故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「ひねもすのたりかな」です。
出かけようとしたから、
釣れなくてもたゆたゆと時間を過ごせるのでした。
そらまめの かみさん旅に 白髪掃く
今日のタイトルは、「静寂」です。
2人のうち1人が出かけると、普段気づかない音が聞こえます。
船のエンジン音や雀の鳴き声だったり、冷蔵庫のうなり声などです。
こりゃ、大変だ。
冷静さを保つまで、どのくらいの時間を要するのだろう。
「今日は、なにするの」が合言葉で、二人の朝が始まる。
何を企てるにも、準備不足です。
思いつかない。
コーヒーを淹れる気にもならないし、ましてや本を読むなど億劫です。
リモコンのスイッチさえ握らない。
出来ることと言ったら、小さな箒で埃を集めることぐらいでした。
かみさんを亡くした時に、一日が長かったのを思い出した。
今の生活につながる何かがあった。
小さな庵さえ広く感じる。
独身に毛が生えたような、ままごとさえ気だるい。
歳をとった夫婦は相次いで旅立つと聞いた。
そんなものかいな。
もう少し、時間が欲しい。
2023年5月9日

絵のタイトルは、「あんさん、なんや」です。
弟分のシェルターは、ちょっと小うるさい兄貴かもね。
今日のタイトルは、「シェルター」です。
スイス出張で、新しい技術の講義を受けてホテルまで帰って、忘れ物に気づいた。
明日は、別の場所で、プラントを見学する予定でした。
午後6時前だと言うのに、会社の中は空っぽでした。
守衛さんに事情を説明すると、講義場所(1Km先)まで、巾3mの地下道を案内してくれました。
ユーティリティー配管・配線は、すべて地下道にありました。
冬はこたつのなか、夏は電車やデパートのなかと環境によって、選択肢はことなります。
カンガルーの子は、母親の袋のなかです。
少し昔の赤んぼなら、母親が背負うちゃんちゃんこのなかでしょうか。
いじめにあっている子は、おばあちゃんのおとぎ話だったり、
孤独な子は、本の紙魚になること。
奥様のシェルターは、案外実家にあるそのままの部屋かもしれません。
夫の懐でごろにゃんとできるなら最高です。
いやいや、勘違いされて進展しまうのがうっとおしい。
気の合う友達と言っても、油断はできない。
男は、決まって癒しどころに出かけてしまう。
起こったためしがない「あとで」にかける。
案外、ふらっと寄る、勝っても負けてもかまわないパチンコでしょうか。
浮気をしようにも、普段の準備をする人に限られる。
心のすき間を埋めてくれるシェルターは意外とないものです。
池の傍のあずまやの庇にゆれる光を追うだけで、癒される。
森に出かけ、小鳥のさえずりや新緑なんて、人それぞれです。
雑踏に埋もれるのが好きな方もいらっしゃいます。
シェルターは椅子の上で、疲れたまんまの邪魔されない居眠りだったりします。
各種鎧を脱いで、素のまま過ごせる空間がシェルターかもしれません。
皆さん、飲み物と食べ物を準備して逃げ込みましょう。
2023年5月8日

さすがに、雨の絵はなかった。
絵のタイトルは、「水無月人恋し」です。
五月雨は 島の小川を 轟音に
今日のタイトルは、「雨のち雨」です。
図書館で開かれる予定の講演が、講師の体調不良で中止になった。
餌が少し残っていたので、近くの海に釣りに行った。
藻が多い海なので、砂浜での釣りのように引きずれないから、何度も投げなおした。
青いベラが二匹(塩焼き)と小鯛一匹(刺身)が釣れた。
電気柵の下の草丈が気になるが、雨では畑に出られない。
管理を任されている果樹園と畑の草が気になるが、同様にできない。
2日続きの雨です。
今日も雨模様だが、小雨なら草刈に出かける予定です。
時々、東京の先輩に電話をする。
いつも夜寝られないと、ぼやいている。
朝も昼も、応える電話の声は、いつも寝ぼけている。
晴耕雨読で、図書館から借りて来た本を読んでいる。
今回は3冊。
平安寿子著「Bランクの恋人」(タイトルが面白かった)、
森毅著「元気がなくてもええやんか」(知ってる人で寝る時読むため)、
ジェイムズ・ヘネガン著、佐々木信雄訳「リブァプールの空」(翻訳ものを敢えて読む)
である。
特に、「Bランクの恋人」は、目が覚めるような考え方の連続で面白い。
2段ぬきではない、字が大きい本を借りている。
読んでいると、行が飛び、内容について行けず、何度も読み直す。
つまり、先輩と同じように居眠りをすることになる。
動かぬと、体重が気になるので、風呂に入って濡らさないように本を読む。
庭の向こうを時々人が通る。
施設に入った仲人さんが、日がな門を眺め、誰かがこけるのを期待する。
田舎の里道にしては、一日に10人は往来する。
そのうち、居眠りをして妻の笑顔(また寝てる)に出会う。
平屋の小庵は、「雨のち雨」を過ごすのに都合が良い。
家の裏には、段があり、前は低めの生け垣があり、共に開けている。
窓が3方にあり、家のどこにいても自然光だけで過ごせる。
もうすぐ、これでもかと晴れの日が続く。
家にいることが許されず、ヒーヒーハーハーと戸外を這いずり回る。
束の間の慈雨を楽しんでいる。
2023年5月7日

