前回に引き続き、ゲストはレスリングの松永選手。
今回は、恒例の10の質問でレスリング話などをあれこれと。
"メダル獲得は自分ひとりの力ではない?"という質問には、「はい」と答えていた松永選手。
バッティングで耳を切ったときに何回も治療してもらった先生や両親、オリンピック前にレスリングシューズがなくなったとき急遽オーダーでシューズやインソールを作ってもらった人など、「色んな人に支えられてきましたね」とのことでした。
ちなみに、松永選手のレスリングシューズを作ったのはアシックスの三村さんだそうで。
三村さんといえば、以前『日本のよふけ』に出演したとき、イチロー選手やマラソンの高橋選手のために作ったシューズの話をしてたっけ。
ただ、記憶があやふやでよく憶えていませんし(イチロー選手に会ったという南原さんが、鶴瓶さんから「どうやった?」と訊かれ「好青年でしたよ」とサラッと言ってたのは憶えてますが・笑)、南原さんから三村さん話は出てきませんでしたので、この話はこれくらいにして(笑)。
ご両親については、「喜んでくれたんで良かったです、はい」と、先週の放送と同じくやはり淡々と喋っていた松永選手。
でも、南原さんの、
南原 「(北京から)帰って来てから(実家の)お寺さんには・・」
松永 「行きました、はい」
南原 「で、報告はしたんですか?」
松永 「そうですね」
南原 「あ、これ、お寺が(笑)・・じゃあ檀家さんも喜んでくれたでしょ?」
松永 「(笑)」
南原 「アッハハハハハ、ハッハハハハハ、檀家さんも(笑)」
松永 「檀家さん・・には、まだ、ちょっとこれから」
南原 「あ、これから」
松永 「はい」
南原 「あ、そうですか(笑)」
松永 「たぶん喜んでくれてると思います」
南原 「(笑)そうですよね、えぇ」
という、松永選手の実家のお寺さんイジリにはちょっと笑ってました(笑)。
"銀メダルを獲得してから世間の扱いはガラッと変わった?"という問いには、松永選手は「いいえ」という答え。
松永選手いわく、友達や知り合いからは「あまり変わってないね」と言われるとのとでしたが、
松永 「ま、でも、テレビ局に呼ばれるときは多少変わったなと思うことはありますけども、楽屋が用意されてたりとか」
南原 「アッハハハハ」
松永 「そういう経験は無いんで」
南原 「はい」
松永 「そういうのに関しては変わった・・ま、多少ありますけども」
南原 「テレビ局行って、"松永共広"ってそこに書いて(あって)」
松永 「そうなんですよね」
南原 「「あれ、これ俺の部屋?」みたいな」
松永 「(笑)そうですね」
南原 「入ってみたら弁当がポッと置いてあったりとか」
松永 「そうですそうです」
南原 「えぇ」
松永 「それは驚きました」
南原 「で、メイクさんが来て、「すいません、メイクはどうしますか?」とか」
松永 「あ、言われましたね」
南原 「はい、メイクしたんですか?」
松永 「メイクはしてないです。ま、髪の毛だけ多少整えてもらって」
南原 「「じゃ、すいませ~ん」とか言って」
松永 「はい」
南原 「ガーッとやりながら、若い女の子が」
松永 「そうっすね」
南原 「えぇ、「お疲れ様で~す」みたいな感じの」
松永 「(笑)」
南原 「「あ、どうも」みたいな感じで、はい」
松永 「そういうのはやっぱ変わりましたけど、周りの人はあんま変わってないですね」
南原 「あぁ、それはね、松永選手が普通に接してるからじゃないですかね」
とのこと(笑)。
南原さんのテレビ局あるある話に、またまた笑顔(ラジオなので顔は見えませんでしたが・笑)の松永選手でありました(笑)。
あとは、オリンピックの一試合目は緊張して体があまり動かなかった、減量は大変だったという話や、いづれ北米に留学したい、外国人からも表情が出ないといわれ「イエスとかでも笑っていったほうがいいよ」と言われたという話(笑)、オリンピックは特別なものがあるので生まれ変わってももう一度出たい、というレスリング話などがありつつ、松永選手の実家のお寺話もしてました。
松永選手は、6歳のときに得度(仏門に入って僧になること。出家(旺文社国語辞典より))をしたそうですが、実際はあんまり修行もしてないし、お経も勉強してないので分からないとのこと。
で、南原さんと松永選手の間では、
南原 「だんだん、これからもっと歳重ねていくと、また勉強するかもわからないですよね」
松永 「そうですね、ちょっと勉強してみたいなと思ってるんですけどね」
南原 「あ、最近」
松永 「はい、般若心経とか」
南原 「はい」
松永 「そういう本を親からちょっと貰っ・・借りてきて」
南原 「はい」
松永 「ちょっと勉強しようかなと」
