故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

見積もりのプロ

2014-11-24 00:26:55 | プロフェッショナル


NHKの番組で、「プロフェッショナル仕事の流儀」があり、良く見ます。
出てこられる方々は、その道のプロフェッショナルです。

見積もりを依頼すると、必ず現場を見てくれる鉄工所の社長がおられました。
見積仕様書、工事工程表と図面を提出し、見積もりを依頼します。
見積もりを提出書類通りにされる業者が多い中で、現場を見てくれる
数少ない一人でした。

書類や図面に現れない段取りについて、現場を見たいというのが理由でした。

大阪、福岡や北海道での仕事もあり、そんな時は、その方の交通費と宿泊費は
私の会社で経費としてみました。
今回だけでなく、今後とも発注するかどうか分からないからでした。
食費も私の会社で支払いました。言ってみれば、当然のことです。
設計者と私で行く二人分の旅費(会社の経費)で、旅行業者に依頼して
4人分(見積側2人を加えて)の費用としたこともありました。同額でした。

書類には書ききれない課題とその解決へのアプローチが、現場には落ちています。
その方の見積もりは、高くもなく低くもなかったのです。
追加金額も請求されない代わりに、むやみな値切り(単に一律10%-20%を値引く)には
応じてくれませんでした。見積もりの中味を視て、段取り変えや仕様書の変更などを
した上で値段交渉をしました。
それには、応じてくれました。また知恵も貸してくれました。

社長は、67歳で鉄工所をたたみたいと言われました。
たたむのを3年間延ばしていただきました。会社には、貴重な戦力でしたから。
時には、合わない見積もりで発注することができない場合もありました。
社内のサービス部門に紹介しました。
川崎に工場を構えていた社長は、仲間の連絡網を駆使して、
短期で満足の行く仕事をこなされたようです。短納期が常のサービスにとっては
便利屋となりました。どんな小さな仕事でも、電話で受注はされませんでした。
必ず、欲しい部品のサンプルを見に図面をチェックしに頻繁に会社に顔を出すように
なられました。時には、機械設計者を連れてこられたり、
現場視察も忘れることはありませんでした。見積もりまでは無償で動かれたようです。

鉄材の配送兼倉庫として使用したい元売り業者と、
鉄工所の賃貸契約されるまで続けられました。
70歳でした。

若い設計者が見積もり依頼することが発生します。
そんな時は、足りない部分を補って見積もりをしてくれたようです。

今でも、各業者からの見積書を、私は必ずチェックします。
見積書は、発注側と受注側の無言の対話です。
良くできた見積書に助けられることも何度かあります。
見落としの見積書には、増額して発注することもあります。
見積仕様書を良く見ていない証拠ですが、いじめる訳にはいきません。

私達プロジェクトエンジニアーにとって、基準となるような見積もりを
してくれるプロフェッショナルは貴重です。なかなか出来ないことなのです。

2014年11月24日

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なにげない朝のひと時

2014-11-23 04:45:53 | よもやま話
話しかける女


話しかけられながら、書いています。
コーヒーには、ミルクを入れますか。
ミルクは、粉ミルクですか牛乳ですか。

どれも適当な返事です。
どちらもおろそかな感じで書き始めました。
笑い声にも負けないで集中しようとします。

荒井由実さんは、変装してスカイラークやカーサみたいな
郊外型レストランに行かれたそうです。
若い女性たちの話が聞ける場所に座って、何気なく取材をされていたと。
切ない女性の詩のモチーフになったとか。
本当でしょうか。さもありなんと思われます。

コーヒー牛乳が知らず置かれていました。
もう少し熱くするようにお願いしました。
私は、温度にこだわる方です。
温度によって味の印象が変わるからです。
フーフー吹きながら、味わう味噌汁。
熱く淹れたコーヒーをふーと優しく尖らした唇は美しい。

お焼きと一緒に熱くなったコーヒーが出てきました。
うん。バターの香りがほんのりします。

何かまだ話しかけられそうです。

時間は、朝4時半。

今日は一人ではありません。
大きな欠伸をする妻と一緒の時間です。

誘惑に負けて買ったという、お餅はいかがですかと勧められる。

読者の皆さんは、ここまで来ると
「勝手にやったら。」と思われるでしょうから、今日はここまでとします。

2014年11月23日


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プラス思考

2014-11-22 03:00:34 | プロジェクトエンジニアー
怖い時もあります



女は怖い。毎晩寝かしてもらえない。
前の職場にいるときに、向かいの席の同僚に話していました。
同僚は、私の白髪頭を見て、元気でお盛んなのが羨ましいと笑っていました。

