故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

個から集(Part3)

2022-09-21 07:16:41 | よもやま話

絵のタイトルは、「またね、お元気で」です。
庭に来た猪や狸にさえ、こう言うのです。
獣は、食べられてたまるかと、横目に去っていく。


どん底に きらりと光る 汗みどろ

経験がない大雨と風を吹かせた台風14号が、日本を横断し温帯低気圧になりました。
秋風が吹き始め、毛布を一枚増やしました。
今日のタイトルは、「個から集(Part3)」です。

家族から離れるほど、家族想いになる。
家に暮らしていたら、片づけ(断捨離)はきっとできなかっただろう。
望まぬまま、移住を繰り返し、「死んだまんま」の空き家に住み続けました。
誰もが片付けたいと願うものの、修繕したいと望むものの、増えるごみの山が日常となる。
集(家族)が個となり(壊れ)、あがきあきらめる個の現実を見ることになりました。

60過ぎの再婚を機に、新しい人生を歩み始めました。
それぞれの家族と暮らしていた時できなかったこと。
その理由と解決方法を知ることになりました。

成功体験が、新しいスタート(断捨離)の邪魔をする。
楽しかった過去の想い出を捨てられない。
忘れられない成功経験が、記憶に摺りこまれている。
何しろ、ため込むのが楽しかった。
家族が増える。
地域や社会の求めに応じて、山の上まで開墾した。
成功体験を見直すチャンスを自ら捨てた結果が、空き家であり過疎でした。

私達は、それぞれの家族からはがされるように一緒になりました。
60過ぎの結婚は、「家族が減る」という感じです。
私達は、「食い詰め者(世捨て人)」か「逃避行者(駆け落ち)」とみられました。
長年かけて築いたキャリア(社会的地位、プロフェッショナル)は、無になりました。
地縁血縁がないうえに、子供がいない年配者です。
その地域では、なんの役割も与えられませんでした。

誰に臆することもなく、一日中雌竹を伐りました。
妻からは、気が振れたと危惧されました。
楽しくて仕方がなかった。
開かれるにつれ、パゴダ(かつて栄えた陣屋通りとカフェ)が現れて来た。
「死んだまんま」の家のゴミを捨て、こうしたかったんじゃないかと修繕した。
暴れまわる個のエネルギーが化学変化を作り始めた。

耕作放棄地が黒々とした畑に代わり、住んでもいいかなの家に変わった。
埋まれし土砂を剥がし磨いた結果、パゴダはそこに昔からあったようなカフェになった。
開店後すぐに閑古鳥が鳴いた。
地元優先のカフェにしようと、新橋・中野・野毛に負けぬ安さと美味しさを追求した。
6次化(耕作放棄地で作った自家製野菜を料理し、カフェのおまかせ料理に使う)を試した。

さらに移り住んだ島での暮らし。
空き家の持ち主は、「家だけじゃない、畑も山も一緒に」と押し付けた。
要らぬ畑を開墾しようとしても、アプローチできない。
先ずは、道に続く耕作放棄地の開墾から始め、やっと畑に入れるようになった。
自分の畑が落ち着くと、隣地の耕作放棄地の草刈を始めた。
遠目に見ていた持ち主(90歳超)が、さらに開墾してくれと自分の畑を指さした。
ビールが先に届いたからには、辞められぬ。
そうして、一つの谷合に風が抜けた。

「個から集」があるのです。
90歳超の個は、集に頼むこともできなかった。
期せずやってきた変人に、集を見た。
私達は、家を出たからこそ新しい暮らし方を見つけることが出来ました。
恐ろしいほどの化学変化の熱にうなされそうです。
この熱は、尽きることがない。

2022年9月21日

(筆者からのお願い:時間がある人はハイライトを押して過去の記事を読んでください)
2021年10月8日投稿記事「個から集(Part2)」では、
「私達は、世界人です。そして宇宙人です。悠久の時を生きています。
堂々と、個を生きればよい。
個があってこそ、集なのです。
個(原子)は、エネルギーの尽きる迄動き回る。
あちこち、ぶつかりながら。
留まることなんてないのです。」
(記事より抜粋)
2020年7月5日投稿記事「個から集」では、
「個があって 集入りし溶き(時) 混ざる色」
(記事より抜粋)
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転職への恐怖

2022-09-18 23:42:47 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「あんた誰、私ね」です。
どこに行っても、言われることは同じです。
三年もいれば、旧知の仲です。


食ってみて 苦けりゃ吐けと 親鳥が

今の若者たちは、将来に不安を抱えている。
失敗してはいけない。
消費を抑えて、新入社員の頃から将来を見据えて貯金をする。
消費をしないから、物が売れず、企業の経営状態が悪くなる。
在籍している企業に残るも、思うほど給料は上がらない。
負のスパイラルと言われています。

