故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
タイトルは、「炙り良し煮てもよし、脇役」です。
脇役が主役になることはない。
脇役だけでも味気ない。
主役に頑張ってもらうしかないだろう。
民泊を予定していたが、対象の家は手つかずのままである。
民泊のために補助金を申請しようとした。
3年間縛られる(補助金の対象事業をやめたら自己払い)ことが嫌で、認められた補助金を辞退した。
では、民泊事業をやめたかと言うとそうでもない。
お世話になっている大家さんに恩返しのつもりで片づける予定である。
片づけた後のことは、また考えることにした。
カフェだって赤字なのに、さらに民泊まで手が広げられない。
今日のテーマは、「粉飾残業」です。
仕事をしていないのに、残業を申告する。
残業代が無ければ、生きていけないほど安い基本給だから。
仕事が終わらないから、残業をする。
しかし、労働基準法により残業時間の上限が決められている。
だから、残業してもしないことにする。「粉飾残業」である。
係長から課長にするぞ。と脅される。
係長の残業代+給料は、課長の給料より高い。
係長でいたいと、昇進を拒否する。
移動手段も情報交換も格段に進歩した。
単純な手作業がロボット(自動機器)に変わってきた。
下請けに出して単価を下げた。安い労働力を求めて海外進出した。
それでも能率と労働単価は上がらない。
コンピューター(システム含む)と自動機器の導入費用を賄わなければならぬから、人件費を削減する。
かつて勤めた外資系企業のこと。
外国人がマネージャーの時は、残業することは恥じることだった。
アフターファイブは、有意義な時間を過ごせた。
現地法人化を進めて、日本人のマネージャーに代えてきた。
残業が増えた。年俸制のため給料に増減は発生しなかった。
しかし、売上は減少した。顧客の信頼を失ったからである。
これまでは、外人のマネージャーは電話一つで困りごとを解決できた。
日本人のマネージャーに変わった時、能力と決裁権がないためペーパーが俄然増えた。
お客さんと話し合われたことは、常に本国の承認をとらなければならない。
ペーパーは、倍増した。ペーパー作成の業務が残業となった。
ペーパーレスとは、コンピューター管理(紙を減らす)することだけではない。
現場に決裁権を降ろして、稟議の仕事を減らすことでもある。
外国人がマネージャーの時は、現場に決裁権があったのである。
言葉の壁ではなく、信用(顧客と会社、現地と本国)の壁が会社内で立ちはだかった。
ペーパーで現状説明のため、証拠(書類)を作成することに力をいれることになった。
ビジネスの速度を失い、売上を減らしたことになる。
「粉飾残業」を経営者は警戒する。働き方改革で時短を迫られているからだけではない。
真の問題を把握できないからである。スキルアップに逆行した行為が残業である。
問題が見えないから対策が遅れ、企業の力が削がれていくことになる。
今や、残業ゼロを鵜呑みにして喜ぶ経営者はいない。
だって、定時を過ぎても会社の電気は煌々と灯り、
個人に与えたコピューターは稼働し続けているのである。
組織として働き方改革を考えなければならない。
現場が強くなるためには、責任と権限(決裁権)を与えなければならない。
忖度で上ばかりに気を遣うようでは、現場(チーム)を強くはできない。
社内の風通し(本当のことがいえる)をよくするにはどうするか、経営者の知恵の絞りどころである。
いずれは、若い人が多い東南アジアの国々に追いつかれ追い越される。
それでも、ものづくり立国としてやっていく選択をするなら、国際化は避けられない。
柔軟な対応とは何なのかこれからも考えよう。
下剋上 仕組み変えても 果たせぬか
2020年1月24日
タイトルは、「僕一人で渡れるよ」です。
子供の成長は早い。
