故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

思えば贅沢

2019-03-18 03:35:40 | よもやま話

豆の絵である。
スランプなんてありはしない。
只々、下手なだけである。


健康でご飯が食べられる。
雨露をしのげる温かいねぐらがある。
おまけに仕事がある。
こんな良いことはない。

今日のタイトルは、「思えば贅沢」です。
カフェでお任せ料理を出している。
考えてみれば、お客様も勇気がある。
何を食べさせられるのか分らぬのに料金を決められている。
素人が始めたカフェである。
私は、料理の経験がない。
自宅でも冷蔵庫にあるものを片っ端から使って、ままよと味付けをして出している。
まずいと評判であった。

今は、妻に手ほどきを受けて料理を作っている。
一からの指導を受けている。
カフェの中で自らできることは、洗い物と掃除くらいである。
これまでの生活を考えると、妻の指導は厳しいと言える。
これまでとは、過去の仕事のことである。
多くの職人を使って仕事をするプロジェクトマネージャーであった。
勤めていた会社が大きくて、任されただけのことである。
本業の石油プラントでは使えぬから、やらされただけのことである。
一人では、手に職もなく生きてはいけなかった。
人の褌で生きてきたのである。

ここに来てからは、汗を流しているから身体は丈夫になるばかりである。
知らないことばかりで、頭を使うから呆けずにいられる。
「もらいなれ」した根性が、身体に染みついている。
慣れないことに疲れてしまい、苦労するごとに不満をいう。
こんな私でも相手にしてくれる方がいる。
ちょっとだけ線路(役割)を外れたら、もう生きていけない。
仕事縁だけで生きてきた。いわゆる仕事馬鹿でした。
地縁血縁が、この歳になってクローズアップされてきた。
独力で生きてきたと勘違いしていた。
永年のつけ(世間知らず)が回ってきただけである。
贅肉はそぎ落とされた。
反省もなしに、またついてきた。

気づかされるだけ幸せである。
馬鹿でなかったから改善できている。
一歩前進、二歩後退のような毎日である。
これでは遅れるばかりと、頑張っている。
そんな姿を笑顔で応援してくれる人がいる。
バッカじゃないと思うけど、捨て置けぬと思ってくれてるのである。
ありがたいです。

水ぬるみ 我も我もと 雑草も

2019年3月18日
コメント
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