故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

生き残る食品スーパー

2014-11-27 02:23:48 | プロジェクトエンジニアー


ある日、地方のスパーマーケットチェーンから問い合わせが営業に入りました。
一度説明に来てほしいという要望に応え、上司と二人で向かいました。

雪が舞う中を、スーパーマーケットの本部で二人の役員に会いました。
顧客は、弊社のある実績に興味を持ったということでした。
1990年代後半、建設したやはり地方のスーパーマーケットチェーン向け
精肉センターのことでした。

どのスーパーマーケットでも、鮮度を保ちしかも煩雑な注文に欠品なく
応えることを長い間課題にしていました。
鮮度を重視するため、当日早朝(午前0時)からパック包装し
開店(午前10時)まで届けるのが困難なため、店舗ごとに売れ行きに
応じてパックしていました。
大規模精肉センターで、大量にパックし店舗まで届けることができませんでした。
前日、見込みでパックすると切り肉は乾き鮮度が落ちます。
短時間で、多品種で大量の注文に応じきれませんでした。
パック包装された精肉が、時間が経過するごとに値引きのラベルが
貼られていくのを見られたことがあると思います。
大量に処理する精肉センターが求められていました。

我々の同僚が作ったシステムの特徴は大きく2つ。
パック詰めされた精肉が、氷温帯で鮮度を保つこと。
次に、包装されたパックがすべて自動で
通いの箱に充填されることでした。

大きな立体倉庫のどの棚も0-1℃で管理されます。
氷温帯で保存されることで鮮度が保たれます。
前日にパックできることで、注文の大半をカバーできます。

次に注文に応じて、倉庫から取り出し包装します。
店舗に並ぶ当日の印刷になります。
印刷された各種の精肉パック(牛、豚、鶏など)が自動で店舗ごとに
仕分けされていきます。大きさの違うパックでも、パックの大きさを
自動計測後、通いの箱の空いたスペースに効率よく自動で並べられます。
一杯になった箱は店舗のラベルが貼られた後に、自動で次の箱に変わります。
トラックの高さまで段積みされた箱は、自動で保温袋に入れられます。
運転手は、その袋をトラックに積み込み、店舗で降ろすだけです。

この画期的なシステムに、重役二人は興味を示しませんでした。
私達は、何を期待しているのかつかめないまま帰路につきました。
私の挑戦はここからでした。
顧客は何を求めているのか。

ヒアリングに応じてもらったのが1月後でした。

その間、勉強しました。
スーパーマーケットの売り上げを支えているのが生鮮4品であること。
鮮魚、精肉、野菜、惣菜(花がはいることもある)です。
各店舗の全体売り上げの約40%を占め、利益率が高い(約25%)のであった。
食品スーパーはこれでもっているのであった。その他の品々は、
ナショナルブランドから仕入れるため利益率が低く、購買力のない地方の
スーパーは生き延びれないのでした。
店舗のバックヤードで、この生鮮4品を品揃えするために、
設備投資(バックヤードのスペース費用と機械の投資)と
人手不足に悩んでいるのでした。
米農家が、田植え機からコンバイン及び籾摺り機まで持っていて、
使うのはそれぞれ年間10日あまりであることと良く似ている現象です。
200店舗、3000億円の売り上げが生き残れるかの分岐点でした。
このスーパーは70店舗、1500億円でした。

面接の前日に行き、昼、夕方、深夜と早朝に2店舗の精肉売り場を
見て回りました。
センターは2つあり、約40%を供給していること、
つまりバックヤードの比率は60%でした。
売れ行きの良い鶏と豚が主にセンターで処理されていました。
しかも、売れ筋商品(中重量で手ごろな価格帯)でした。
バックヤードの面積は、店舗の1/3を占めていました。
買い物かごを持ったまま、売り場で視て覚えたことを、
トイレ近くの柱陰でメモしました。

会ってくれた重役から一枚のアンケート用紙を見せられました。
これから、食品スーパーが生き残る術を社員に聞いたものでした。
時流にのって、センターを作ってみたが、店側はどうしても
店舗生産にこだわり、年中人手不足と投資で悩んでいました。
つまり、解決策が出てこないのです。その後も、2度訪ねました。
作業は店長によって異なり無駄のオンパレードでした。
重役は、打ち解けてきてストレートに悩みを吐露されるようになりました。
6割のバックヤード処理率が、ボトルネックであると言われました。
このなんとなくある不文律を打破したいと考えているみたいでした。

長くなりました。
私の工夫はこれからです。

2000年から、わが社の売り上げの約30%あった国内ジョブのうち、
石油・エネルギー関連以外の部署を利益率の高い医薬にシフトしました。
食品に関するプロジェクトの受注を止めました。すなはち、実績は途絶えていました。
10数年後には、時代も変り石油の消費も減ったことに併せ
エネルギーに関する国内ジョブも減少し、医薬事業も競争激化で安売り競争と
なっていました。やはり、生き残る道を模索していました。
経験者がいないため一人ジョブとなってしまいました。

新たに開発する新しいシステムへの投資もできません。
例えば、カードを示し割引をしてもらう囲い込みの戦略を利用し、
売上データからマーケッティングをし、生産する生鮮食品を製造するシステムなど。
上司と相談し、ソフト戦略に特化することにしました。

どうしたらスーパーは儲かるか。
出した結論は以下の通りです。

ある期間(週、月、年)の売上のABC分析をする。
ABC分析をし、その商品の製造場所による製造原価率の差を比較するのです。
投資による減価償却費と製造経費(原材料費、人件費、ユーティリティー費)を
振らして見るのです。生鮮4品はそれぞれ60品種あります。
A商品(売上の80%、10品種以下)、B商品(売上の15%、売上の20品種以下)、
C商品(売上の5%、残り30品種)の製造場所をセンター、バックヤードと外部委託の
3つで製造する製造コストのシミュレーションをすることを提案しました。
この分類で売上に寄与する商品の集中コスト削減をするというのが狙いです。
私の分析では、現在生鮮4品のなんでも60%バックヤード製造に比較し、
20%利益が増加しました。

併せて、各作業の「見える化」でした。専門職となった分かりにくい
作業フローを、見えるようにすることで、違う分野の作業者が替わったり、
補ったりできるようになりマルチ化が計れます。
作業フローの見える化に関する提案シート(モデル)でした。

この二つだけでプレゼンテーションをしました。
実績も必要ない、一人で提案できるプレゼンテーションでした。
食品プロジェクト用のエンジニアリングの進め方(2-3人でチームを作り
エンジニアリング費を軽減)も加えました。

2月後、このスーパーチェーンは、やはり地方のスーパーチェーン(50店舗)を
買収されました。役員の方は、センターどころではなくなった。
と伝えてくれました。
私も、1年後には会社を去ることになりました。もがき苦しんだ提案でした。
食品スーパーは、総合スーパー(イオン、伊藤ヨーカ堂、
大規模食料品店、百貨店)より強いし、
コープ(通販主体)も併せて生き残れると確信しました。

長い話を読んでくださってありがとうございました。

2014年11月27日

コメント
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