4歳で子供の恩返しは終わりです。
今日のタイトルは、「ベストを尽くす」です。
パー5で、パーオンできる距離まで飛ばした。
あと130ヤードです。当然狙いました。
残念ながら、池に入れました。入れたところからもう一度挑戦するも、またも池に入れました。
あとは、ずたずたでした。
あの時、池に向かって下っている地面に気づいていたら、違うクラブを選択できたのにと考えた。
中学生が取り組む地域づくり発表会に、市民オブザーバーとして参加した。
講師扱いの市民として、中学生に多くを語った。
ブログで考えていることが、言葉となった。
代表と思われる女の子たちと言葉を交わした。
「色々調べて、頑張ったね。発表もよかったよ」と応援した。
ところで、私の話は理解できましたか。と尋ねた。
「視点が違って、面白かった」と言ってくれた。
子供の発想は、時として大人を動かす。
市役所の目安箱に投書して、行政を動かす。
彼らが、市民の健康のためにと「地域内の素敵な散歩コース」を提案した。
コースの途中にトイレが一個でも設置されるか、自由に貸してもらえるとよいですね。
作ってみたいパンがあるのなら、カフェに来て作ったら良いと誘った。
こんなんがあったらええな。
こんなことしてみたいな。
若い人に、大いに言って欲しい。
手伝うのは大人です。
「ベストを尽くす」は、想いから始まります。
はいはいが 伝い歩きに くそばばへ
2020年1月23日
タイトルは、「お座りになって」です。
なんの変哲もない座りにくそうな木製椅子です。
赤いルージュの唇を足しました。
いや、これはぜひお近づきになりたい。
妻が、「バーカ」と言っていました。
昨年から年金生活者になった。
カフェを経営している。昨年はわずかに赤字でした。
しかも、私は無給で、妻にわずかな報酬を出すだけであった。
これではいけない。
地域の方に相談し、値上げをすることにした。
ほとんどの商品を50円値上げした。持ち帰りの際の容器代も50円(原価分)いただくことにした。
伴って、お任せ料理も500円/人値上げした。
これでやっていけるのかと心配してくださった来客者も応援してくれる。
今日のタイトルは、「プレゼント」です。
りんごのB級品を、地域の方のご厚意で破格の値段で譲っていただいている。
りんごたっぷりのアップルパイは、売っている。
りんごジャムはリピーターにプレゼントしている。
保存料を入れてないから、冷蔵保管で早めに食べてくださいと伝えている。
ジャムが欲しいから、値段をつけてくれと言われる。
値段をつけると、美味しいを阻害する保存料を入れなければならなくなる。
辛いところである。
悩んだ結果、妻はりんごジャムを練りこんだパンを新製品として売り出した。
ヨーグルトも入れている。煮りんご(数片)も包み込んだ。
人気は上々である。
私たちは、共に年金生活者です。
カフェ経営は、リスクを伴います。
リスクヘッジをしなければなりません。
消費税も上がったことなので思い切って値上げすることにしました。
新橋、中野の値段で飲み食いしてほしい。これが夢でした。
もう一つ大事なリスクヘッジは、想いです。
来店客に喜んで欲しい。私達も他では得られない満足を得ています。
都会生活ではできないことです。
大好きな野菜づくりをし、採れた安全・安心の食材でお任せ料理を作っています。
さらに、考えました。
私達は、年間お中元とお歳暮で10万円(送料含む)近くの経費をかけています。
会社勤めの頃に較べたら小さくなっています。続けたいと考えています。
同額の贈り物をいただいています。
各地の名産(酒、菓子、珍味)をカフェのリピーターと分け合っています。
私達だけでは消費できない量です。
プレゼントは、カフェでできるもので代用できないか。
野菜と併せて、「ふるさと便」をプレゼントする。
菓子作りが得意な人には果実や野菜のB級品も候補の一つとする。