南原 「今後ね、今後、戦うお坊さんとして」
松永 「(笑)、これから修行とかもしなきゃいけないので」
南原 「あ、そうか」
松永 「たぶん、今からは難しいですけどもね」
南原 「でも、オリンピック行くのも相当な修行したわけじゃないですか」
松永 「いや、でもお坊さんも大変と思いますよ、やっぱ」
南原 「(笑)それはそれでね」
松永 「はい」
というやり取りもあったりして、またちょっと笑っていた松永選手(笑)。
最近はバラエティー慣れしたスポーツ選手が多いですが、松永選手はどんなときも表情を変えないポーカーフェイスなクールガイ(笑)。
そんな松永選手を、先週に続き今回もあの手この手で笑わそうとしていた南原さんでしたが、努力の甲斐あって何度も松永選手を笑わすことが出来て何よりでした(笑)。
夢色紙に松永選手が書いていた言葉は、"清流無間断(せいりゅうかんだんなし)"。
オリンピック終わって家に帰ったときに親から教えてもらった言葉だそうで。
絶え間なく流れる水に濁りは無い、という意味だそうですが、松永選手は「努力すれば結果はついてくるのかなと思うんですけどね」という意味で捉えているとのこと。
南原さんはこの言葉を聞いて、「これはどういう意味なんですか?なんかありがたい感じがするんですけども」「清流間断無しっていうんですか、へぇ~!」と大感心の様子(笑)。
で、番組の最後には、
南原 「二週にわたって、えぇ、どうでした?こうやって、ラジオを」
松永 「いや~(照笑)、上手く喋れてるんのか分からないですけど」
南原 「えぇえぇ喋れてますよ、えぇ。この、朴訥とした中にも芯があるような感じでございますけども。えぇ、じゃ一旦こう、ね、休まれて」
松永 「はい」
南原 「次なる目標が、たぶんご自身の中にあるかと思いますけども、えぇ、清流間断無しで」
松永 「はい」
南原 「(笑)頑張って下さい(笑)」
松永 「はい(笑)」
南原 「えぇ、今日のゲストはレスリングの松永共広選手でございました。ご両親にもよろしくお伝え下さい(笑)」
松永 「はい(笑)、わかりました」
南原 「どうも、ありがとうございました」
松永 「ありがとうございました」
ってな感じで、さっそく"清流無間断"という言葉を使い(笑)、そして何故か松永選手のご両親にも「よろしくお伝え下さい」と言っていた南原さんでありました(笑)。
今回は、恒例の10の質問でレスリング話などをあれこれと。
"メダル獲得は自分ひとりの力ではない?"という質問には、「はい」と答えていた松永選手。
バッティングで耳を切ったときに何回も治療してもらった先生や両親、オリンピック前にレスリングシューズがなくなったとき急遽オーダーでシューズやインソールを作ってもらった人など、「色んな人に支えられてきましたね」とのことでした。
ちなみに、松永選手のレスリングシューズを作ったのはアシックスの三村さんだそうで。
三村さんといえば、以前『日本のよふけ』に出演したとき、イチロー選手やマラソンの高橋選手のために作ったシューズの話をしてたっけ。
ただ、記憶があやふやでよく憶えていませんし(イチロー選手に会ったという南原さんが、鶴瓶さんから「どうやった?」と訊かれ「好青年でしたよ」とサラッと言ってたのは憶えてますが・笑)、南原さんから三村さん話は出てきませんでしたので、この話はこれくらいにして(笑)。
ご両親については、「喜んでくれたんで良かったです、はい」と、先週の放送と同じくやはり淡々と喋っていた松永選手。
でも、南原さんの、
南原 「(北京から)帰って来てから(実家の)お寺さんには・・」
松永 「行きました、はい」
南原 「で、報告はしたんですか?」
松永 「そうですね」
南原 「あ、これ、お寺が(笑)・・じゃあ檀家さんも喜んでくれたでしょ?」
松永 「(笑)」
南原 「アッハハハハハ、ハッハハハハハ、檀家さんも(笑)」
松永 「檀家さん・・には、まだ、ちょっとこれから」
南原 「あ、これから」
松永 「はい」
南原 「あ、そうですか(笑)」
松永 「たぶん喜んでくれてると思います」
南原 「(笑)そうですよね、えぇ」
という、松永選手の実家のお寺さんイジリにはちょっと笑ってました(笑)。
"銀メダルを獲得してから世間の扱いはガラッと変わった?"という問いには、松永選手は「いいえ」という答え。
松永選手いわく、友達や知り合いからは「あまり変わってないね」と言われるとのとでしたが、
松永 「ま、でも、テレビ局に呼ばれるときは多少変わったなと思うことはありますけども、楽屋が用意されてたりとか」
南原 「アッハハハハ」
松永 「そういう経験は無いんで」
南原 「はい」
