高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

スキーの後悔

2020-01-14 12:12:07 | 日記

この年始はスキーをメインとした子どもキャンプでした。私のスキー(滑走面にウロコをつけた山スキータイプ)はここ何年も管理していないのでエッジが錆びていたのですが、メンテナンスしてスキーキャンプに参加しようと張り切っていたのですが、大晦日に転倒して顔面と頭を打つ怪我入院してしまい、それも叶いませんでした。

このキャンプにスキー指導者として参加してくれた久恒さん(ぼーぼー)は、キャンプ終了後も道内各地を旅してスキー三昧を送っているようでFacebookでその様子が連日アップされています。それを観てうらやましく思うアタシがいます。

私は千葉生まれで大学で北海道に来るまでは雪の上でスキーをしたことが一度もありませんでした。(昭和30年代の船橋ヘルスセンターにあった人工芝スキー場でスキーをしたことはありましたが)

 大学では入学したらワンゲルか山岳部に所属しようと考えていましたが、北大には山スキーという部があることを知り、悩んだ末に入部しました。そして最初のGWの新人歓迎合宿では、同部が管理している山小屋がある札幌郊外の無意根山で行われました。滑ることができない私のザックを背負った滑降は、当然に転んで転んで雪まみれになる散々なひとりプロレス状態となりました。 これは真剣にスキー練習するぞと自ら誓わせる結果だったのですが、運命は・・・、

GWがあけるとすぐに、実家からオフクロがくも膜下出血で倒れ昏睡・植物人間状態となったと連絡が入り、看病のため実家に戻り大学は休学することになってしまいました。 翌年、復学はしましたが、ワンシーズン、部活動をした同期達は、見事にたくましく成長していました。 いまさら1年目をやり直す気にもなれず、はたまた岩登りをしたいというモチベーションもあったので、退部し社会人の山岳団体に入会ました。

その山岳会でも山スキー登山はありましたが、スキーはむしろ登行手段であってスキー技術を特段に磨く山行はありませんでした。なので、私のスキー技術はまったくもっての我流であり下手くそのままなのです。制動の効く雪の山中ならまだしもなのですが、圧雪されたスキーゲレンデ(スピッチェ?)ではエッジをちゃんと使えないので、からっきしダメのままなのでした。

この歳になって・・・、スキーが楽しめるのと楽しめないのでは、北国暮らしは随分とちがうなあと感じるのであります・・。

ぼーぼー、年寄り対象の初心者レベルのスキー教室を開催してもらえないかなあ・・・。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする