お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

姫若子の出陣「長浜合戦」~3:ついに初陣、姫若子

2008年04月03日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日はこれまで当ブログでは一度もまともに触れなかった、戦国時代での四国のお話なのです。
戦国ファンにはお馴染み、四国の覇者「長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)」の初陣「長浜合戦」なのでした。


土佐で勢力をもつ一条氏のもとで成長した元親の父「長宗我部国親」はお家再興を目指して勢力を拡大。
そんな国親は待望の嫡男を得るんですが、嫡男元親は「姫若子(ひめわかご)」というあだ名をつけられてしまうような、武将らしからぬ子であったのです…。

しかし、幸運にも男児には恵まれた国親父さん。
彼は中国毛利氏と同様に”自らの息子たちを各家の養子に出して家督を相続させ、その勢力を巧みに取り込む”というようなことをしています。

軍事・外交という両面で才を発揮することとなる三男「親泰」を香宗我部氏へ送り込むことに成功。
また、後に卓越した軍事才能で活躍する次男「親貞」は吉良氏(※これは国親没後のことなので、元親の命である筈)を相続して、勢力の拡大にそれぞれ貢献することとなるのです。

そうした優秀な弟たちがおりましたが、肝心の嫡男・元親は前述したようにどこか頼りなく、家臣からも侮られていたと伝えられております。
武将としての片鱗も見られず、十八になってからようやく兵法書に興味を持つという有様だったのでした。
(※もっとも、それ以来は手放さずに熟読していたようですが)

一方、なかなかの切れ者であった父・国親は地道に勢力を蓄えておりました。
宿敵・土佐郡朝倉城の本山氏には一条家の指示もあって嫡男「本山茂辰(安政)」へ娘を嫁がせておりました。
…が、その一門衆として表面上は従う一方で、領土をじわじわと拡大させる動きそのまま長岡・香美などを制圧していくのです。
そして、武勇に優れた「本山茂宗」が没すると遂に反旗を翻し、「本山茂辰」と対立することとなったのでした。

さて、永禄三年(1560)
本山氏の属城・長浜城を国親が急襲して、城主「大窪美作守」は命からがら撤退。
その奪取に成功しました。
長浜城陥落の報を受けた「本山茂辰」はすぐさま二千五百ほどの兵を率い、奪還を目指して夜間ながらも進軍をしてきたのです。

この軍勢を迎撃するために激突したのが、元親の初陣「長浜合戦」なのでした。
…長らくお待たせしました、ようやくここからが本編なのです(笑)
(ひでるさんも何を書いていたのか、途中で見失っておりました。わはは)

通常なら、初陣は十代なかば程度に済ませるのが普通。
それを、二十一歳という、当時からすれば異常なほどの遅さで初陣することとなるのでした。
なお、こちらの戦では二歳違いの弟「親貞」も初陣だったようなのです。(←要するに、それだけ遅いってこと)

⇒つづく
 次回は「成長していた姫若子」(4/4)

[関連記事] 【戦国武将大会】
⇒ 将軍 足利義輝 (京都・等持院)
⇒ 追放された巨星の父 「武田信虎」 [  ]
⇒ 強すぎる大将「武田勝頼」 [   
⇒ 海道一の弓取り・今川義元 [       
⇒ 蹴鞠の達人「今川氏真」 [   
⇒ 奥州の覇者…その礎「伊達輝宗」 <前編> <後編>
⇒ 隠れた名将「北条氏照」 [  
⇒ 北条家の忠実なる影 「風魔小太郎」
⇒ 伊賀流忍術の雄 「百地丹波」
⇒ 毛利元就を欺いた大将「大友宗麟」 [     
⇒ 智勇兼備の勇将 雷神「立花道雪」 [前編 中編 後編 ]
⇒ 越前の英雄「朝倉宗滴」 [     
⇒ 固辞する嫡男「毛利隆元」 [  ]
⇒ 船上の二人[長尾政景・宇佐美定満](戦国サスペンス劇場) [  ]
⇒ 山内上杉氏の防波堤 「長野業正・業盛」 <前編> <後編>
⇒ 最強軍団を撃退した北信の雄 「村上義清」 <前編> <中編> <後編>


 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


龍馬の愛した町 幕末を歩く [マイコミ旅ブック] (マイコミ旅ブック―「大人の修学旅行」シリーズ)
山縣 基与志
毎日コミュニケーションズ

このアイテムの詳細を見る

※歴史に浸るにこうした本はいかがでしょう。
 まぁ、有名なのはこっちの方ですね。