今日のタイトルは、「夢じゃない、やればできる」です。
私は実に長い間本意(夢とはかけ離れた)ではない暮らしを続けてきた。
急ぎ過ぎたと反省している。
甘くはないと気づいたのは、社会人になってすぐだった。
それは、学生時代に芽は育まれた。
種はもっと前、そう産まれたころにできていたのだ。
貧乏と縁があり、ずーっとそれと付き合ってきた。
抜け出そうともがいたことが、生き急ぎでした。
やっと、この頃になって、貧乏と共存共栄しようと考えるようになれた。
戦後焼け野原となって、無条件降伏をした日本です。
第二次世界大戦は、遠く離れたヨーロッパで始まった。
すぐには、敵は来ないからこのまま世界と調和をとって生きていけると、時の外相は説いた。
軍部は、敵が来ない今だから侵略を始めようと、開戦に踏み切った。
世界との共存共栄の道は閉ざされた。
カフェを閉店し、産まれた故郷に帰ることを選択した。
先祖の土地に帰らぬ選択をした都会に住む方から家、宅地を引き継ぐ予定です。
その方の想い(宅地だけでなく全部)を受け、畑、山林、保安林も引き継ぐことになるだろう。
広島中心地まで船と電車で1時間(車で橋を渡っても1時間)ながら、過疎が進み畑も山も荒れている。
猪が里にも現れ、困っている。瀬戸内の島々はどこも似たようなものです。
自然(猪も含む)と共存共栄の道はないかと探ることになるだろう。
共存共栄の道は、どちらかが良いのでは閉ざされる。
どちらも欲をコントロールしながら、道を探らなければならない。
高みの見物とはいかない。やはり、双方それ相応の汗(時には血も)を流す必要がある。
気持ちよく汗をかくためには、知恵も使うし、気持ちの切り替え(相手を想う)が求められる。
都会にいた時、常に追い越すことを考えていた。
ここに来て、追い越されても、遠い山を見る限りさほど違いがないことを知った。
農業をして、リベンジは翌年しかできないことを覚った。
生きる軸は、近くではなく遠いところ(時間も長く)に置いた方が良いと判った。
こう考えると、難しいとか嫌なことも「夢じゃない、やればできる」に変わっていく。
2021年6月19日