
タイトルは、のほほんと。
喜んでくれました。
描いてよかった。
やっと、お題が決まりました。
「文章を書く(Part3)」です。
なぜ、このタイトルを選んだか。
文章を書きたいが、書けない。
毎日、葛藤するお決まりの題目選びです。
できれば書きたくない。書くと決めたから書いているようなものです。
始まりはそれでよい。
ブログは、日記や日誌とは違う。
いわゆる公共性がある。
自分が書いたものでも、読まれることが前提となっている文章書きです。
自分を試すようなタイトル選びを続けています。
挑戦できるようなタイトル選びです。
できれば楽をしたい。辛いことから逃げ出したい。
そんな自分の首根っこを押さえつけ、机の前に毎朝座らせています。
孤独から抜け出す手法かもしれない。
自らをブラッシュアップする心がけかもしれない。
誰かに生きるためのキーワードを見つけて欲しいのかもしれない。
なにしろ書く。
マスターベーションであろうがなんだろうが書く。
書くと決めたからには書く。
幼子の描く絵より下手だろうが書く。
精一杯、書く。
とにかく抉(えぐ)る。
深層心理を表に出す行為です。
砂金を集めるような行為です。
しかし、数打たちゃ当たるではない。
今考えられる最高の結論を導こうとしています。
恥であろうが、金言であろうが、思いつく必然性に期待している。
必然性のボトムアップを計る行為かもしれない。
あるものを磨く仕草とは違う。
混沌のなかにある塵のようなものを取り入れ融合させる。
塵(想いのるつぼと浮遊)だってあるんだから仕方がない。
毎日、塵は消えては顕れる。
逃さぬぞと網を使う。網の目からこぼれる。
おおよそで良いではないか。
書いているうちに、自ら気づく。
こうなりたいと。
指が勝手に動いている。演奏家がピアノの鍵盤に触れるがごとく。
頭の体操であることに間違いない。そして、ルーチンワークのような練習です。
思いつくものを、書きとめる。今じゃないと思いつかないと、慌ててピン止めする。
そんな行為です。
書くことは、話すことと少し違う。
話すは、相手があってのこと。
双方向のキャッチボールです。会話には、ハーモニーがある。
書くことは、一方的であり滝のように落ちてしまえと投げやりな部分もある。
会話のように気にしない分だけ、ほとばしりを止める必要がない。
自由と言えるかもしれない。
珍しい昆虫をホルマリン漬けしてピン止めするのとは違う。
捕らえた昆虫は、またの機会になんぼでも動き出し飛んで逃げる。
あーあと眺めるばかり。
書くことは、水の流れに似ている。
岩にあたり流れを変え、落差によってほとばしる。
飛沫となって、誰かの栄養になる。
そんなことだったら良いのにな。
美味しいね 五感で感じ 笑顔ほら
過去に書いた「文章を書く」です。
ハイライトを押すと文章が現れます。便利ですね。
2018年7月4日投稿記事「文章を書く」では、
私にとって、「文章を書く」ことは、転ばぬ先の杖だったのです。
今は少し違ってきました。
私は、ブログを読んでくださいと、会う人ごとに勧めます。
自分を開けかすのではないようです。
ブログのサブタイトルは、「故郷へ恩返し」です。
若い人に伝えられるものなら、感じていただきたい。
同年代なら元気になっていただきたい。
(記事より抜粋)
2019年2月14日投稿記事「文章を書く(Part2)」では、
そんな時に、文章を書く。
人と話せないなら、自分と話す。
過去の自分でもよいし、未来の自分でもよい。
自ら思うことを文章にする。
これが、孤独から脱出する第一歩です。
(記事より抜粋)
2019年3月30日