故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

帯広長屋横丁

2020-01-16 10:19:04 | よもやま話

府中市役所前で見た彫像です。
タイトルは、「寒くなーい」です。
若いころ裸体を見た時と少し変わってくるのです。


記事の内容に応じて、その日の絵を決めている。
今日はどんな絵になるか楽しみである。
今日のタイトルは、「帯広長屋横丁」です。

私は、元来胃腸が丈夫なのかこれまで大病もなく飲めてきた。
酒を飲まずとも多くの失敗をしている。
酒のせいにすることだけは避けたい。

帯広で、製粉工場の建設に携わったことがある。
営業でありながらプロジェクトマネージャーもした。
建築との合同会議に出席し、部分最適より全体最適を目指そうと提唱した。
なぜこの梁、開口が必要なのか設計段階で建築側に要望し建築の構造設計に反映していただいた。
寒い帯広の工場での全体空調に機械の排熱も利用するよう発案した。
その会社は、製粉工場を建設するのは初めてであった。もちろん操業をしたこともない。
九州の製粉工場に依頼し、帯広のオペレーターたちを九州に案内し工場見学をした。
帯広の工場の運転開始には、九州の製粉会社にオペレーター教育をしていただいた。
どちらも、切羽詰まった要望であり快い協力であった。

私は、仕事で地方に出かけると飲み屋さんを探すのが楽しみでもある。
まず、地元の方に情報をいただき自らの足で時間をかけて探すのである。
あるときは、飲み始めるまで一時間もかかる。
帯広には長屋横丁がいくつかある。三つめか四つ目の横丁に行き当たった。
ボンカレーの古い看板が横丁の入り口にあった。女優の松山なにがしかの看板である。
トリスの看板があったり、金鳥の看板もあったりして、レトロそのものであった。
トイレは、横丁に一つだけ。
入り口から三軒目に入った。お客さんが多かったからである。
8人も座れば満杯のお店であった。初めての店はカウンターに限ると決めている。
頼みもしないのに、次から次に小さなつまみが私の前に現れた。
私が頼んだつまみは、隣の客にも出ていた。
大柄で色白のおかみさんが、店主であった。
一つ作るのも二つ作るのも同じ手間と言われた。
つまみが縁で隣の人と、また他のお客さんと話をするようになった。
いつしか、店は同じ話題で盛り上がっていた。
おかみさんは、白系ロシア人のハーフだと言われた。
戦後、引き揚げてきたときから目鼻立ちが違うことでいじめられたとも話された。
私は、滞在期間中毎晩その店に通った。気に入ったらとことんである。
通うごとに裏メニューを食べさせていただいた。
そうして各地に行きつけの飲み屋さんができてくる。
年間100日以上出張していた頃の楽しみであった。
どの店にも、思い出がある。
一緒に行ったお客さんとさらに仲良くなったのもそんな店でのことである。

でも、もう一度行きたいかと今問われたならば、答えは「もういい」です。
年賀状も年々減っていき、友人と思っていた会社関係者とも今は付き合っていない。
張り詰めた緊張をほぐすこともない。
贔屓の店も変わってくるのである。

油もの 食べて元気に 今もたれ

2020年1月16日

<<あとがき>>
調子にのって、昨日もゴルフに行きました。
ここでは雪でも、ちょっと南のほうでは雨でした。
やっと晴れたのは、午後からでした。
午前の不調を回復することもなく散々な結果でした。
1.5ラウンドどころか、二日連ちゃんはさすがにきつかった。
コメント
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