とりあえずは、私たちの経費節減です。
現段階は友人たちに送るプレゼントです。
将来は、販売できないだろうか。つまり、モニタリングです。
ここでしか採れない特別美味しいトマト、かぼちゃや果実も紹介できる。
私達が作る「美味しい」の詰め合わせを届ける。地道な活動です。
ここに来て4年です。
1、2年目の耕作面積は、半反でした。作った品種は10数種。
まともに採れたものは、芋類(じゃが芋、里芋、さつま芋)だけでした。
3、4年目は、1反です。作った品種は30種。
地域の方のアドバイスもいただき、段々出来栄えもよくなり収量も増えました。
5年目から1.5反になります。家庭菜園のレベルを脱します。
品種も50を超えることになるでしょう。
作るだけではだめです。捌かなければなりません。
旬の野菜をご厚意でいただけます。プロが丹精込めて作った野菜です。
新鮮で安全で美味しいものばかりです。
お返しは、決まってカフェで作ったパンや菓子やお好み焼きです。
いただいたものは、ひと手間(筍は煮て、果実は加工)加えて、都会の友人たちに送っています。
それだけでは足りないことになるでしょう。
工夫がリスクヘッジです。必要に迫られた工夫です。
箱も包み紙(新聞紙)も無料です。スーパーであり、地域の方からいただきます。
妻がパン教室を開いています。
受講料はありません。原材料費に少し上乗せさせていただいています。
一月に一回、グループ4人が来られます。2年続いています。
編み物グループも週一回来られます。一人の女性がブラスバンド(トランペット)でした。
もう一人の方が、新たにトランペットを購入されました。
なんだか化学反応が起きそうです。
ひょっとしたら、妻のキーボードと合わせてバンドができるかもしれません。
私は、会場づくりと荷物持ちです。
80歳オーバーのお楽しみ会がやはり月一ペースで、カフェを使ってくれます。
最後には、カラオケで鳴らした喉を披露してくれます。妻は音頭取りです。
普段と違う発声は、身体によいらしい。カフェに来られる前に喉を鍛えておられるのです。
おばあちゃんと一緒に来た孫が、プロが使う30色のマーカーで絵を描いていきます。
なんだか面白いことが起きつつあります。
しかし、広報やSNSなどでオープンにはしません。
湧きあがる楽しみをじっくり醸成しています。
プレゼント 選び選ばれ 工夫積む
2020年1月21日
先輩の奥様です。
タイトルは、「良かった」です。
いっぱい心配したけど、助かった。
まだまだ生きるわよ。
お母さん頑張ってと息子が言う。
お母さんは、いっぱい頑張ったよ。と私。
かみさんは、あっけなく亡くなった。
医者の診たては、あと2週間。正確そのものだった。
今日のタイトルは、「頑張って」です。
少し二日酔いです。できれば書かない方がよい。
少年野球の話。
コーチやサポートする父兄たちは、すべて経験者ばかりでした。
プレーするのは、小学生高学年の子たちです。
コーチの口から出るのは、ダメ出しばかりでした。
普段はとても優しい男です。
打たれてばかりのピッチャーで副キャプテンの男の子は、歯をくいしばって投げ続けました。
「頑張って」と両親は祈るものの言葉にはできない。コーチに預けた試合だからです。
「頑張って」という言葉は、時に残酷です。
技量が伴わない子にかける言葉ではないのです。
楽しんでとはとても言えない空気があります。
同じチームスポーツでも、野球はストイックで、サッカーはおおらかです。
素晴らしい野球選手でも3割しか打てないと言うのに、ストイックです。
1対1の対戦式だからでしょうか。
「頑張って」は哀しい言葉です。
こんなに一生懸命やっているのに、さらに頑張れというのか。
一生懸命の先にきっと良いことがある。と信じているからかけるのです。
でも、もうやめてと心が叫んでいます。
伸びきったゴムは、もう元の長さに戻ることはできない。
