先日、私の学んだ高校の同窓会総会の記念講演で「いわしの話」を聞いた。
その高校の卒業生で先輩でもありである、水産博士の平本紀久雄氏の講演。
北大卒業後に鰯の研究に取り組み、今は本場の房総に住んでいると言う。
鰯には、マイワシ・ウルメイワシ。カタクチイワシの 3種類があるそうで
一般的に全てイワシと言うのは、その道ではマイワシこととを言うらしい。
イワシ漁の歴史は古く、魚はは奈良時代から宮中で食べられていたらしい。
室町時代から庶民にも食べられはじめ、江戸時代は大衆の魚となっていた。
江戸時代は豊漁が続き、食料のほかに 稲作・綿・藍・菜種・蜜柑など農産
品の増産のため、肥料としての干鰯は金肥と云われ有用に利用された。
大正期には金肥の地位は下がるも、豊漁のイワシは魚油に活用される。
昭和初期には、大豊漁と魚油の飛躍的増大で、鰯産業は一兆円産業に。
その後、30年前頃400万トンの漁獲量が、近年は3万トンに激減。
鰯の収穫量には、解明されない長期的な経年変動が存在するらしい。
同窓会という生け簀の中には、年寄り鰯ならぬ親父連が大勢集まっていた。
餌条件さえ良ければ、年に何回も産卵するカタクチイワシは大変器用な鰯。
産む卵数は多いものの、年に一回しか産卵しないマイワシは不器用な鰯だ。
マイワシが不良の年はカタクチイワシが豊漁、同時豊漁年年はないと言う。
我が家では、ほとんど毎日、朝の食卓に「目刺しの類」が添えられている。
「今年になって、目刺しがお店から消えたようだ!」と、ひげ爺の独り言。
あっても「背黒いわし」や「丸干し」で、本来の目刺しではないのかなー。
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