松永 「そういうのに関しては変わった・・ま、多少ありますけども」
南原 「テレビ局行って、"松永共広"ってそこに書いて(あって)」
松永 「そうなんですよね」
南原 「「あれ、これ俺の部屋?」みたいな」
松永 「(笑)そうですね」
南原 「入ってみたら弁当がポッと置いてあったりとか」
松永 「そうですそうです」
南原 「えぇ」
松永 「それは驚きました」
南原 「で、メイクさんが来て、「すいません、メイクはどうしますか?」とか」
松永 「あ、言われましたね」
南原 「はい、メイクしたんですか?」
松永 「メイクはしてないです。ま、髪の毛だけ多少整えてもらって」
南原 「「じゃ、すいませ~ん」とか言って」
松永 「はい」
南原 「ガーッとやりながら、若い女の子が」
松永 「そうっすね」
南原 「えぇ、「お疲れ様で~す」みたいな感じの」
松永 「(笑)」
南原 「「あ、どうも」みたいな感じで、はい」
松永 「そういうのはやっぱ変わりましたけど、周りの人はあんま変わってないですね」
南原 「あぁ、それはね、松永選手が普通に接してるからじゃないですかね」
とのこと(笑)。
南原さんのテレビ局あるある話に、またまた笑顔(ラジオなので顔は見えませんでしたが・笑)の松永選手でありました(笑)。
あとは、オリンピックの一試合目は緊張して体があまり動かなかった、減量は大変だったという話や、いづれ北米に留学したい、外国人からも表情が出ないといわれ「イエスとかでも笑っていったほうがいいよ」と言われたという話(笑)、オリンピックは特別なものがあるので生まれ変わってももう一度出たい、というレスリング話などがありつつ、松永選手の実家のお寺話もしてました。
松永選手は、6歳のときに得度(仏門に入って僧になること。出家(旺文社国語辞典より))をしたそうですが、実際はあんまり修行もしてないし、お経も勉強してないので分からないとのこと。
で、南原さんと松永選手の間では、
南原 「だんだん、これからもっと歳重ねていくと、また勉強するかもわからないですよね」
松永 「そうですね、ちょっと勉強してみたいなと思ってるんですけどね」
南原 「あ、最近」
松永 「はい、般若心経とか」
南原 「はい」
松永 「そういう本を親からちょっと貰っ・・借りてきて」
南原 「はい」
松永 「ちょっと勉強しようかなと」
南原 「今後ね、今後、戦うお坊さんとして」
松永 「(笑)、これから修行とかもしなきゃいけないので」
南原 「あ、そうか」
松永 「たぶん、今からは難しいですけどもね」
南原 「でも、オリンピック行くのも相当な修行したわけじゃないですか」
松永 「いや、でもお坊さんも大変と思いますよ、やっぱ」
南原 「(笑)それはそれでね」
松永 「はい」
というやり取りもあったりして、またちょっと笑っていた松永選手(笑)。
最近はバラエティー慣れしたスポーツ選手が多いですが、松永選手はどんなときも表情を変えないポーカーフェイスなクールガイ(笑)。
そんな松永選手を、先週に続き今回もあの手この手で笑わそうとしていた南原さんでしたが、努力の甲斐あって何度も松永選手を笑わすことが出来て何よりでした(笑)。
夢色紙に松永選手が書いていた言葉は、"清流無間断(せいりゅうかんだんなし)"。
オリンピック終わって家に帰ったときに親から教えてもらった言葉だそうで。
絶え間なく流れる水に濁りは無い、という意味だそうですが、松永選手は「努力すれば結果はついてくるのかなと思うんですけどね」という意味で捉えているとのこと。
南原さんはこの言葉を聞いて、「これはどういう意味なんですか?なんかありがたい感じがするんですけども」「清流間断無しっていうんですか、へぇ~!」と大感心の様子(笑)。
で、番組の最後には、
南原 「二週にわたって、えぇ、どうでした?こうやって、ラジオを」
松永 「いや~(照笑)、上手く喋れてるんのか分からないですけど」
南原 「えぇえぇ喋れてますよ、えぇ。この、朴訥とした中にも芯があるような感じでございますけども。えぇ、じゃ一旦こう、ね、休まれて」
松永 「はい」
南原 「次なる目標が、たぶんご自身の中にあるかと思いますけども、えぇ、清流間断無しで」
松永 「はい」
南原 「(笑)頑張って下さい(笑)」
松永 「はい(笑)」
南原 「えぇ、今日のゲストはレスリングの松永共広選手でございました。ご両親にもよろしくお伝え下さい(笑)」
松永 「はい(笑)、わかりました」
南原 「どうも、ありがとうございました」
松永 「ありがとうございました」
ってな感じで、さっそく"清流無間断"という言葉を使い(笑)、そして何故か松永選手のご両親にも「よろしくお伝え下さい」と言っていた南原さんでありました(笑)。