日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

虚栄心というプライドか

2012-01-18 19:33:07 | 徒然
今週初め「SPPEDI」という、放射能測定情報についてのニュースがあった。
「東京電力・福島第一原子力発電所事故」で飛散した放射能の状況把握と予測をした情報である「SPEEDI」の情報が、何故か官邸よりも先に米軍に流れていた、という内容のニュースだった。
この報道自体は、年明けぐらいに朝日新聞が連載していた「プロメテウスの罠」という記事で、既に報じられていて「逆に何故に今頃?」という気がしたが、どうやら朝日だけではなく新聞各社もある程度把握していたのではないだろうか?

そして今日、この「SPEEDI」について「避難指示の判断材料として使わない」という方針が安全委から発表されたようだ。
讀賣新聞WEBサイト避難判断にSPEEDI使わず…安全委が改定案

この記事を読むと「SPEEDI」のデータは不確実な内容であるため、避難指示の判断材料にはならない、というコトのように読み取れる。
113億円という金額を投資して作ったシステムなのに、「不確実な内容」というコトだけで使われないというのは、何とももったいない気がする。
「それだけの投資をしているのだから、もっと精度を上げる努力をすべきなのでは?」と、考えるのは素人考えというモノだろうか?
というよりも、避難指示というのは緊急性が高いモノなので、「不確実性が高くても、とりあえず避難させるほうが先」だと思うのだが、安全委の方の考えは違うようだ。

一昨年大ヒットした「もしドラ」の原作となった、ドラッカーの「マネジメント」を引用するまでも無く、企業だけではなく様々な組織には「目的」がある。
言い換えれば、その企業や組織が存在する意義のようなモノだ。
その視点で考えると、安全委の目的の一つは「正確なデータ収集」だということが分かる。
しかし緊急性を要する場合、放射能の拡散(=被害)を最小限にするための指示というコトも含まれるのではないだろうか?
とすれば、正確性を欠いてもその時使えるデータを総動員して、分析をし事故を最小限にするための努力が必要だろう。
「緊急性が高い」というコトは、一刻一秒を争う状況というコトだ。
刻々と変わる状況の中で正確なデータなど無い、と考えるほうが当然だろう。

残念ながら、この記事を読む限りでは安全委の方々の頭の中には、「緊急時の対応」というコトが無いように思われる。
「緊急時の対応を考えない組織」というのは、組織として成り立つのだろうか?
むしろ「緊急時の柔軟な対応力を持つ組織」でなくては、「安全」を確保できないのではないだろうか?
と同時に、安全委の人たちは「自分たち組織の目的」を理解しているのだろうか?と、疑問に感じてしまうのだ。

記事を読む限りでは、様々なトコロから批判されたことに対する、稚拙な改定案のような気がしてならない。
そのような改定案の発想の素となっているのは、批判に対する虚栄心という名のプライドのような気がするのだ。

AUの戦略

2012-01-17 20:36:59 | ビジネス
昨日AUが、春モデルの発表と新しい料金をした。
その中で目を引くのが、やはり新しい料金だろう。
あくまでもスマートフォン+固定電話を対象とした、料金改定のようだが月額1,500円の値下げというのは、利用者にとって大きな魅力だと思う。

これだけの値下げができた理由などについては、新聞などの各報道に詳しくあるので拙ブログでの下手な説明は必要ないと思う。
しかし、報道内容を読む限りではAUの親会社(?)であるKDDIがNTTとは別に光通信網を持っていることが今回の大幅値下げを可能にしたということのようだ。
確かに、KDDIは電力会社系の光通信網を利用している。
そのため、NTTが受けている規制は無いという理由も分かる。
であれば、何故もっと早くこのような料金設定ができなかったのだろうか?と、単純に疑問に思ってしまうのだ。

そして、スマートフォンを対象としている、という点もチョッと引っかかる。
その理由は、おそらく多くの方が感じていらっしゃるとおり、iPhoneと関係があるのでは?というコト。
AUがiPhoneを取り扱うにあたり、相当高いハードルを交わしたのではないだろうか?というコトだ。
もちろん、iPhoneだけがスマートフォンではないので、今回の値下げで恩恵を受けるのは、AUのiPhoneユーザーだけではない。
しかし、やはり今回の値下げの背景には、iPhoneの厳しい販売台数をクリアするため、という気がしてしまう。

