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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

夢じゃない、やればできる

2021-06-19 10:15:23 | プロジェクトエンジニアー

今日のタイトルは、「夢じゃない、やればできる」です。
私は実に長い間本意(夢とはかけ離れた)ではない暮らしを続けてきた。
急ぎ過ぎたと反省している。
甘くはないと気づいたのは、社会人になってすぐだった。
それは、学生時代に芽は育まれた。
種はもっと前、そう産まれたころにできていたのだ。
貧乏と縁があり、ずーっとそれと付き合ってきた。
抜け出そうともがいたことが、生き急ぎでした。
やっと、この頃になって、貧乏と共存共栄しようと考えるようになれた。

戦後焼け野原となって、無条件降伏をした日本です。
第二次世界大戦は、遠く離れたヨーロッパで始まった。
すぐには、敵は来ないからこのまま世界と調和をとって生きていけると、時の外相は説いた。
軍部は、敵が来ない今だから侵略を始めようと、開戦に踏み切った。
世界との共存共栄の道は閉ざされた。

カフェを閉店し、産まれた故郷に帰ることを選択した。
先祖の土地に帰らぬ選択をした都会に住む方から家、宅地を引き継ぐ予定です。
その方の想い(宅地だけでなく全部)を受け、畑、山林、保安林も引き継ぐことになるだろう。
広島中心地まで船と電車で1時間(車で橋を渡っても1時間)ながら、過疎が進み畑も山も荒れている。
猪が里にも現れ、困っている。瀬戸内の島々はどこも似たようなものです。
自然(猪も含む)と共存共栄の道はないかと探ることになるだろう。

共存共栄の道は、どちらかが良いのでは閉ざされる。
どちらも欲をコントロールしながら、道を探らなければならない。
高みの見物とはいかない。やはり、双方それ相応の汗(時には血も)を流す必要がある。
気持ちよく汗をかくためには、知恵も使うし、気持ちの切り替え(相手を想う)が求められる。
都会にいた時、常に追い越すことを考えていた。
ここに来て、追い越されても、遠い山を見る限りさほど違いがないことを知った。
農業をして、リベンジは翌年しかできないことを覚った。
生きる軸は、近くではなく遠いところ(時間も長く)に置いた方が良いと判った。

こう考えると、難しいとか嫌なことも「夢じゃない、やればできる」に変わっていく。

2021年6月19日
コメント
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