
タイトルは、「寒椿」
私は、この花が好きです。
広島の椿は、もっと赤く大振りでした。
自らの重みに耐えかねて,ポトッと落ちる。
その様が斬首に似ていると例えられました。
それでもよい。
生きている限り、花を咲かせたい。
生き急ぐなと教えられてきました。
幸運を夢見て、大事な貯金を投資する。
幸運は決してやってこない。
なぜなら、幸運なのに幸運と思わないから。
始めは、大事な貯金が作れた。
これこそ幸運。
幸運は、こんなものじゃないと思っているから実感しない。
今日のタイトルは、「願うならやりなはれ」です。
幼いころ、こんな風になりたいなと思います。
ほとんどのベクトル(進みたいと思う気持ち)がその方向に向いています。
大きくなっても、そのベクトルは変わりません。
少しの変心で、違った人生になったと感じる。
違った人生と感じる分だけ、ベクトルは生きている。
私はゴルフをします。
酒も飲みます。
畑を耕し草刈もします。
カフェで人と話し、美味しいものを作ります。
言いたいことを言い、やりたいことをします。
こうだったらよいな。
やりたいことができないな。
条件が整ったらできるんだがな。
それを叶えるのが、幸運でした。
ベクトルは生きている。
それなのに、不満を感じる。
南の国の人は、長い昼休みをとる。
そして、夜は友人たちと楽しいひと時を送る。
遊んでばかりじゃ飽きるから仕事をする。
そんな風に見えます。
北の国の人は、寒さと格闘する。
大半の時間を自然の厳しさに奪われてしまう。
長い冬の備えをしなければならない分忙しい。
つかの間の春と夏の喜びを味わう。
深く味わう。
願うならやりなはれ。
たまの休みだって、家族サービスに明け暮れる。
会社だって、望まぬ仕事を押し付けられる。
憂さを晴らすように、同僚と酒を飲む。
許されたわずかな時間に、好きな本を読む。
読めるだけ幸せというもの。
わずかにベクトルは生きている。
おれは不幸せだと思う。
ベクトルの芽もつぶしてしまう。
目の前が真っ暗になる。
真っ暗と感じる分だけ、わずかにベクトルは生きている。
それなのに、ああそれなのに。
毎日が辛いな。
上司の顔を見たくないなと気持ちが塞ぐ。
ちょっと待った。
辛いことをパロディーにしてみたらいかがです。
あなたのわずかに残ったベクトルで、辛いことを楽しいことに変えてみたらいかがでしょう。
辛いよな。
俺はこの難局をどう切り抜けるのかな。
それを楽しんでください。
今回はできなかった。
工夫をしたから、今度こそできるかも。
何が足りなかったのかな。
ようし今度こそ。
あくなき戦いが始まる。
錆びついたベクトルが、ピカピカと輝いてくる。
気が付いたら生きていることが楽しくなっている。
やってみなはれ。
願うならやりなはれ。
椿花 落ちてなるかと ポトッとな
2019年3月7日