凍傷で足の指も手の指も感覚がなく、意識も遠のいていく。
愛しい人が目の前に現れたような気がして、見つめている。
涙も出ない真剣な眼で応援してくれる。
「頑張って」と押してくれる。
こんなところで終われないと、少しでも安全な場所に、にじるように移動する。
嵐が過ぎ、雪洞から這い出る。青空はどこまでも温かい。助かった。
「頑張って」に代わる言葉を思いつかない。
切なる願いの言葉です。
自分が当事者でないだけに、かけるしか術を知らない。
本当は、「楽しんで」と言いたい。
昨日の女子卓球のシングル決勝戦をテレビ観戦した。
伊藤美誠は、絶体絶命のピンチであった。
彼女は、口角をあげて楽しんでいるように見えた。
やるじゃないと言ってるような、そして負けないわと鼓舞していた。
その顔は美しかった。
頑張って すすきが風に 微笑んだ
2020年1月20日
絵のタイトルは、「今晩のおかず何にしようか」です。
朝ごはんを食べながら、妻が聞いてきます。
なんと気の早いことか。
そうじゃない、いつも困るのよ。
買い物前に聞いておかなければね。
そんな理由かな。
今日のタイトルは、「視野を広く」です。
時間軸を取り入れた視野について考えてみたい。
生きた道筋は単なる過去ではない。
橋田寿賀子さんのドラマは、どこまでも人間の性をえぐる。不幸のオンパレードです。
しかし、主人公はどうにか這い上がり過去より明るい未来を作り出す。
過去があってこそ今がある。
いろんな本を読むのも、筆者の過去(考えたこと)を学ぶことである。
自分の過去(経験)だけでは、広がりがない。
時間x能力は、かつての上司が言った言葉です。彼は、部下の現状を査定するために考えた。
私なりの解釈をつけると、
解決の糸口も見つからなかった過去を、時間をかけて修正する能力との相乗効果です。
エンジニアリングフィーが十分ではないプロジェクトを切りまわすのに、
少ないエンジニアーにマルチタレントを期待し、それでも足りない場合は協力会社の知恵も借りた。
自分だけの考えでは閉塞する。
一つをあきらめ、二つ目もやったってどうせ変わらぬと行動に鍵をかける。
一つの枠から出られないと覚悟し内面に向かう。鬱になりやすいのです。
時間をかけて他人の考えを学ぶだけでは効果は顕れない。
必ず行動に移すことです。
勝つために考える。目の前の試合だけ考える。まずは勝つこと。
自分のスタイルは置いといて、目の前の相手が苦手とすることを追うとテニスプレーヤーは語った。
過去何度も転職した。さらに高みを追いかけた結果である。
生き抜かなければならない一匹オオカミとなった。
自分の中の時間軸のことを言おう。
愛しい過去であろうが、忌まわしい記憶であろうがそのまま受け入れたい。
何度も折れかけた。
まだ可能性が残っていると、試してきた。
柳の枝のようになるまでには、程遠かった。
視野を広げるのは、今の目の前のことだけではない。
自らの過去と人類の歴史から学ぶことは多くある。
正しく見るために、目を背けない、そしてつぶらない。
苦いものであろうが、舐めなければならない。
苦みを知ることで、甘みにも気づくようになる。
そして、少しだけ他人の痛みを知ることになる。
それでも、まだ足りない。足りるわけがない。
分けることができてこそ、広がります。
自分だけの楽しさに終わらせない。分けるのです。
どうすれば分けられるか考えています。
今は、分ける以上のものがあると予想しています。
それは、共有だろうと思います。
共有は、一人ではできない。
仲間を作り、飛び込んでこそ始まる。
他人を知り、自分を覚る。
楽しいを、笑顔で表現できることから始まります。
一瞬だけはわかるけど、また下をむく。
その繰り返しが、私の過去です。
過去に視野を広げることで、今を修正し未来を開けるはずです。
そして未来を後悔しない。
弾けたぞ ある朝蓮が 開く音
2020年1月19日