タイトルは、「すてき」です。
自画自賛です。
今日のテーマは、「移住の自由(Part2)」です。
2019年3月28日投稿記事「移住の自由」では、アメリカに移住された山下教授の話を引用しています。
米国で天才賞とも言われるマッカーサー・フェローシップ賞を2011年に受賞し、
ネイチャー誌をはじめとする様々な著名科学雑誌で発生生物学に関する研究成果を相次いで発表する
ミシガン大学の山下由起子教授。
(記事抜粋)
米国は決して完璧な国だとは思いませんが、自分が移民になったことはとても良かったと思います。
移民になると言葉も通じないですし、もちろん大変です。
しかし、自分がよそ者になると、ステレオタイプの期待をされなくなります。
私は何も期待されていない、ああしろ、こうしろ誰にも言われない。
ものすごく自由になりました。それが良かったです。
(記事Forbes JAPAN 編集部 2019/03/27 18:00より)
さすが、仕事を残される方は切り替えも早いと感じました。
この地域に来るまで、私なりに仕事をしてきました。
それが買われて、地域おこし協力隊員として採用されたと信じていました。
その期待は、大いに裏切られました。
結論から言うと、それがよかった。
山下さんが言われる「何も期待されない」孤独感を感じました。
地域おこしは、私にとって実験的なプロジェクトでした。
もっとも難解で、時代があらゆる解を求めていました。
自分に何ができるのか、確かめたくてこの仕事を選びました。
まず、地域に溶け込むためにあらゆるイベントに積極的に参加しました。
SNSで地域から発信し、多くの方に知っていただくことから始めようとホームページを作りました。
ホームページで何を伝えるのか大いに悩んだ末、伝えることはすぐに底をつくと感じました。
地域を知らぬものが発信するホームページは意味がないと、一年で閉じました。
紹介していただいた地域の方と、もう一度会っていただく機会を作ろうと似顔絵を描き始めました。
顔と名前を一致させるために、似顔絵を描く時間(一枚当たり2.5時間)が脳に刻み込む。
何をする人と、遠巻きに見られている感じがしました。
これまで経験したことがない無力感と寂寥の日々でした。
そして、こんな扱い(流れ者か食いつめもの)は経験したことがありませんでした。
真っ白な紙に墨汁の一滴をこぼす。
空き家とは、「死んだまんま」であり、引き継いだものも放置する。
何とかしたいが、日々の暮らしが優先される。
そんなジレンマに耐えかねて、見て見ぬふりをするしかない。
「何も期待されない」のであれば、好きなことをしようと考えました。
かつて中心であったセンターに空き家が目立ちました。
放置された家や庭が無残でした。空き家は鬱蒼とした庭木で隠す。無かったものにする。
かつては、どうだったのか知りたくて空き家に入り、
持ち主の許可をもらい庭木の剪定をさせていただき草を刈りました。
飽き足らず、耕作放棄地に繁茂したしの竹を伐採しました。
ますます、何をする人と思われたようです。
プロジェクトの手法、「見える化」に取り組んだわけです。
来る日も来る日もしの竹を刈る。
現れるかつての繁栄の姿。
誰にも教えない。見つかってたまるか。
楽しくてしかたがなかった。
遊んでいると思われるのも癪なので、イベントにはさらに積極的に参加した。
ただの人(ボランティア)でよい。
これぞと思われる人を訪ねた。
有機農法を専門書を読みながら続けている人に会った。
この方の畑は、手で掘ることができた。
畑には、草がない。しかし、アクセスする農道は草だらけであった。虫を畑から農道に誘導していた。
私にB級品を売ってくれていたが、お金をとらなくなった。役立ててもらいたいと言われた。
効率の悪い板金を生業としている人がいた。
かつてのおんぼろ名車を、納期なしで新車にする。
事故車を短納期で仕上げる。
プロジェクトで教えられた、ピークカットの手法であった。
素晴らしい。手を抜くと、3年目にばれる板金の仕事です。
面白そうだから、「手伝わせてくれ」と地域の方が話しかけてきた。
では、手伝わせてやるかとお願いした。やせ我慢も限界でした。
期待されない自由は、レールも地図もない。託宣だってありはしない。
草を刈ると、持ち主が一万円くれた。草を刈り続けているが、今は来ないしお礼もない。
隣りの空き家の持ち主に草を勝手に刈ったと怒られた。
知らん顔して毎年刈るものだから、「盆が近いから、刈って」と電話がかかる。
仕事が忙しく、草を刈ることもできない。かつての大地主の子どもが知らぬ顔です。
その人も私に任せてくれて、近所に気兼ねなく仕事に精を出す。
畑を手伝ってくれていた子供が病気になった。畑は荒れ放題です。
私に畑を貸してくれているよしみで放棄地の草を刈る。さらに使ってと頼まれた。
草を刈るだけで、心労がなくなるんならそれでよい。
私は、好きな草刈ができる。
こうだったら良いかなと、木々の剪定ができる。
草刈を続ける空き家通りに散歩をする人が増えてきた。
しめしめである。ついでにカフェに寄れと思うがそうはいかない。
何かができる「何も期待されない」自由があった。
これが、一番学んだことであり嬉しいことでした。
都会じゃ絶対できないことでした。
嫌いだね 好きになるとは そして骨
2020年1月25日