いちゃりばちょーでー(袖触れ合うも他生の縁:沖縄言葉)
子より他人です。
お母さんから片づけなさいと、私は言われ続けてきました。
私も人の親になり、同じことを自分の子供に言っています。
言い続けた私のお母さんはというと、
70歳を越え、荷物の中に埋もれて生活していました。
私は一緒に片付けようよと母に勧めました。
使われない傘は、60本ありました。
お客さんが滅多に来なくなっても、コーヒーセットは6セットもありました。
十年以上前にいただいた引き出物は新品のまま封も切られていませんでした。
そのうち、施設に入られ家に帰ることもなく亡くなりました。
本題に入る前に、この話をもう少し続けます。
荷物に埋もれる生活は、母も本意とはしないことでした。
同じように荷物に埋もれる母を持つ友人は、お母さんと何度も話したそうです。
お母さんも折れて、少しずつ古いものを捨てることに同意されたそうです。
そのうち、お母さんから次は何を捨てようかと相談されるようになったそうです。
お母さんが嫁いで来られた時と同じようにはなりませんでしたが、
風通しだけは良くなったそうです。
今日のテーマは、「老いても子に従わぬ」です。
現代は、老いては子に従うと言われるような境遇ではないようです。
子離れし、夫に先立たれ孤独な一人生活です。
片付けようにも、物を動かす(捨てる)だけの体力がありません。
家長制度がない今日では、死語と言わざるをえない言葉です。
子に従っていたら、財産を全部失い施設に放り込まれる世の中です。
「老いても子に従わぬ」
厳しいけど、そのような気概を持って暮らさなければならぬようです。
遠い親戚(子供)より、近くのコミュニティーです。
いざとなったら、シルバー人材の力を借りる。
病気になれば、這ってでも(あるいはケアマネに連絡)病院に行く。
頼れるものは、自分であり、「金」です。
田舎の母は、肩が凝ったり腰が痛かったら柱に患部を押し付けていました。
第一、従う子がいないのです。
頼るのは、伴侶(夫や妻)であり、隣です。
会社に捧げてばかり、休みは寝転んでばかりでは、
いざという時に役に立たない。
「老いても子に従わぬ」
これからは、子どもたちは世界中に飛躍します。
葬式を出そうにも、家族が揃うのは一か月先の時代がきます。
子に頼る(従う)前に、元気なうちに子供が困らぬように
片付けておきたいものです。
孫よりも 自分が使う 乳母車
2017年8月7日