高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

おじさん

2007-11-14 02:09:47 | 主義・主張
ちょっと このところ疲れを感じております。 疲れの原因を考えると・・どうもアウトプットし続け過ぎ・・・。 

ぶなの森スタッフは、長期の充電を取ってもらうように 海外へ旅させようとしております。 MMUはインドネシアへ。 TBOはタイへでかける準備をしています。 私は 1週間も カミサンや子ども達を置いてそんなことは 道義的にできませんから・・・。 

そのかわり、ちょっと普段考えていないようなこと、他のことを考えてみるか・・・それがリフレッシュになるかなと・・・。

思えば 北海道自然体験活動NEOSを始めた動機について・・・あまりみなさんにご披露していないことが あります。 そのモチベーションの発現をあんまりしていないんだなあ・・・これまで。

自分では、若いつもりでも 写った写真やら見ると、たいそうオジサン化しているのを気づかされる昨今であります・・。 白髪もめっきり増えましたしね。

不動産開発の仕事をしていた頃、中高年齢への健康サービスということが大きなテーマでした。バブル景気の時の健康ランドを開発は そのターゲットは 当初はファミリーというよりか、中高年齢だったんですね。  21世紀の高齢社会にも対応できる施設開発なんて・・命題もありました。 私は 30代中半でした。

つまり、高齢社会について まだあまりピンとこない世代だったのです。21世紀には65歳以上が人口の3分の1を占めるようになる、そんな時代の健康・レジャー産業のサービスはどんなものがあるか・・日夜悩んだのですが、これと言って解答が見つけられずにいたのですが・・、 

ある日、はたと気がついたんです。 その社会を誰が生きるのかって・・・
実は、自身だってことを!!

それは、ショックとともに、目から鱗が落ちるような気づきでした!!
つまり、当時の高齢者問題と将来、私自身が飲み込まれる高齢社会の問題は質的に異なるものだと気がついたんですね。

ということは、30年かけて 自分の世代が求めるものをサービス化してゆけばいいのだ、と解決の方向がわかったんです。

いろいろあって不動産開発から足を洗ったのですが、私がやるべきことは、「ソフト開発、人々が集まるような場やプログラムづくり」だと方向転換をしたのです。 それで、その場を自分が好きだった野外自然活動に求め、人が健康で幸せに暮らすサービスを提供することを仕事にし始めたわけです。

それから時代は15年以上も過ぎ、私も50を越える年齢となりました。 自然体験活動で確かに異年齢、異世代によるコミュニティのモデルをスタッフの皆と創出してきました。山登りであったり、子どもの体験活動であったり、山村留学であったり、登別フォレスト鉱山のような仕組みと場、黒松内ぶなの森自然学校などいろいろな人たちと自然や田舎を舞台に出会うことができる ネイチャーコミュニティを試行錯誤してきました。

でもですね・・・何かすっきりとしないのは・・・、

私等の年代の参加がないんですね。また明確にアプローチをしてこなかった。私たちは、子育てにもお金がかかる世代ですからね・・。仕事以外になかなか外とのつながりをつくる時間が持てない。実は自分のコミュティをしっかりともっている人は少ないのではないか・・・特にオジサン達は・・・。

そろそろ、50代向けのプログラム(ソフトウエアー)をやってゆかんと、私もすぐに(生きていればの話ですが・・)60歳になり65歳になってします。

プログラムというよりか、ライフウエアの提案だな・・・。
これは、たぶん 団塊の世代の人たちとまた違うような気がする・・・。

そんなことを考えて・・・
秋の夜は更けてゆく・・・ わたしも 老けないように しなければ・・・
コメント (5)
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