今日のタイトルは、「転職への恐怖」です。
転職は、望まぬ仕事に挑戦することである。
転職後3年間は、その会社の本業は回ってこない。
転職での給料アップは、自分の時間の切り売りの代償である。
会社は、転職者に組織とノーハウを一時的に提供するだけである。
転職したからには、それまでの経験をすべて生かす。
あとは自由にやれるか試される。

最初は、自分は何ができるのか、したいのか分らぬままに会社を辞めました。
社会に出るのが三年遅れて、同い年の上司を越えられないと言うのが動機でした。
3人目の子供が産まれた時、経験が無いサービスの仕事をすることにしました。

転職した外資系会社で、人材が手薄な仕事が次から次に回ってきました。
9年間働いた前職の経験が活き、力を発揮できました。
外人の方がマネージャーでしたから、日本人はどこまでもサポーターでした。
一年がかりで、エンジニアリング会社に転職しました。
給料が上がるにつれ仕事の内容はきつくなり、働く時間も増えていきました。

エンジニアリング会社に10年勤めてリストラされました。
10年前に辞めた外資系の会社にマネージャーとして再転職しました。
マネージャー職を解任され、クレーム処理係が回ってきました。
クレーム処理が終わったら、営業職に回されました。
到底届かない売上を確保するために、エンジニアリングの仕事を受注しました。
年初にコミットした目標を達成することで、10年間働くことができました。

リストラされた会社に、外資系の会社と大きなプロジェクトをやるために戻りました。
残念ながらそのプロジェクトは頓挫し、もう一度リストラされました。
20年間で、同じ会社2社を行ったり来たりしたことになります。
両社で、プロジェクトを請け負った会社にエンジニアリング責任者として再就職しました。

転職前は、リスクは個人が背負うと思いがちです。
転職後は、受け入れる会社にとってリスクです。
転職に怖気づく負のスパイラルは、国家のリスクです。
畑が違う職でも、体系は同じです。
Aの会社の悩みは、Bの会社の悩みでもあります。
営業では、5%の成約率でした。
あとの95%は、次の挑戦のためのよい勉強になりました。

負のスパイラルをブレイクするには、
国家と個人がそれぞれリスクを背負わなければなりません。
「転職の恐怖」なんて言ってられないのです。
案外、産むがやすし。
リスクに挑戦してこそ、道は開かれます。

2022年9月18日
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田舎は学びの宝庫(Part2:人間関係)

2022-09-16 11:37:23 | よもやま話

絵のタイトルは、「菰の雪囲い」です。
この風景が好きなんです。
地域の人には、ちんぷんかんぷんです。


慌てない 機が熟しても 天の声 

旅の間に、廊下を越えて畳の端まで陽ざしが伸びていた。
ゴーヤに枯葉が目立つようになった。
島に来て初めて知った、猪の餌あさりが最盛期である。
10月半ばになると、山に帰り繁殖を迎える。

今日のタイトルは、「田舎は学びの宝庫(Part2:人間関係)」です。
「おはよう」代わりの「どこへ行くの」がたまらなく嫌で田舎を飛び出しました。
ガキの頃、出かける場所は正直に言えないところばかりでした。
今思うと、大人も出かけたいけど出かけられない事情があったのです。

田舎で人間関係を築くなら、先ずは自分を知ってもらうことです。
知らない場所に移住した時、3人の暇なお年寄りが、畑をやっていると声をかけてきます。
1年目は3時間/人が、2年目には1時間/人になり、3年目には挨拶だけの5分/人です。
ところが、島に移住し、島の産まれと説明すれば、始めから5分/人です。
この違いは何でしょう。
島には私達の親戚も多く、家として認知されています。

次には、何ができるか知ってもらうことです。
閉鎖的な田舎では、先祖伝来の土地が耕作放棄地になろうと、誰かに譲ることはありません。
時給1000円で手伝うか、無償の草刈ボランティアを始めます。
玄関の前に積まれた野菜は、誰が届けてくれたのか。
推測が付くようになってから、付き合いが始まります。

三番目に、何が得意か伝えることです。
IT関係のリモートワークをしていると言っても理解してもらえません。
スマホやコンピューターの使い方の手伝いをする。
好きなパン作りや釣った魚を配り食べていただく。
お礼に届いた野菜を材料にした料理を作りお返しをする。
私は、お礼に似顔絵を描きました。

コミュニケーションが取れるようになってから、
何故ここに来て、何がしたいか伝えればよいでしょう。
ここの景色が好きです。
ここで、こんなことがしたいと思いました。
親切にしていただいた人とばかり付き合うと、他の人に疎まれることがあります。
地域には、地縁血縁の他、仲良しグループが存在します。
田舎も都会もありません。
年寄りになったら、最低3つの付き合いを始める。
どれかの付き合いには、苦手な人がいますから。
これは、どこでも変わりません。

