黒松内を流れる朱太川の上流、歌才(うたさい)の林の中に鮭の稚魚の養殖水槽があります。孵化は自然学校のある作開(さっかい)地区にあるのですが、産まれるとより上流に移動させられます。
イカシパは、八雲辺りのコタンの長で、それも20代の若くして(総オトナ)になった人望・知識・技術が高い人物であったらしい。 家畜商として獣医としてのチカラと技術もあり、その仕事で黒松内にも足繁く来ていた。 八甲田山の陸軍の大遭難(八甲田山死の行軍)の捜索では、北海道アイヌ捜索隊として大活躍して積雪期の中で数多くの遺体収容にもあたったという。

寿都町と黒松内町、島牧村で分ける寿都半島(私だけの通称)には月越山地が背骨のように伸びています。その最高峰(とはいえど、標高503mですが)の名前は母衣月山といいます。読み方は「ほろつきやまやま」です。 北海道はアイヌ語源の地名が多いのですが、これはかない大和語起源のように感じますが、その由来はわかりません・・。
この頂上には、遠くから樹冠だけが見える大木のような常緑針葉樹あります。それを見ざして冬期にスノーシューで目指したことがありました。無雪期は背丈以上の根曲がり竹が密生しているので近づけません。 ときおり太いダケカンバなどがありますし、ちょっと離れた場所にはミズナラの大木もあるので、かつては原生の森だったのでしょうが、ニシン漁盛んな頃に生活やニシン油製造のための燃料としてバンバンと伐採されてしまったのでしょう。
近づくと、大木あらず、なんと背丈ほどのオンコの木(いちい)なのです。 風雪に耐えて成長ができなかったのか・・、あるいは、あまりにもわかりやすい目印のように鎮座しているので、誰かが植えたものなのかもしれません。
なかなか近づきがたい場所にあるのですが、大切にしたいいち樹です。
(写真は 山本竜也さん撮影)
PS アイヌ語で 大きな盃を伏せた山 みたいな名前でもあるらしい・・と、とあるかたからお知らせが来ました。
10月22日
隣町の寿都で開催されている「寿都お宝学習会」なる市民サークルに参加させてもらっています。10数人のメンバーがいて寿都教育委員会の学芸員参加事務局を勤めてくださっています。 寿都弁、寿都鉄道、金唐紙、角十佐藤家などいくつかの調査グループがありフィールドワークをしています。 私はかつてのニシン漁の場所請負人だった佐藤家の倉の片づけチームに入っているのですが、他のチームのワークにも参加してもいいので、「寿都の石」チームのフィールドワークに参加してきました。
寿都はニシン漁盛んな頃の大金持ちの家が今も残っており、それらの土台やら墓石などに本州から北前船で運ばれてきた本州産の建築石が各所で使われています。 それらは灰色から肌色の火山性の溶結岩なのですが、どうもそれと違う黄色みがかったものでありました。調べてゆくと、港の岸壁にも使われていたりすることが発見されています。 海岸にも崩れて波に揉まれて丸みを帯びた石も数多く見つかります。

今回は、詳しく歩き回ったこの地区(美谷・びや)のTTYさんの案内で巡検。すると、海岸にある稲荷神社の地面がこの黄色みがかった地層が露頭していることがわかりました。さらには、切り出し場であったであろうかと思われる地形が大きくくぼみ同様の地層が露出し、タテヨコに切り込みがはいっている崖もみつかりました・・。
例の画像検索植物同定ソフトによると、「里桜」となりました。 ソメイヨシノが散った頃に満開となるこの種の桜も黒松内に結構あちこちに咲き誇っている「今」です。 ヤエザクラだと思っていたんですが・・。
北海道の樹木図鑑によると、サトザクラと確かに載っています。 その説明には「古くから品種改良され栽培されてきた多くの園芸種の総称で、現在300種(!!!)ぐらいある。通称ヤエザクラと言われるものは、分類上これに入る」とありました。
なあるほどの 春爛漫。
寿都の居酒屋辰巳。 お奨めのお店です。 自然学校からは車で行かなければならないので、年に数回しか現れることができませんが、近くにあったら、通い詰めるだろうなあ。 今日は長女が里帰り中だったのでハンドルキーパーとなって、今年2度目くらいかなあ、行ってこれました。
仕事柄(最近はそうでもありませんが)道内のあちらこちらの町村に出張したときにその地域に飲食店に行くことをたのしみにしていましたが、地域の人も利用していて居心地のいい居酒屋さんに巡り合うことはなかなかありません。
ここは漁師町です。なので海鮮物は下手なものが出せません。刺身の盛り合わせなどは、札幌のちょっといいお店にゆけば7,800円はとられそうなものが2,3000円ですし、当然に旬の魚介もあり、かたや焼き鳥などの居酒屋定番のメニューも豊富でリーゾナブルです。
黒松内白井川(地区的には赤井川なのかな・・・)にある三浦豆腐さん。大豆の皮も一緒にお豆腐にしてしまうおからのでないお豆腐です。そう聞くと固そうに思われるかもしれませんが、プリンのような食感がします。 ゴマと絹豆腐を買って帰ったところ、MRKさんがチェック模様に配膳カット。 なかなか斬新ね! 食卓が楽しくなりました。
あまり知られていませんが、黒松内にエゾリュウキンカの大群落地があります。秘密でもないけれど隠れたるスポットです。黒松内の高速ICへのバイパスをゲートへ向かうと左手に見える場所なのですが、そこへ到達する道筋がなかなか複雑です。本日、スタッフとフィールドワークに訪れました。今が見頃です。
以前はもっと広大な湿地だったのでしょうが、高層道路工事の残土置き場に一部がされてしまったようです。それでも見事です。ぜひとも、町にも保全地として欲しいものです。 自然学校では通称:赤井川ヤチブキ群落地と呼ぶことにしました。
冷え込みましたが、良く晴れた朝です。
自然学校の裏山(通称 作開三山)が白銀に輝いています。写真は天狗岳、右へ作開山、観音岳と続きます。800m前後の低山なのですが、まるで高山のように望まれ(臨まれ?)ます。
作開は、サッカイと称します。漢字つらから見ると和人が開拓した場所のような和名です。地域でもそう伝わってはいるのですが、アイヌ語の研究者の説によると、北海道の地名の多くはアイヌ語発音から由来しているそうで、そのルーツを探るときは、現表記の漢字を音訓読みをしてみてみるといいと教わりました。
作開→さっかい → さくひらく→サッピラとして読み解くと sakku →夏を表す発音 pira →崖を表す発音 とすると→ 夏に崖となるところ
という意味にとれます。 冬の間は雪で白銀の山ですが、雪が溶けると、頂上付近は黒く崖が遠望できます。
私は、この地はかつてサッピラと称されていたんじゃあないかと考えています。
黒松内町白井川の国道5号線(道の駅の前)の除雪雪はすでに雪山となっています。 ここから20Kmほど離れた、我が集落は国道ではありませんが、片側一車線の道道(北海道ですから、県道ではなくて、道道となります・・)ですが、こんな風にはならないのだなあ・・。 見わたすと雪の量はさほど変わらないのに・・・、なんでかなあ????