絵のタイトルは、「ジン君ランク」です。
飼っていた犬の名が、ジンでした。
犬は、飼われている家族のランク付けが達者でした。
子供の成長の速さには、戸惑っていたようでした。
新しい年になりました。
昨年(2019年)、仕事を退職しカフェ一本の仕事となりました。
経済的には苦しくなりました。
気になっていること(片づけ、畑仕事、草刈・剪定、遊び、妻との意思疎通)ができるようになりました。
自分の置かれている状況が、より鮮明に把握できました。
今日のテーマは、「書いた記事は覚えている」です。
聞いた話は忘れるが、書いたものは忘れない。
書く時、なぜこのタイトルの記事を書こうとしたのか考えます。
掘り下げると、何故書きたかったのか。
書くために、自らを分析し思考の道筋をつけます。
起承転結とはいかぬまでも、頭の整理にはなります。
似顔絵を描くのは、会ってくださった人の顔を覚えるためでした。
「描いて」に応えるようになってから、描く枚数は激減した。
どんなことにも、理由がある。
書くのも理由がある。だから、続くと思う。
ブログを書くようになってから、話に幅ができた。
どんな話題にもついていけるようになった。
興味が広がった。
人と話していても、整理をつけた考えが思い出され、おさらいができるようになった。
つまり、引き出しが増えた。
気持ちが悪いもやもやは何なのか。
毎日、整理をつけられる。気持ちが落ち着くようになった。
もっと良いことがあった。
話を聞くことが苦痛ではなくなった。
話す人の興味がどこにあるか推測できるようになった。
書くことで、人の話を鵜呑みすることが減り、自分の思考回路を通過させられるようになった。
それは、さらに人に興味を抱かせることになり、
日々変化する表情、心情を読み取ることにつながった。
日記もそれなりの効果はある。でも、覚えることにはつながらない。
あったことを書きとどめるだけでは続かない。掘り下げるのである。
タイトルを決めて書くことは、脳の活性化になると実感できる。
年月を越えて、身体と脳が覚えていることが、書くことでつながる。
書くために、少しでも考える。それは、料理の仕上げの味付けです。
繰り返すことで、脳に摺りこまれる。
覚えることが段々とできなくなった。
これまでの素材をデータ化(記憶)し、場面に応じてつなげることが不得意になった。
能力低下を補助する工夫が書くことであった。新たな味付けをすることで新鮮な記憶となった。
タイトル通りの「書いた記事は覚えている」になるような気がする。
書くことは、五感を使う。
キーをたたき音を聞く、表れる字を目で見て判断し、そうかなと鼻を鳴らす。
最後は、指が覚えてくれる。勝手な想像です。
鴨撃ちも 山芋堀も あげたがる
2020年1月1日