もう一つ発表会で感じたのは、スマートフォンユーザー像をAUがどのように見ているのか?というコトだ。
新しいキャラクターとして起用されたのが、井川遥さんと伊勢谷友介さん、剛力彩芽さんの3人。
これまでの「嵐」から、随分とイメージが変わった気がする。
ロゴなども変更していることから、一新するイメージが必要だったということもわかるのだが、どうしてこの3人なのか?という気がするのだ。
特に、井川遥さんの起用にやや違和感を感じてしまうのだ。

確かに、スマートフォン利用者は男女比で比べるなら女性のほうが多いといわれており、その中心ユーザーは30代だといわれている。
丁度井川さんと世代的には重なるのだが、井川さんのイメージがスマートフォンユーザー像と重なるのだろうか?という点で、違和感を感じるのだ。
個人的には、井川さんのような癒し系ではないのでは?と、思っている。
実際のスマートフォンユーザーの多くはごくごく普通のOLさんだと思うし、実際地下鉄などで見かけるスマートフォンユーザーは、ごくごく普通のOLさんばかりだ。
であれば、普通のOLさんから共感を呼びそうな女優さんを起用したほうが、よかったのでは?
それとも、AUは主婦層を意識したということだろうか?
それも、プチセレブ志向のある層を。

いずれにしても、しばらくは春モデルの携帯電話の発表会が続くはずだ。
docomoはおそらく、新しい通信システムxiを搭載したスマートフォンやタブレットに力を入れてくるだろう。
ソフトバンクにしても、新しい回線を獲得するためのアクションを積極的にとってくるだろう。
その時、各社がどんな世代に対してどんなコトを考えているのか?
それが分かるのが、イメージキャラクターという存在だと思う。

アスリートとしてのプライド

2012-01-15 20:30:09 | スポーツ
フィギアスケートの浅田真央選手の本が、急遽出版中止となった。
そのことに対して、浅田選手は「宣伝などの方法が、自分の意図しないものであった」という内容のコトを話している。
その後出版を予定していた出版社からも、新聞に同様の内容の出版中止のお知らせを掲載している。

2月上旬発売を予定していた本なので、もしかしたら一部は刷り上ってしまっていたかも知れない。
それでもあえて、浅田選手が出版中止を申し入れたのは出版内容と宣伝の内容が、大きく違っていたからだろう。
しかし、出版社側としてはその「宣伝内容」を使うことで、より高い宣伝効果がある、と考えていたというコトだ。

その問題となった宣伝内容とは、昨年暮れ亡くなられた浅田選手のお母様を使ったものだった。
何気なくその宣伝内容をみると「亡くなったお母さんにささげる内容なのかな?」と、思ってしまうもの。
しかし、実は1年以上の時間をかけ準備をしてきた本だった。
だからこそ、浅田選手は「亡くなった母を出してまで、本を売ろう」という姿勢に、疑問を感じたのだろう。

ただ今回のようなケースは、とても稀のような気がする。
出版社側としては、お母様が亡くなられたのは事実だし、そのことに触れているいないではなく、話題の一つとして使いたい、という気持ちはあるだろう。
いくら浅田選手とは言え、作家が本業ではない。
だからこそ、出版社の多大なサポートを必要として作られたはずの本だったはずだ。
その「多大なサポート」を盾に、出版社がややもすると強引なカタチで本を出すということは、これまであったのではないだろうか?
だからこそ、あのような広告宣伝文を掲載したのでは?
ところが浅田選手側から、出版中止の申し入れがあった。
それも浅田選手側が先手を打つようなカタチで、発表をした。
そのことが、とても稀なケースのように思うのだ。