絵のタイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
若いうちは、なんでもやってみなはれ、言って見なはれ。
やらぬより、言わぬより数倍自分に還る。
口下手が 悪口言わぬ 近道と
今日のタイトルは、「屁でもない」です。
お調子者が、人から頼まれ安請け合いをする時に使います。
今回の空き家の草刈がそうでした。
木を伐ること自体は、問題ではなかった。
今度草が生えた時、草刈をしなければならない。
切った木を一所に運び、小枝と幹に切り分けて、それぞれを山積みにした。
空き家に続く耕作放棄地には、猪が掘った穴が多く落ちないよう苦労した。
全体作業時間の半分以上を費やしてしまった。
愛している女性の前で、良い恰好をする時に使います。
暴漢から守るはずが、ぼこぼこにされ、今後の人生を左右するほど脅された。
大きさを見せようと、やせ我慢をした。
女は、油断したのか、甘えたのか、他人の女房になってしまった。
友人の保証人になるときまで、「屁でもない」を使うことはない。
使う時を考えないと、頼んだ相手にかえって失礼になります。
人を好きになることは、損得を越えた感情です。
一瞬のときめきで、その後の人生のすべてを捧げることになります。
あの時の一言、「屁でもない」が、
あれっと思う行動に気づきつつも、
勘違いであって欲しいという甘い観測も、いつしか取り返しのつかないことになる。
何度繰り返しても、やってしまうのです。
「屁でもない」は、大胆さを助長する言葉ではありません。
心では思っても、決して口に出さぬことです。
口から出た途端、他人に誤解を生み、自分をだますことになります。
私事ですが、大いに反省していますが、取り返しのつかぬことばかりです。
それも、これも、言った上にやらかしたのは自分です。
事実だけが残り、受け取るしかありません。
2023年5月6日
屁でもないとは、
非常にたやすいことである。
とるに足りないことである。
(広辞苑より)

絵のタイトルは、「距離感」です。
昭和記念公園の日本庭園で、ある女性が盆栽を見ておられました。
興味を持っても、いきなりは近づきません。
そのうち、どうなってるのと15cmから見る。
面白い。
それからはまるのです。
はずれモノでもよいではありませんか。
手に取ってみなければ、温もりも重さもわかりません。
今年初めての釣りに行った。
干潮まで数時間の時は、魚が食いついた。
干潮近くなると、まったく当たりが無くなった。
早々に引き上げることにした。
帰りに、漁師の友人を訪ねた。
チヌ(内臓と鱗をとったもの)と牡蠣(殻付き)をもらった。
釣ったチヌをいけす(1m巾x2m長x1.5m深の籠)に入れて保管している。
チヌは、かぶせ釣り(牡蠣を割り、身に針をつけ、牡蠣殻を重りにする)で釣る。
牡蠣は、岸壁に張り付いたものを使う。
彼の畑には、牡蠣の貝塚があった。
今日のタイトルは、「夕飯」です。
チヌの刺身とお吸い物(チヌの骨で出汁をとり、春菊をいれた)。
わかめ(釣りの時、漂っていたもの)と胡瓜の酢の物。
牡蠣(殻付き)を蒸したもの。
お茶は、畑の端に生えている新茶を、摘んで揉んで乾かしたものです。
まだ、生臭いのでフライパンで炒ってほうじ茶にすることにしました。
翌朝は、吸い物をベースにした液卵に、チヌの切り身と牡蠣の身を入れた茶碗蒸しを作った。
出汁が効いて美味しかった。
タダの材料を使った豪華な夕飯だったと記事を書いています。
島に住み始めて、草刈に明け暮れています。
やりたくてもできなかったことを、やっているような気がします。
会社に勤めていても、休日に釣りに行ったり草刈ができます。
今は時間だけはあるので、とことんできます。
納得いかなければ、ベテランから学び、またはできるまで練習できます。
野菜のリベンジは来年になりますが、4-5年もやればなんとかなります。
耕作放棄地に生えていた雑木の根や、篠竹の根さえも掘り起こせるようになります。
夕飯は、島で採れたものばかりです。
自給自足をするつもりはありません。
あきらめなければ、道は開けるようです。
2023年5月5日