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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

文章を書く(Part3)

2019-03-30 07:17:20 | プロジェクトエンジニアー

タイトルは、のほほんと。
喜んでくれました。
描いてよかった。


やっと、お題が決まりました。
「文章を書く(Part3)」です。
なぜ、このタイトルを選んだか。
文章を書きたいが、書けない。
毎日、葛藤するお決まりの題目選びです。
できれば書きたくない。書くと決めたから書いているようなものです。
始まりはそれでよい。
ブログは、日記や日誌とは違う。
いわゆる公共性がある。
自分が書いたものでも、読まれることが前提となっている文章書きです。
自分を試すようなタイトル選びを続けています。
挑戦できるようなタイトル選びです。
できれば楽をしたい。辛いことから逃げ出したい。
そんな自分の首根っこを押さえつけ、机の前に毎朝座らせています。

孤独から抜け出す手法かもしれない。
自らをブラッシュアップする心がけかもしれない。
誰かに生きるためのキーワードを見つけて欲しいのかもしれない。

なにしろ書く。
マスターベーションであろうがなんだろうが書く。
書くと決めたからには書く。
幼子の描く絵より下手だろうが書く。
精一杯、書く。

とにかく抉(えぐ)る。
深層心理を表に出す行為です。
砂金を集めるような行為です。
しかし、数打たちゃ当たるではない。
今考えられる最高の結論を導こうとしています。
恥であろうが、金言であろうが、思いつく必然性に期待している。
必然性のボトムアップを計る行為かもしれない。

あるものを磨く仕草とは違う。
混沌のなかにある塵のようなものを取り入れ融合させる。
塵(想いのるつぼと浮遊)だってあるんだから仕方がない。
毎日、塵は消えては顕れる。
逃さぬぞと網を使う。網の目からこぼれる。
おおよそで良いではないか。

書いているうちに、自ら気づく。
こうなりたいと。
指が勝手に動いている。演奏家がピアノの鍵盤に触れるがごとく。
頭の体操であることに間違いない。そして、ルーチンワークのような練習です。
思いつくものを、書きとめる。今じゃないと思いつかないと、慌ててピン止めする。
そんな行為です。

書くことは、話すことと少し違う。
話すは、相手があってのこと。
双方向のキャッチボールです。会話には、ハーモニーがある。
書くことは、一方的であり滝のように落ちてしまえと投げやりな部分もある。
会話のように気にしない分だけ、ほとばしりを止める必要がない。
自由と言えるかもしれない。

珍しい昆虫をホルマリン漬けしてピン止めするのとは違う。
捕らえた昆虫は、またの機会になんぼでも動き出し飛んで逃げる。
あーあと眺めるばかり。
書くことは、水の流れに似ている。
岩にあたり流れを変え、落差によってほとばしる。
飛沫となって、誰かの栄養になる。
そんなことだったら良いのにな。

美味しいね 五感で感じ 笑顔ほら

過去に書いた「文章を書く」です。
ハイライトを押すと文章が現れます。便利ですね。

2018年7月4日投稿記事「文章を書く」では、

私にとって、「文章を書く」ことは、転ばぬ先の杖だったのです。
今は少し違ってきました。
私は、ブログを読んでくださいと、会う人ごとに勧めます。
自分を開けかすのではないようです。
ブログのサブタイトルは、「故郷へ恩返し」です。
若い人に伝えられるものなら、感じていただきたい。
同年代なら元気になっていただきたい。
(記事より抜粋)

2019年2月14日投稿記事「文章を書く(Part2)」では、

そんな時に、文章を書く。
人と話せないなら、自分と話す。
過去の自分でもよいし、未来の自分でもよい。
自ら思うことを文章にする。
これが、孤独から脱出する第一歩です。
(記事より抜粋)

2019年3月30日
コメント
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