そして一つ思い当たるのが、浅田選手をマネジメントしている企業の存在だ。
浅田選手がマネジメント契約をしている企業というのは、米国のスポーツ専門のマネジメント会社だったと思う。
それも単にマネジメントをするだけではなく、有望と思われる選手を育成することにも力を入れている。
そのため、選手に対するイメージ管理なども厳しくしているだろうし、何より選手がアスリートとして、余分なコトを考えなくても良い環境を作り出す努力をしているはずだ。
だからこそ、浅田選手が亡くなったお母様のコトまで持ち出して宣伝をする、という出版社側の姿勢に対して、強く言うことができたのではないだろうか。

残念ながら日本では、これほどまでに強いマネジメント会社は無い。
選手のイメージを守るというのは、マネジメント会社にとって当然のことなのだが、「売れるが勝ち」的なムードをマネジメント会社側も作りがちになっているのが現状だろう。
そのように考えると、浅田選手の本の出版中止というのは、単に「宣伝」の問題だけではなく、アスリートのあらゆる面のマネジメントとは何か?というコトを、考えさせられるモノのように思う。

そして、それは一般の企業についても同じことが言えると思う。
すなわち「社会が自分たちをどう見ているのか?」という、第三者的な視点を企業内で持つ重要性というコトだ。

内閣改造・・・?

2012-01-13 20:23:59 | 徒然
今日、内閣改造が行われた。
その顔ぶれを見ても、「はぁぁ~」という感じがする。
「はぁぁ~」という感じがする大きな理由は、改造前の内閣がどんな仕事をしたのかわからないからだ。

よく「内閣改造」を行う理由として挙げられるのが、「支持率のUp」のためといわれている。
野田さんが総理になった当初は、いわゆる「ご祝儀的支持」もあったようだが、その後は下がり続けていた。
先ごろ行われた各調査会社の内閣支持率は、50%を切っていたと思う。
そのテコ入れ策としての「内閣改造」だったのかも知れない。
もちろん、失言の多かった大臣の更迭ではない辞めさせ方だったのかも知れない。
だが、いずれにしても野田さんが総理大臣になってから、どんな仕事をしてきたのかよくわからないまま、内閣改造が行われたという印象がある。

数少ない野田さんの仕事といえば、「TPP参加を検討するコトの表明」と「増税」だろう。
でも、これらのコトについて国会で野党と激しく論戦を繰り広げた、という印象がまったく無い。
そもそも昨年後半の国会で、何が話し合われたのか、印象が無い。
そんな印象を持っているのが、私だけなのだろうか?と思いつつ、おそらく国民の多くはTPP参加も大切なことだが、それより震災地の復興や先が見えない「東京電力福島第一原子力発電所事故と放射能」のほうが、気になっていたのではないだろうか?
そちらについての積極的な話し合いが、国会でされたのか?といえば、その印象も無い。

野田さんが総理になってからの国会は、「何を話し、決まったのか印象が無い」という国会だった。
もちろんその責任の一端は野党にもあるのだが、そんな中で「内閣改造」をしても「何故内閣改造をするの?」という疑問がわいてきてしまう。
これらは、あくまでも私個人の感想なので政治に興味のある方から見れば、もっと関心を持って注目すべき、と指摘されると思う。
思うのだが、毎日のように新聞を読み、ネットでも頻繁にチェックをしてきた割には、政治の話題が余りにも少なく、どのようなことをしているのか分からない「第一次野田内閣」だったように感じている。
そのためだろうか?「第二次野田内閣」に対する期待感が余り無い。

キーワードは「優しさ」と「伝えるコト」

2012-01-12 19:17:59 | CMウォッチ
花王が、明日から「字幕付きテレビCM」を試験的に流すようだ。
花王ニュースリリース「字幕付きのテレビコマーシャル」を試験的に放映

目的は、ニュースリリースにある通り「視聴者への配慮」というコトだろ。
いくら良い商品でも、キチンと伝わらなければテレビCMの意味は無い。
この様な「字幕付きテレビCM」というのは、今回の花王が業界初というコトに、チョッと驚いている。
考えてみれば、確かに過去「字幕付きテレビCM」というのは記憶が無い。
サントリーのBOSS・レインボーマウンテンのジョーンズ氏のテレビCMのように、場面設定などを説明する字幕はあったが、商品そのものを説明するようなテレビCMは無かった。
その意味で、今回の試みは挑戦的なモノだと思う。

