「帰ろかな」というタイトルの絵です。
信号もない、何にもない。こんな島は嫌だとこの桟橋から旅立ちました。
しかし、憧れた都会でも何にもなかった。
「帰ろかな」と思うこともあった。
あなたと会ってから、輝き始めた故郷となった。
かように、人は現金で身勝手です。
ひたすら書いています。
言葉をみて、頭に浮かぶ話を綴っています。
何を伝えるかより、何が伝わるかと挑戦しています。
あきらめたように話す女の元気のなさに、胸を打たれることがあります。
私がそうしたんだろうかと、想いを巡らせてしまう。
私に因があれば、もっと攻撃的になるはずです。
女はやるせないように、矛先もないままため息をついています。
今日のテーマは、幸せをつかむキーワード「謙虚(Part2)」です。
絶好調な時、世界は自分のために回っていると感じます。
反対な時もあり、ありんこさえ知らぬふりをし、私は枯葉のようにしおれてしまいます。
より強い孤独を感じるのは、愛されている時であり、ものごとがうまくいっているときです。
これ以上はない。
それでも、女は鏡に向かいいつもの自分を取り戻そうと、薄化粧を始めました。
私は、爪の間に馬油を摺りこみます。油っ気がなくなった自分に潤いを与えるために。
日常に戻るための準備です。
女が話しかけ、一日が始まる。
どうにもならぬ毎日です。
孤独なふりをする暇もない。
動き始めて、自分を取り戻す。
大変な一日が、今日も始まった。
私は、ちゃんとできるだろうかと半信半疑です。
薄化粧が微笑み、力が湧いてくる。
昨日は乗り越えても、今日もできるかわからない。
きっとできると、楽天的になる。
さらばと言える日まで続く毎日です。
謙虚を探り当てようと、言葉を並べています。
コップに半分の水を見て、半分しかないと半分もある。
その繰り返しです。
半分しかないと驕らず、半分もあると謙虚になれない弱い自分を知っている。
きっかけがない、謙虚な気持ちです。
かかるしかないと知っています。
身体は正直で、こうしてぐだぐだ言っている時さえも、空腹だと脳を突き上げてきます。
仕方がないと、空腹をなだめるように動き始めます。
あちこちのギシギシをほぐすことから始めます。
昨日と同じように動けるために手を回します。
やっと、気持ちが謙虚になってきました。
できるかな、できるとも。
さて、こうしたいと言えるようになりました。
それでも、外は雪。
少し萎えてきた気持ちを奮い立たせ窓を開け、
張り詰めるような寒気を楽しめる自分がそこにいます。
ちぢこまる 草木に花に あらためて
2018年12月29日
2015年10月3日の投稿記事「謙虚」では、次のように書いています。
不安です。転職ごとに楽な道はないものかと探します。
結局、大変な道を選ぶことになります。
誰にもできない大変なことだから、求められるのです。
そこは、競争率は低いといえるでしょう。
だって、誰もやりたがらないのですから。
来週から面接です。うまくやれるかこの歳になっても不安です。
私は、謙虚になれることで、
パワハラ、セクハラ、モラハラ、虐待が無くなると信じています。
謙虚になれれば、自然と相手を尊重できるからです。
よく見れば ハエが手をする 足をする
(記事より抜粋)
近くに住むおじさんが、商売人が手を揉むのには意味があると教えてくれました。
お客さんの無理難題を、にこにこしながら揉み殺しているのだと。
2015年10月3日の記事の俳句。
よく見れば ハエが手をする 足をする
ハエさんは、手だけでは足りず足まで摺っている。
(筆者)