大いなる勘違いです。
私は、今の奥さんと付き合い始めたのが1年と半年前。
彼女の生活習慣が理解できず、来るであろうメールや電話を待ちながら
携帯電話を握りしめて寝ていました。それで冒頭の弁になったのです。

本日の話題は、「プラス思考」です。
一年前に彼女に送ったメールから抜粋します。
格好良く見せようという魂胆が垣間見られます。
お許しください。
ばかばかしくなったら、「勝手にやったら。」と読むのをやめてください。

<<2013年8月4日のメール>>

さて、質問の件。

「私からの質問として、プラス思考はどこからそうなったのか、それを知りたいです。」

小さい頃から楽天的でした。兄や姉は6歳以上離れているので、
遊び相手には、なりませんでした。まあ、一人っ子みたいなものでした。
チビだけど、ガキ大将でした。皆を楽しく遊ばせるのが、得意でした。
中学校二年生から私は変わってしまった。23歳で観念するまで10年間もがきました。

この10年間、自分を否定し続けました。ひどいやつだと。
面白いと思うことをやりたい放題だったのです。どれも中途半端で終わりました。
何も残らなかった。虚しさと自己嫌悪だけが重くのしかかっただけです。
何時でも這い上がれると過信していましたから、マイナス思考ではなかった。
ただ、周りがハラハラしていました。かみさんも楽天家でした。
二人とも末っ子。しかしながら、私はプラス思考ではなかったのです。


明確に、プラス思考に変わったのは、39歳で現職についてからでしょう。

プロジェクトマネージャーは、繊細でありながら、大胆でなければ出来ないのです。

夢の中でも考えて、石橋を叩くほど繊細に準備をしなければなりません。
プロジェクトに入ったら、道を歩いても、食事の時も仕事のシミュレーションをしています。
これ以上、今の自分には考えられない位準備した自信のもと、鬼神のごとく大胆に活動します。
チームの人、下請け会社、顧客、建築会社のすべての人に、一人で回答しなければなりません。
常にその場で、瞬時に決断します。事故が起きたり、小さなミスが命とりになるからです。

自分は、持てる力を最大限出して戦っていると思えるからです。
決断するのは、恐いですが、逃げてはいられない。関係者全ての生活を背負っているから。
この仕事をしているとマイナス思考には、なれないのです。
常にベストソリューションを提供し続けなければなりません。
常に背水の陣です。
これがON。

OFFの時は酷いです。浴びるほど酒を飲みました。つまり、飲む、打つ、買うです。
典型的な馬鹿者です。

49歳でリストラに会いました。転職しました。39歳まで5年間働いた、
外資系の会社にもどり転職しました。
ここで、営業をやりました。これは良かった。
それまで技術系の仕事ばかりだったから。
人と関わりを持つことが私に幅を持たせてくれました。
外人とも、いっぱい付き合って、顧客のスタッフから社長まで広く、
深く付き合いができました。
顧客の立場に立ち、自分の会社に利益をもたらすと言う、
一見相反することをこなさなければ、両方から満足を得られない。
それまでの苦労がすべて生きました。

プラス思考はさらに強くなりました。なんとかなる。努力しなければなんともならない。
全人格で取り組む仕事です。調和がとれ、明るい人じゃないと、人との関わりはできない。
またこの人と一緒に仕事をしたいと思うこと、そんな友人に恵まれること。大切です。

今は、自然体です。

三年は、職場に慣れない。仲間と思ってくれない。
過去4回転職しました。
それぞれの職場で過ごした約10年間、腹立たしいこともありました。
しかし、その苦労がすべて私を後押ししてくれています。
人にも優しくなれるようになりました。
物事も表面だけでなく、いろんな方角から見られるようになりました。
働いた会社は三社。そのすべてに深い付き合いの友人がいます。


私には、まだまだ足りないものがあります。
あなたの最大、最高の理解者となるようにならないとね。

これからもよろしくね。

<<現在の感想>>
どこかで、人の人生は変わるものです。
良いこともあるし、悪くもなります。
責任は、すべて自分にあると気づくことがプラス思考の発端のような気がします。
誰の責任でもないのです。自分が変われば良いことです。