これまでこのような「字幕付きテレビCM」が無かった理由を考えると、「テレビ視聴者」の世代層が広すぎてできなかったのでは?という気がしている。
これは何もこのような試験的なことに限ったことではないのだが、「字幕付きテレビCM」を見た視聴者の中には、「字幕が邪魔」という人は少なからずいるはずだ。
その「字幕が邪魔」という人の意見と、「伝え易さ」という点の両方を考えた場合、これまでの傾向として「字幕が邪魔」という意見に従う傾向が、若干なりともあったと思う。
もっとも、「テレビCMそのものが邪魔」という方のほうが、現実には多いのかも知れないのだが・・・。

しかし、若年層のテレビ離れが年々増してきている状況を考えると、テレビそのものの視聴者層が、年々高くなりつつあるともいえる。
とすれば、年々高くなりつつあるテレビ視聴者に対して、「伝える優しさ」という視点が必要となってくる。
その点を考えれば、これからのテレビCMの一つの流れとなっていく可能性があると思う。

それだけではなく、もしかしたらこの「字幕付きテレビCM」は新たなテレビ番組創りのきっかけとなるかも知れない。
というのも昨年に本格的運用が始まった「地デジ放送」には、データ通信という機能が付いているからだ。
これまでは「テレビドラマを見ながら、出演者が着ている服が買えます」とか「料理番組のレシピが、自宅でプリントアウトできる」といったことばかり言われてきた。
しかし本当は、「映像だけでは伝わりにくい情報を加える」というコトのほうが、「地デジ化」の魅力なのではないだろうか?
聴覚にハンディのある人でも、話題のテレビドラマが気軽に見られる。
緊急情報が、音声と映像で伝わる+携帯電話やスマートフォンのバイブレーション機能と連動する、といった複数の情報端末と連動した情報提供というコトの可能性もあるのでは。

そのような視点で考えると、今回の「字幕付きテレビCM」は、「人に優しい」、「伝わり易さ」だけの試験的なモノではないようないような可能性も感じるのだ。


音楽配信と電子書籍

2012-01-11 19:23:30 | ビジネス
先日、朝日新聞に「米音楽産業 激変の波」という記事が掲載されていた。
記事の内容の中心は、いわゆる「ダウンロード」によって音楽を楽しむ人が増えることで、低価格化が進み、音楽市場そのものが縮小する傾向にある、というモノ。
日本ではまだ「定額・聴き放題」というネットサービスが始まっていないが、いずれは日本でもこのようなサービスが開始されるかも知れない。

私がこの記事を読んで、考えたのは「音楽を作るコスト」という点と、電子書籍にもこのようなコトが起きるのではないか?という点だった。

昨年暮れ、書籍の「自炊化」についての話題があった。
まだまだ日本の出版社が積極的ではない「電子書籍化」に、自主的に本をスキャンし配信をするサービスに対して、出版社側や作家さんたちが問題視したのである。
この話題を知ったとき、30年以上前に起きた「レンタルレコードによる複製」という問題を思い出した。
この問題の発端は、「レコードを借りて、自宅でカセットテープなどに録音し、音楽を楽しむ」というコトが、著作権に反しているのではないか?というところから始まった。
もともと、レコード業界では「レンタルレコード」という商売を認めない、というトコロがあった。
しかし現実は、レコードを気軽に買えない(当時はLPレコード1枚2,500円くらいが相場だった)若年層を中心に「レンタルレコード店」は支持され、レコードからCDになると、音質の劣化が少ないためにますます人気を博すようになってきた。
そこでレコード業界が中心になって出した対策案が、発売後一定期間レンタル店で取り扱わない、というコトだった。
その当時のレコードやCDには「個人で楽しむために録音する場合のみ、認められています」という趣旨の注意書きまでジャケットに印刷されていた。

今では、音楽配信そのものが当たり前のコトになってしまっているので、「何でそんなことが問題になったの?」と、思われる若い方もいらっしゃるだろう。
実は、このような注意書きや規制がなくなったのは、「音楽配信」を各レコード会社が行うようになってからなのだ。
と同時に、上述したとおり楽曲の単価も下がりはじめた。