移住のスタートは、面接のプレゼンテーションと同じです。
始めから、現場は嫌い、営業は無理、設計や開発がしたい。
これでは、採用する側も戸惑うばかりです。
描いた自分の理想像で暮らしたいと言っても通じないのです。
意を決して移住したのに、自分がしたかったことが出来にくくなるはずです。

2022年9月16日

2022年8月11日投稿「田舎は学びの宝庫」では、
「都心まで、公共交通機関でわずか一時間です。
島の細い道を車ですれ違うと、知らぬもの通しが手をあげます。
過疎と戦う田舎です。
東洋の端っこだった日本が、多くのことを発信しています。
東京が、田舎から学ぶ時が来るのでしょう。」
(記事から抜粋)
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どこが我が家か

2022-09-14 11:54:40 | よもやま話

絵のタイトルは、「おーい」です。
呼ばれた先が、帰るところと決めている。


単身者 札幌福岡 泣き別れ

我が家と呼べる場所を知りません。
百年の過客状態です。
今日のタイトルは、「どこが我が家か」です。

囲い女の家から、家に帰る。
いつも通りに接してくれる、妻の視線の端に冷たさを感じる。
憩いの場とは言えません。

囲い女の家だけが、憩いの場と感じています。
約束違いの日に訪ねてしまった。
女はいるはずなのに、出てきません。
ここも、憩いの場ではありませんでした。

私は、死ぬほど嫌いだった故郷を出て、半世紀が経ちました。
目的(転職、転勤、家族の都合)別に、渡り歩きました。
年間100日以上、現場と営業出張で、家を空けました。
故郷にやり残したことがあると、昨年故郷に移住しました。

再婚を機に、横浜の自宅を出ました。
やっと、終の棲家を故郷に見つけました。
「帰る」と言う言葉を、いつの頃からか使えなくなってしまいました。
どこが我が家か。
沖縄の亀甲墓が教える母の胎内なのか。
福岡の人は、「いつ来ると?」と聞いてくれます。
私から言うと、「行く」なのに、相手の立場で話してくれます。

今では、我が家はどこでもよいと感じます。
かつて住んだ場所に着いたら、「帰った」ということにしましょう。
だって、その時々一生懸命にその場所で生きたんだから。
死んだらどこに行くのでしょう。
解らないことは、考えないことにしました。

2022年9月14日
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あれあれ、できちゃった

2022-09-12 07:04:38 | よもやま話

絵のタイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
そう来なくっちゃと思う反面、少し寂しい爺なのです。


こりゃ無理だ そびえる崖も 一歩から

案ずるより産むが易し。
物事は,実際に行なってみると,事前に心配していたほど難しくはない。
(ことわざ辞典より)

世界一入りにくい居酒屋に入った。
親父をはじめ、見るからに怖そうな客層です。
一杯飲んで話しかけた。
関西人も顔負けのユーモア人ばかりでした。

今日のタイトルは、「あれあれ、できちゃった」です。
東北で、広島で高木を相手に切り刻んできた。
横浜の家の猫の額ほどの庭に、10mの木蓮がそびえている。

隣地から伸びた枝が、我が家の屋根の半分を覆っている。
屋根まで上がれる単管足場を知り合いの業者に依頼した。
7mのひな壇の上の庭に生える10mの木蓮の伐採はどうかと業者に相談した。
今すぐ切らないと切れなくなるだろう。
方法は、レッカーに籠を付けて伐るという。
娘が、「お父さん、風の強い日は木蓮が揺れ、家も揺れるわよ」という。
妻に、電線にかかっている枝だけでも切らなければと、発破をかけられる。

ではと、梯子を幹に括り付け、安全ベルトを腰に巻き昇った。
引けば、紙を切るかの如く枝が落とせる鋸を持ってきた。
5分で、電線周りは解決した。
試しにと、短い枝から刈り始め、幹を伝って降ろしていく。
広島のおじさんの家の10mの金木犀を、4mに切り下げた経験が生きた。
それならとエスカレートしていき、3時間後には葉っぱがついている枝を全て切り落としていた。
広がった枝は、直径の2/3だけ切り、折るように残る枝にもたせ掛ける。
枝を確保したのち、切り離し幹側に引き寄せ、降ろしやすい長さに小枝を払う。
短くした枝を幹伝いに降ろす。
妻が幹回りで降ろす枝を受け取り、息子と娘が玄関前のスペースに運ぶ。
玄関に入れなくなるほど枝が積まれた。
半日がかりで、切った枝を4人で束にした。
クリーンアセンターに運ぶ40束は、乾燥のため猫の額に積み上げた。

しばらくは、道路にたまる落ち葉と花の掃除をしなくて済むだろう。
台風が来ても、家も揺れなくなるだろう。
業者の鼻を明かせた。
やれば、案外できるものです。
近所の雀たちが、昨日まであった迷惑木蓮を指さしながら話をしている。
10年の草刈り修行をした私は、天狗になった。

2022年9月12日
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