「Aさんを来ていただいて」、これをおかしいと感じますか? 感じなかったら、あなたの日本語は相当大変なことになっていますよ。「Aさんをお招きして」と言うつもりだったのに、「お招きして」に抵抗を感じたのか、何か都合の悪いことを思い出したのか、急きょ「来ていただいて」に変えたようなのですが、すでに「Aさんを」と言ってしまったのだから「お招きして」と言えばいいのです。なぜ無理やり「来ていただいて」に変えるのでしょうか。とにかく何でもかんでも「いただいて」で、それならそれで「Aさんに」とすぐ言い直せばいいのですが、それもしません。
助詞が間違っていても意味は通じるだろうという「聞き手に対する甘え」があります。今、多くの人は徹底して聞き手に甘える話し方をしています。聞こえるだろう、分かってくれるだろう、知っているだろう、これは甘えです。そして、日本人の言葉の丁寧さというのは、実に中途半端です。「大勢の人が来ていただいて」とは一体何なのでしょうか。来てくれたことを喜んでいるのなら、「大勢の人が来てくださって」が本来の言い方です。「来ていただいて」なら、「大勢の人に」です。必死で呼びかけて集まってもらったのなら、助詞は「に」です。
私の場合、ストレスがたまっていても、かわいいハムスターが癒やしてくれます。ストレスがたまっているのにハムスターがちっとも顔を出さなかったら、ハムスターには悪いけれど、ハウスの屋根をどけて爆睡中のハムスターをつかみ出し、おなかに鼻を押し当て、半眠りのハムスターに癒やしてもらいます。ハムやん、ごめんな、我慢できんかったんや。
助詞が間違っていても意味は通じるだろうという「聞き手に対する甘え」があります。今、多くの人は徹底して聞き手に甘える話し方をしています。聞こえるだろう、分かってくれるだろう、知っているだろう、これは甘えです。そして、日本人の言葉の丁寧さというのは、実に中途半端です。「大勢の人が来ていただいて」とは一体何なのでしょうか。来てくれたことを喜んでいるのなら、「大勢の人が来てくださって」が本来の言い方です。「来ていただいて」なら、「大勢の人に」です。必死で呼びかけて集まってもらったのなら、助詞は「に」です。
私の場合、ストレスがたまっていても、かわいいハムスターが癒やしてくれます。ストレスがたまっているのにハムスターがちっとも顔を出さなかったら、ハムスターには悪いけれど、ハウスの屋根をどけて爆睡中のハムスターをつかみ出し、おなかに鼻を押し当て、半眠りのハムスターに癒やしてもらいます。ハムやん、ごめんな、我慢できんかったんや。