
一階はコミュニティ商店、二階は高齢者対象の賃貸アパート。長屋をイメージした協同住宅。 新しい地域に住まい方、暮らし方を模索する姿がここにあった。(岩手県東和・土澤商店街の一角) この仕掛け人 Sさんとお話させて頂いた。
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何を留(とど)まるのか 何を恐れるのか
夢を描くこと、あきらめないこと、変化を恐れないこと を信条に生きて来た。
今回の釜石行きで沿岸地域を支える内陸に住むたくさんの人達に新しく出会い、そして被災を受けた人達に再開し、ボランティアセンターにやってくる人達と話すし中に「変化の兆し」を感じている。 そして、自分の中にちょっとした「戸惑い」も感じている。
これまで目の前に現れた被災者を対象に、目の前にある、起こる課題に対して支援活動を展開してきた。もちろん、その活動はニーズがある限りボランティアさんと一緒にやってゆく。一方では、これまで目の前にいなかった人達への出会いも始める。
流れに身を任せる 自分を信じてやる 気負わない 説明をする それより気持ちを伝える・・
いつもどおりにやってゆこう。
「フクシマのうそ」
ドイツZDFの取材ドキュメント
http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news
驚くべき関係者取材、力作のドキュメントだ。
私達は次の災害と事故を想定しつつ覚悟して生きてゆかなければならないと思う。
瓦礫処理もなぜ全国に広げて処理しなければならないのか、疑問に思えて来た。阪神の時は震災現場近くに10を超える処理施設を作って1年の間に相当の瓦礫量が処理されていた。 なぜ、被災地に作らないのか・・。 マスコミ報道も瓦礫受け入れ地域の推進になって来てしまっている。
瓦礫があるせいで復興が遅れているとは、もちろん、瓦礫が積まれている個所を高台移転に計画している地域もあるが、それはすべてではない。私も思えなくなってきた。
チェルノブイリハート黒松内上映会と北大の地質学者であり博物視観で解説する小野先生の講演を開催。町民を中心に70名を超える方々に参集頂いた。札幌圏住民200万人からの参加割合比率なら5万人規模。
北海道太平洋側の4~500年周期の地震の心配だけでなく、日本海側、つまり泊原発側の活断層研究の最新情報もありました。
そもそも日本の原発推進は学校教科書に今はあたり前の地球地殻のプレートテクスト論が認められていない時代に決定されたままなのです。
巨大地震で地面に段差ができる可能性がある。泊の周りにも地質学的にみて、土台が隆起があちこちでみられる。
そもそも地震大国日本のゆえんは地殻プレートの境に日本列島が地球的スケールで立地しているからなのだ。今回の原発震災は推進を始めた以降の正しい地球科学の学説を無視し、それを知らない、想定外とかたずけた人災でしかない。
原発電力の必要性を百歩万歩億歩譲っても、地球規模の立地条件で考えて、日本は原発立地に適していない。
北海道太平洋側の4~500年周期の地震の心配だけでなく、日本海側、つまり泊原発側の活断層研究の最新情報もありました。
そもそも日本の原発推進は学校教科書に今はあたり前の地球地殻のプレートテクスト論が認められていない時代に決定されたままなのです。
巨大地震で地面に段差ができる可能性がある。泊の周りにも地質学的にみて、土台が隆起があちこちでみられる。
そもそも地震大国日本のゆえんは地殻プレートの境に日本列島が地球的スケールで立地しているからなのだ。今回の原発震災は推進を始めた以降の正しい地球科学の学説を無視し、それを知らない、想定外とかたずけた人災でしかない。
原発電力の必要性を百歩万歩億歩譲っても、地球規模の立地条件で考えて、日本は原発立地に適していない。
北海道に帰り来て、これからの防災や万が一の、しかし必ずある近未来の被災支援のあり方について、北大のS先生、大学院で消防団について研究を考えているMと情報交換。
マイカップへ行き、連合町内会範囲での防災活動を始めているIさんとも意見交換。
時間密度が濃い三日間でした。10代から70代までの20数人の構成、三世代交流、被災地交流ができました。
いろいろと考えることができました。帰ってからゆっくりと感じたことを改めて書き記したいことがたくさんありました。
帰りのフェリー船中。
昨年5月・・まだまったく片付けに手が付いていなかった根浜海岸の集落。車が通れる道路だけが開いていた。 大槌湾の鵜住居の小湾の津波は、よく映像で流れる強靭な黒い塊が家屋や車をもろとも流す、押し寄せるような津波ではなかった、と命からがら逃げた被災者が証言する。3匹とも5匹とも証言される黒い巨大な龍が暴れ回っていたという。
幾重もの渦と岸にぶつかり砕ける10mはゆうに超える大波、荒れ狂う海は、湾全体を猛烈・甚大・創造を越える破壊力で街を撹拌した。対岸の大槌市街は火災が起き、爆発音と共に無数の火の手が上がった。まさに地獄図だったとKKさんもIAさんも私に話し、ISさんは映画のCGの世界を現実で見たと言った。
その大自然の猛威に破壊された家屋、鉄骨、車、様々な生活用品、漁具が散乱する中に、ブルーシートが見えた。近づくと、漁師さんが一人いた。流れ着いた工事現場の鉄パイプを集め小屋掛けをしていた。Mさんだった。
「今、誰かがやらんと、漁師が帰ってこんですよ!」
「漁師は、海がすきなんですよ」 とMさんが言った。
それからだった。散乱する破壊されたモノ達を片付ける作業・・俗に言われる瓦礫撤去、泥出しをねおすのボランティアチームが始めたのは。 手作業で少しずつ片付け作業場を広げていった。漁具を集め、すぐそばの神社も散乱物を集め、打ち上げられた砂を掘って鳥居や階段を現わした。
北海道寿都町の漁師が提供した船外機も一番に届けた。そのつながりから、ワカメ養殖の復旧のために万単位に必要とされる1体50Kg近い砂利袋(養殖筏のアンカー)をたくさんのボランティアの手を借りて帰ってきた漁師さんと作った。
その間引きワカメをつい先日ごちそうになった。芯は太くシャッキとしているが、すぐ噛みきれる歯ごたえ。うまかった。そして、初出荷は今月下旬。
港湾復旧はまったく手がつけらていない。地盤沈下した岸壁の大潮時は船がつけられない。
根浜の復旧の青写真はやっと提示されたが、土地所有者との交渉はこれからだ。それが年内かかると言われている。港の復旧工事開始は1年後になると言われている。
その中で漁師達は漁業の再開をめざしている。 春から養殖筏を今の何倍にもする。筏づくりは今年も続く。Kさんから蠣養殖の再開を始め出したことの説明を受けた。
その果てしない困難の中で人々は立ちあがろうとしている。
人間力の底力を感じる。 人間って凄い!
大勢のボランティアが期待されている。それが、私達が通う被災地の現実だ。

第三陣でキングが手配し被災地にふった、セッケンが大量の●●を危険を省みずに決死の覚悟で運んだ仲間であったキング号。 後に子ども達に絵を描いてもらいデズニー号となったライトエース。
入退院も繰り返しましたが、ついに廃車となります。一年間、御役目ありがとう!
くしくも被災一周忌です。
八戸港にそろそろ着岸です。15人程で北海道から移動。現地集合5人。さらに現在ボラセンで活躍中の5名を加えて、釜石の慰霊祭に参加、花壇整備等のボランティアなどを予定しています。
震災から一年。あの日は明日です。誰もが運命を抱えている。
一日一日を大切にしたい。でも、なかなかそれもできないのも人生。