ただ、このような状況になりつつある現在、個人的に懸念しているのは「ヒット曲は生まれても、ヒットアルバムは生まれないのでは?」というコト。
1枚のアルバムを作るために創られる楽曲の数々は、アーティストたちにとってはどれも大切なモノだろう。
しかしその全体を聴くこと無く、CMや映画、テレビドラマなどで取り上げられた一部分だけで、そのアーティストやバンドを知ったつもりになる、というコトに懸念というか違和感があるのだ。
音楽が身近になるコトは素敵なコトだと思うが、その素敵なクリエイティブの全体像を見ることが無い、というのはとても残念なことのように思う。

「電子書籍」の場合、どのような発展・進歩となるのかは、まだわからない。
ただ、「音楽配信」というお手本があるのだから、そこから学ぶべき点はいくつもあると思う。
単に「自炊化反対」では、時代の流れに遅れてしまうだろう。
しかし、忘れてはいけないのは「無から創ることへの対価」という点だ。
なんとなく、その視点が抜けて「電子書籍反対VS自炊」が語られているような気がしている。

そんな音楽業界だが、この記事が掲載される数日前に米音楽業界、楽曲販売が7年ぶりに上昇という記事も掲載されていたことも付け加えたい。

おめでとう、澤さん

2012-01-10 20:15:49 | スポーツ
年が明けて最初のおめでたいニュースが、飛び込んできた。
サッカー日本女子代表の澤穂希選手が、FIFA年間最優秀選手を受賞したのだ。
昨年のW杯女子大会での活躍が認められてのコトだが、このFIFA年間最優秀選手というのは、サッカー関係者の投票で選出される。
プロがプロを選ぶという意味では、本当に名誉ある受賞というコトになる。
もちろん、男女初の快挙だ。
日本サッカー協会公式HP トピックス

今回、澤さんが受賞した「年間最優秀選手賞(通称:バロンドール)」を受賞すると男子の場合、様々なメディアが注目し、CMなどでも引っ張りだこになる。
サッカーの場合、CMなどで使われる対象国は全世界になるので、当然のことながら1本のCMなどに出演すると、チームとの契約金以上の出演料というコトもままとしてある。
今回男子で受賞したメッシ選手などは、過去何度か受賞しているのでチームとの契約金よりもCMなどの出演料のほうが高いかもしれない。

ただ残念なことに、これはあくまでも男子の話。
女子の場合、これほど恵まれた環境には無い。
その中でも、FIFAランキングに似合わないほどの環境の中で、プレーしているのが日本の女子選手たちだ。

昨年のW杯優勝で、日本中が湧き注目されるようにはなったが、それでも大きな環境の変化は彼女たちには無い。
もう一つ女子の場合W杯よりも、注目されるのが「オリンピック」という舞台だ。
というのも、FIFAに加盟している国や地域はオリンピック参加国(地域を含む)よりも多いのだが、女子サッカーとなるとその数が大きく減ってしまう。
世界中に配信されるという意味では、むしろオリンピックなのだ。
だからこそ、「なでしこジャパン」の選手たちが帰国直後から「ロンドンでも金を獲らないと」と、言い続けているのだ。

今年はそのオリンピックイヤー。
日本女子サッカーにとっても、より厳しい戦いが始まる年だ。
そんな中、澤さんのこの受賞は大きな励みになるだろう。
そして、未だ震災からの復興の光が見えにくい被災地にも、大きな勇気を与えるのではないだろうか。

とにかく、おめでとう!澤さん。

もう一つ付け加えるなら、最優秀監督を受賞した佐々木監督にもおめでとうございますなのだが、日本が「フェアプレー賞」を受賞したことも、書いておきたい。
「フェアプレー賞」は、警告や退場者数だけではなくプレーそのものも、受賞の大切な要素となっている。
だからこそ、この賞を受賞するということは、日本の選手たちの精神的な「フェアさ」だけではなく、相手チームに対する敬意という点もプレーの中で認められたというコトだ。
どんな場面であって、フェアな気持ちと相手に対する敬意・・・とても大切なコトだと思う。
サッカーだけではなく、日本の企業も国内外を問わず常に「フェアプレー」であって欲しい、という願いをこめて。





「おひとり様」市場が、社会を変える?

