故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

幸せをつかむキーワード「家族を尊重(Part2)」

2018-12-13 08:13:43 | よもやま話

12月の雪は、その日のうちに融けました。
寒いのか、そうでもないのか、よくわからなくなりました。

外の温度計は1℃となっている。
それを見て、寒いんだなと頭で判断する。
ヒートテックなど防寒着を着込んでいるので、屋外でも寒さを感じない。
家の中では、ストーブや電気カーペットで暖を取る。
蔵カフェの中は、12月でも11℃です。
厚い土壁の断熱効果は優れていて、蔵の中にある冷凍冷蔵庫の排熱が効いている。

本当に寒くなるのはこれからです。
取り遅れた大根の土の上の部分が凍みていました。
早く取り入れて、土に埋けてやらなければなりません。

今日のタイトルは、幸せをつかむキーワード「家族を尊重(Part2)」です。
リストラされたこと、2度です。
望んで転職を繰り返してきました。
亡きかみさんは、仕事や環境が変わってもへっちゃらでした。
話を聞いてくれ、意志を確認してくれたのは、いつもかみさんでした。
仕事で忙殺された時は、書類整理を手伝ってくれました。
子供が大きくなるにつれて、金がかかりました。
子供が寝ている時にできる仕事として、
かみさんが見つけてきた早朝の新聞配達を私も手伝いました。
かみさんが癌にかかり、彼女の負担を軽減しようと、私が7つの弁当を作りました。
2年間続けました。
家族は、一言も文句を言いませんでした。
美味しかったとも言いませんでした。

助けてくれるのは、常に家族でした。
尽くした会社は、何もしてくれませんでした。
外資系の会社だけが例外でした。
朝だけ仕事をして、午後は看病に行くことを許してくれました。
それも2週間でした。かみさんは旅立ちました。

おふくろは、毎日20箱のみかんをフェリーに積み込んでいました。
フェリーから電停まで運ぶのは、高校生だった私と私の友人でした。
嫌でたまらず、おふくろの乗るフェリーから一便遅らせたことがありました。
私の友人たちが、手伝っていました。
おふくろは、お礼を言って100円ずつ友人たちの手に握らせていました。
おふくろは、20箱のみかんを保険の外交員をしながら売りさばいていたのです。
保険会社の玄関で、道行く人にみかんを売っていました。
支部長が、仕事をせずにみかんを売っているとぼやいたそうです。

ある日、保険会社の支部に多くの人が保険に入りたいと押し掛けたそうです。
陸橋の上で、おふくろが道行く人に声をかけていました。
「ええ話があるんじゃけえ」と誘っていたそうです。
おふくろの葬式で、おばさんが話してくれました。
支部長は、何事かとたまげていたそうです。

あなたを見ているのは、常に家族です。
誰も見たことがない泣き顔も笑い声も聞いたことがありません。
家族だけは、味方です。

お願いと にやっと笑い 運んでね

2018年12月13日


<<投稿後>>
2015年9月22日投稿記事「家族を尊重」を見てみましょう。

家族こそ、社会性の出発点であり、最後にはもどる場所です。
子供も親もお互いに選べないのです。
逃げられない関係ゆえに、やっかいでもあります。
(中略)
他人通しも、尊重しあわなければ関係は続きません。
妻を愛することは、妻を尊重しているからです。
妻のどうでも良いような話を真剣に聞けるのです。

家族を尊重するものこそ、尊重されるように思います。
お互い様なのです。
(抜粋)

そうですね。よくまとまっています。
具体性に欠けるのが、説得力を削いでいます。
(筆者)
コメント
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