お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

越前の旧家朝倉氏と宗滴さま (朝倉宗滴)1

2006年10月24日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は宗滴(そうてき)の名前が有名な、越前は朝倉家の英雄、「朝倉教景(あさくらのりかげ)」です。

えー、この方知ってますか?どうですか?
地元の人(福井県)の人か、戦国好きな人ならたぶん知っていると思うんですが。
まぁ、順に説明していきますんで、お付き合い下さい。


さて、いきなりですが、朝倉家ってややこしいんです。
相模・北条家は「氏~」という名前が多いウジウジ一族でしたが、こちら朝倉家は「景~」の名前が多い、カゲカゲ一族なのですね。
さらに同名の人が非常に多く、これから紹介する宗滴こと「教景」さんは五代・教景、七代・英林孝景の四男、教景が同じ。
「孝景」という名では、七代・英林孝景、十代・宗淳孝景の二人。
これに、一時的な名乗りも入れると、さらに二、三人増えるのです。
……もう、ぱっと見程度であると、誰が誰やら(笑)
実にややこしいですね。


さて、歴史があるだけ一族やら同名やらが多い朝倉家。
もともとは日下部(くさかべ)氏と言い、平安時代の末頃に「朝倉」を名乗ったようです。
かなり古く、ちゃんとした家柄なんですね。
源平合戦ではうっかり平家方について、没落。
しかし、室町時代には判断誤らず「足利尊氏」に味方し、管領家の斯波氏に仕えて北陸「新田義貞」勢を破るなど活躍します。
その功によって、越前の一部を領地として与えられました。
この頃が五代「朝倉教景」の時代。

その孫、七代「朝倉孝景」こと「英林孝景(えいりん・たかかげ)」はなかなかの切れ者で、主家・斯波氏の内乱に乗じて、その地位を徐々に高めていました。
勃発した「応仁の乱」では、当初は西軍「山名宗全」側にて参戦。
しかし、東軍「細川勝元(※写真)」に”越前国・守護の地位”を土産に誘われると、それに応じて東軍へ寝返っています
このように、多少卑怯ではありますが、実力によって下克上に成功した人なんですね。

後に、臣下筋にあたる「織田信長」(※斯波氏守護代、その家老出身)の下に立つことを嫌がって、十一代「義景」は滅亡の道を突き進むこととなるのですが、それはまた別の話。
今回の主役「朝倉宗滴」は「応仁の乱」にて重要な役割を果たしたこの「英林孝景」の八男なのでした。


 ★ ややこしい朝倉家 ・ 系図 [略] ★ (-:兄弟 ↓:子)
 
 6 朝倉家景
     ↓
 7 朝倉孝景(英林孝景) - 経景(大野)  - 景冬(敦賀) → 景豊
     ↓                ↓
     ↓              景職 → 尹景(景隆) → 景健
     ↓
 8 朝倉氏景 - 景総 - 教景 - 教景(宗滴) 
     ↓                     ↓
 9 朝倉貞景                景紀(養子)
     ↓
10 朝倉孝景(宗淳孝景) - 景高 - 景紀(※宗滴・養子) 
     ↓              ↓
11 朝倉義景           景鏡


※この後いっぱい名前でてきますんで、分かんなくなった際にはコチラご確認下さい。
 だいたいこんな感じでいいはずです。(左の数字は代々の当主)


⇒つづく 次回は「謀反計画を退けた宗滴さま」

[関連記事]
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     
⇒ 海道一の弓取り・今川義元 [       
⇒ 美濃の蝮 「斎藤道三」 (1) (2) (3) (4)
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
⇒ 続・室町時代 中央政治編
⇒ 続・室町時代 地方政治編
⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)


★開催中! 【 特別展 仏像 一木にこめられた祈り (東京上野): 12/3 まで  】 


 ★ランキング参加しております。応援お願いします★
⇒ 人気blogランキングへ
⇒ ブログランキング (マイプロフ


戦国合戦事典―応仁の乱から大坂夏の陣まで

PHP研究所

このアイテムの詳細を見る

※ひでるさんも所持している合戦本です。
 細かい合戦まで掲載しているので、非常に役立ちます。
 戦国ブログを書きたい人に参考書類としてオススメ。


☆お寺さんぽしたくなったら… あるいは役立つ(かもしれない)「お寺さんぽストア」
☆仏像が気になりだしたら… 自宅で選べる美術品 掛軸、絵画、美術工芸品のトップアート
☆ちょっと旅へ出たいと思ったら… 旅の総合サイト『BON VOYAGE!』 「楽天トラベル(旅の窓口)」


最新の画像もっと見る