、実を食べるもの、人は試しながら学んできたんだろうなぁ。

時期にはきれいな花が咲きます。

あなたは何種類の山菜を食べたことがあるかな ?  山菜に感謝と愛をこめて。

 

最後のフキノトウ味噌。小分けして冷凍しておきます。晩酌用。

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コメント
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