◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

「冷静な判断力」って?

2009-12-09 20:10:24 | 言葉についてあれこれ
                                 近いよっ
 このごろ民放のあまりのにぎやかさについていけなくなってきて、消すか、NHKにするか、ということが多くなってきたのですが、割と安心して見ていられる番組の一つに「クローズアップ現代」があります。いや、ありました。先日、ナレーションをちゃんと聞いていたら変な日本語が次々と耳に入ってきて、これも安心して見ていられる番組ではなくなったなぁと思いました。
 ちなみに、「安心して」というのは、正しい日本語で放送しているから、画面を見ずにふんふんと聞いていてもすんなり理解できる、誤解が生じない、ということです。つまり、変な日本語は分かりにくい、誤解が生じやすいということですから、私のようにながらテレビの人間はとても困るのですよ。
 以前、「世界遺産への招待状」のおかしなナレーターについて書きましたが、オーディションでナレーターを選ぶとき、なぜ「正しく美しい発音で日本語をちゃんと話せる」ことを第一条件にしないのか、本当~~~に不思議です。まず、ちゃんとしゃべれること、その条件をクリアしたうえで個性を問えばいいわけで、何よりも大切な条件が無視されるなんて間違っています。
 教養ある担当者が真面目に考え真面目に原稿を書き、ベテランのナレーターが真面目に読んでいるはず・・・ですが、「ローンを返せずに家を失う」「人々は冷静な判断力を奪われているのではないか」なんて言うのですよ。とにかく何かがおかしい、日本語を何だと思ってるんだ? 受信料返せ! とNHKの人に言ってみたいわぁ。
 「ローンを返せずに家を失う」は、もう何度も書いているように、正しくは「ローンを返せず家を失う」ですね。ローンを「返せなくて」家を失うのですから。「人々は冷静な判断力を奪われているのではないか」は、正しくは「人々は冷静に判断する力を奪われているのではないか」もしくは「人々は冷静な判断をする力を奪われているのではないか」です。「冷静な判断力」なんて変ですよ。「判断」ではなく、判断する「力」ですから、それは、あるかないか、強いか弱いか、大きいか小さいか、であって、冷静な「力」なんてありえません。
 まさか、「冷静な判断力」でも意味は通じるだろう、「冷静な判断力」というのはすなわち「冷静に判断する力」のことだ、それぐらい分かるだろう、だからいいじゃないか、なんてマジで思ってないでしょうね~( ̄ ̄)ウムムゥ。皆さんも、ああ、「冷静に判断する力」と言いたいのね、なんて思ってそれで終わり、ではいけませんよぉ。
コメント
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