2012-01-09 17:41:43 | ビジネス
先日、FMを聞いていたら「これからの注目市場・おひとり様」という話をしていた。
ここ数年、「おひとり様」という言葉が一般化してきた。
特に飲食や旅行といった業種では、新しい市場として注目されている、という話は過去何度か聞いた記憶がある。

ただ実際には、旅行会社が主催するツアーなどの広告を見ると、やはり基本は二人。
国内のバス旅行などでは、一人で参加も可能という場合が多いが、海外旅行などになると、やはり二人が基本となっている。
それが最近では、海外旅行などでも「申し込み人数ひとり」という単位で募集する代理店などが増えてきたという。
あくまでもツアーなので、ツアー開催最低人数は10名程度というコトになるのだが、最初からシングルルームを基本として募集をする、という旅行が増えてきているという。
それだけではなく、「女性のおひとり様、宿泊不可」といわれていた高級旅館などでも、受け入れに積極的になってきているという。

その背景にあるのは、社会の意識変化もあると思う。
私が20代の頃、一人で旅行に行くと「お一人ですか?」と、心配げな表情で訊ねられることが多かった。
当時は「女性の一人旅=センチメンタルジャーニー」という、イメージが強かったのだろう。
残念ながら私の一人旅は、過去一度もセンチメンタルな気分で出かけたことは無い。
現実は、元気一杯で一人旅を楽しむ女性が多く、そんなイメージがゆっくりと崩れていったのかも知れない。
もうひとつは、独身者の可処分所得が同世代の既婚者よりも多い、というコトもあるかも知れない。
「お金を持っている人に、積極的に消費をしてもらう」というコトだ。
そのためには、変にイメージにとらわれ市場を狭めるよりも、積極的に拡げたほうが得策だ。

そんな当たり前のコトとは別に、「おひとり様」が注目される理由がある。
それは「おひとり様」が集まれば、「おふたり様以上」になる可能性がある、というコトだ。
この話をしていた番組の司会者は、「まるで新しいタイプの合コンですね」といっていたが、まさに「おひとり様専用ツアー」などは、同じ目的や趣味を持ったおひとり様が集まり、そこから新たなグループやおふたり様ができる可能性がある。
もともと趣味などで繋がった関係なので、価値観の相違なども少ないだろう。
そのようなグループは、同じような企画のツアーにコアなリピーターとして、参加してもらえる可能性も高いはずだ。

飲食店などの場合「おひとり様」だからこそ、声がかけやすいということもあるようだ。
仲間と一緒にワイワイというのも楽しいが、そこからは新しい出会いは無い。
「ひとりのおとなとして」声をかけ、話が合えば一緒に食事をしたりお酒をいただく・・・という展開の期待ができる、というコトらしい。

考えてみれば、何かと「おふたり様」という枠が当たり前になりすぎて、「おひとり様」は肩身が狭かったと思う。
「おひとり様」市場が広がると、案外意外な市場が活性化するかも知れない・・・そんな気がした。

40代男性、眉毛を整えている割合はどのくらい?

2012-01-08 10:18:13 | アラカルト
大晦日の夜、出頭してきた元オウム真理教幹部・平田信容疑者の逮捕時の写真が公開された。
この写真を見て思ったことが、今日のテーマだ。

平田容疑者の手配写真で一番印象に残るのが、いわゆる「げじげじ眉」と呼ばれる、太い眉毛だ。
その太い眉毛をキレイに整え、今時の若者風の「細眉」にしていた。
拙ブログに来られる男性諸氏の中で、40代半ばの方のうち一体どのくらいの人が「眉毛を整えているのだろう?」と、疑問に思ったのだ。
というのも、「眉毛」というのは顔の中では決して大きなパーツではないにもかかわらず、眉の形を変えると顔全体の印象が大きく変わる部分だからだ。