妻の最高の理解者になれているでしょうか。
これからのことです。

2014年11月22日

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感動

2014-11-21 00:37:10 | よもやま話
寝そべる女

椅子で今日も寝てしまった。
とてもよいのです。
もう少し、まどろんでいたい。トイレに行きたいのも我慢する。

妻に何度も布団で寝なさいと促される。
そしていつまでも眠りをむさぼっている。

今日のテーマは感動です。
皆さんもこれまで多くの人に、風景にそして物語に感動されたことでしょう。
私は、感動したことを思い出そうとしています。
すると、会った人たちのことが思い出されました。
風景より、物語より出会った人たちのことが思い出されます。

無防備で、会いたかったと言える人たちのことです。
つまり、あなたに会えてよかったと心底思っているからでしょう。
あなたに会えなかったら、自分の人生の一部分が変化していたと
思うからでしょう。

人を好きになるのは一秒もかかりません。
嫌いになるのは、多くの時間を要します。

感動とは、その時の一瞬をせっぱ詰った気持ちで生きている人にこそ
降りてくるようです。そんな人生を送る人は少ないようです。
感動できる自分でありたいとも思います。
一生懸命生きることは大事です。斜に構えることも時にはあるでしょう。
少しだけ、心に感動できるスペースを残しておきたいと思います。
スペースとは何でしょう。自分も含め人を許せることではないでしょうか。
人それぞれ理由があり、事情があり生きています。
その人に替わることもできません。
しかし、自分だけはその人から感動をいただけます。

私は、多くの人に支えられて生きてきました。
まったく身勝手に生きてきたように思います。
それでも、多くの友人が心を開いてくれました。
温かい付き合いが皆さんにもあるでしょう。
私にも居心地の良いスペースがあります。
そのスペースで過ごすために、少しだけ努力をします。
感動をいただいてばかりもいきませんから。

改めて感動とはなんでしょう。
解り始めているようには思います。
失望も含めて、まだ大きな感動がこの先あるような気がします。
それが感じられる自分でありたいと思います。

高倉健さんの生きざまをテレビで観て感じたことを書いてみました。

2014年11月21日

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プログラムエンジニアー

2014-11-20 06:13:15 | プロジェクトエンジニアー

 爽やかな朝

真っ白な紙に線を書き、色をつけていく。
勇気を要します。

すでに描かれた絵を修正する。

どちらが面白いですか。

無責任であれば、真っ白なほうが良いのです。
楽しいのです。

プロジェクトエンジニアリングの世界では、
プロジェクトエンジニアーは育つけど、
プログラムエンジニアーはなかなか育たないと言われます。

指示する側とされる側の違いではないのです。
新しい考え方を作ると言っても良いかもしれません。
今までにない手法を考え採りいれていくのが、
プログラムエンジニアーです。

苦悩の連続です。
一杯分析しなければなりません。一杯経験しなければなりません。
始めは思い付きでも良いのです。
普遍性(責任)が求められるようになると、とたん苦しくなります。
言われたことを実行するのは、練習すればできます。

多くの顧客は、出来上がったものにクレームをつけます。
それでは、もう遅いのです。
在るものを直すことは、容易とも言えます。
つぎはぎが見えなくなるように工夫をします。
そうではなく、一筆で仕上げてしまう勇気がいるのです。

プログラムエンジニアーは、何か変だぞと思うのがきっかけです。
これまでの手法を切り捨てる勇気が求められます。
広い視野の持ち主でないといけません。
今までにないものと言っても、他の産業や芸術文化では
すでに行われている手法をヒントにしても良いのです。

比較的、若い人がプログラムエンジニアーに向いていると言われます。
頭が柔軟で、チャレンジ精神が旺盛だからでしょうか。
これまでの世界を破壊できるエネルギーがあるからでしょうか。
そうであるはずなのに、若い人は意外と慣らされています。
尖った人が少なくなっているようです。情報に溢れているからでしょうか。
損得の基準が、お金だからでしょうか。
それとも、価値基準が理解できないほどの速度と広がりをもっているのでしょうか。

私は、やってみれば良いじゃないかと思います。
簡単なことから、自分のオリジナリティーを出していけば良いと思います。
極めることもプログラムエンジニアーの一つです。
挑戦もプログラムエンジニアーのとっかかりです。

私は、生涯プロジェクトエンジニアーです。
少しだけプログラムエンジニアーになりたいと思っています。
だから、いつも真新しい紙にものを書いていきたいのです。

自分への戒めとします。

2014年11月20日

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