小さなパラボラアンテナが付きました。
取り付けは、黒松内のC電気さんではなくて、古いテレビを引き取りに来てくれた寿都のT電気屋さんにお願いしました。 通信販売が田舎で増えてきて、地元の電気屋さんはたいへんらしいようです。 なんでも、Tさんはこの地域に始めてパソコンの現物を紹介した人のようなのですが・・・・。それでも・・。
しかし、このパラボラつけるだけで・・、
おー いろいろな番組が見られるもんなんですねえ。地上波番組も幾分きれいに写るようになりました。 CSには有料番組もずいぶんたくさんあるようで、なんだか知らない世界をのぞいたような気がしてます。
今、タンザニアのキリマンジャロの登山レポートをやっているんですが、映像としてとても綺麗に見ることができます。珍しい動物や植物も見せてくれます。そして、キリマンジャロコーヒーに始まり、地元のガイドさんによる山麓の村のエコツアーの内容も丁寧に紹介しています。
キリマンジャロは、知らない地で 行ってみたい憧れの地でもあったのですが、あまりに丁寧に・・・バナナのとり方やバナナの地域経済、社会にとっての役割をTVで見せられちゃうと・・・ 体験重視(現場での実・生体験重視)の私であっても、バーチャルであっても・・・知りすぎちゃうとモチベーションが落ちてしまう
なあ・・・。 はたはま、年間3万人も登っているという様子を見せらちゃうと行く気がなくなる・・(もともとあったかどうかは別にして・・)
臨場感があるから・・それで満足してしまう、判断してしまう・・・危険だなあ。
しかし・・電気屋さんは、私達の性格を知ってか・・、見事に未来を言い当てているようです。
「始めは、たくさん番組あって いろいろ見ようとしますが、すぐ飽きちゃいますから・・・」
そうだよな、たまたまキリマンジャロのエコツアー番組やっているのを発見しただけだし・・・、
新しいものに のめり込まないようにせんとな・・・。
所詮「テレビはテレビです!」テレビが来たのコメントにいくつも書き込みをしましたが(すいませんです)「その場の空気…生音…匂い」はテレビでは絶対に伝わりません。
それと時間です。
限られた枠に押し込めて「番組」が成立していますので実体験を伝える事は出来ません。この辺が悲しいところです…あくまで主張ではなく、情報の選択は「見ている人」にあります。
あり得ない事がテレビでは表現されています。
ドラマもそうです。見たいもの…見たく無いもの…バカバカしいもの…選ぶのはあくまでもテレビを見ている個人の選択です。
実体験では「森の匂いや、立体的(川の音…風の音…鳥のさえずり…足音…会話)な音は表現出来ません。残念ながらテレビとは限界点があります。所詮映画も作り物ですが、テレビでは興行収入が…表現が…と一方的です。でも個人の意見ではありません。
「公共の電波(パブリック)」でありながら…
「伝える内容は(ノンパブリック)」という現状があります。そんな仕事をしている人が沢山います。
但し、間違えた情報を伝える事のないように…きちんと説明出来る事も力量として備えていなくてはいけません。(でも、職人が少なくなってきているのも事実です…)
そんな心構えです。
あっ…もうこんな時間…寝ます。
難しいです。
テレビは携帯電話には到底叶わないメディアです。
「日常生活の中でのテレビの位置づけは?」
「テレビの用途は?」
しかし、この時代の流れの中で「携帯電話」が使えないとなると…
携帯では情報の共有がリアルタイムで出来ます。即座に対応も出来るはずです、しかし…テレビでは一方的な情報伝達でしかないのかも知れません。
所見では「綺麗で見入ってしまう…」かも知れません…でも日常はどうでしょうか?
例えば「都市部での通勤で見る景色」と
「森の中で意識を高めたいと思い見る景色」
前者は漠然と…後者は発見を期待し、見る景色の違いがあると思います。
しかし「BSデジタルでは見えなくても良い物が見えてしまいます…」
単純に綺麗に見えるだけで…伝えている内容はさほど違いが…そんなに違いはないよなぁ~と思えるはずです。
実際に実家では、BSデジタルを導入しても、一番役立っているのは「地元の天気情報のデータ放送です」
テレビもネットに接続する事で双方向が可能と言っていますが、それは「放送サイドの思い込みで反映されるのは、YES OR NO…でしかありません」
その意味では「ブログ」も情報発信という意味では放送業となる気も致します。
普通に見てください「綺麗な絵はがきだなぁ~」程度でいいと思います。
ですが、それでは「いけないよなぁ~」と思っている裏方…が居る事を忘れないで頂けると…嬉しく思います。