そのため、女性の化粧道具の中には「眉(描き)プレート」なるものもあるし、一時女性の間で「落ちない眉」と話題になった「アートメイク」の一種である「眉の刺青」などもある。
それだけではなく、「眉」そのものが「時代を映す鏡」のような言われ方もされてきた。
たとえば、グレタ・ガルボのような細いアーチ形の眉が流行した後には、イングリッド・バーグマンのような自然なやや太い眉が流行した。
最近では、女子高校生の超ミニ丈の制服のスカートにルーズソックス、茶髪にフルメイクが流行っていた頃、彼女たちは細系の眉だった。
いわゆる「アムラー」が流行した頃だ。
お化粧をしていないと、眉そのものが無いため地下街のトイレなどでビックリすることも、たびたび経験した。
その後、宮崎あおいさんや蒼井優さんなど、いわゆる「森ガール」(と言っても、何を持って「森ガール」と呼ぶのかは不明)が注目されるようになると、眉も彼女たちのようなナチュラル系へと変わっていった。

このように、「女性の眉」は時代のファッションや注目される女優さんたちの影響を受け、変化し続けてきている。
一方、男性が眉を整えるのが一般的になってきたのは、ここ数年なのではなのでは?
私がはじめて「オヤ?!」と思ったのは、高校野球に出場して話題になった選手たちが、メディアに露出するたびに眉が異様に細くなり「なんか変?」と感じたことがあったから。
私にとって、男子の細眉というのはヤンキーな高校生というイメージがあったため、どうしても高校球児と細眉が結びつかなかったのだ。

しかしそれも時代の変化と考えれば、そうなのだろう。
だが、それはあくまでもそのようなファッションや雑誌などの影響を受けた世代でのこと。
そのような影響を受けたとは思えない、平田容疑者が細眉にしていたことに、逆に驚いたのだった。
とすれば、今の40代半ばの男性諸氏のうち、どれほどの人たちが眉毛の手入れをし、細眉にしているのだろう?
そしてその目的はなんだろうか?と、気になったのだった。

眉毛の存在は小さくとも、その与える印象の大きさを考えると、「眉のカタチを変える」というのは、立派な変装という気もしないでもないのだ。

正月広告-3-

2012-01-07 19:36:46 | マーケティング
昨日は、ちっと違う内容をエントリさせていただいたが、今日は引き続き「正月広告」について。

お正月にだけ広告を打つ、という企業が少なからずある。
意外に思われるかも知れないが、出版社などもその一つだ。
もちろん、雑誌や新刊の広告は毎週のように新聞に掲載されるのだが、出版社の広告というのは、お正月くらいに限られている。
最近では、宝島社のように年に何度か新聞に広告を掲載する出版社もあるが、基本はお正月に限られている。

その出版社のお正月広告というのは、その出版社が力をいてている部門がその年の顔になるコトが多い、
たとえば、「週刊少年ジャンプ」が週刊雑誌として世界一の発行部数を誇っていた頃の集英社のお正月広告は、「少年ジャンプ」乃ヒーローたちだった。
小学館なども確か「少年サンデー」の創刊50周年(だったと思う)にあたる年のお正月広告は、歴代の少年サンデーのヒーローたちが登場していたと思う。

それが今年に限って言えば、一つの共通した人物像が登場していた。
新潮社は、現在日本帰化申請をしているドナルド・キーン氏、岩波書店は寺田寅彦氏、そして集英社は丸谷才一氏だった。
新潮社のドナルド・キーン氏の著作集を昨年暮れから出版し始めた、というコトもあるが、その著書の一文を大胆にも掲載している。
岩波書店の場合、随筆家・寺田寅彦ではなく、物理学者・寺田寅彦というアプローチの広告。
テーマも「防災」だった。
集英社の丸谷才一氏も、新潮社のドナルド・キーン氏のように、丸谷氏の言葉を掲載している。

よくよく考えると、各出版社と深い関係のある文筆家を正月広告として取り上げているのだが、今年ほど集まった年は無いような気がしている。
もちろん、私の記憶の中のコトなので断言できるわけではないが、その文筆家とともに掲載された言葉が、やはり「東日本大震災」後の日本人への強いメッセージとなっている。
ドナルド・キーン氏のように、日本人のつよさ(この「つよさ」は「勁」が使われている)を訴えかけている内容もあれば、岩波の寺田寅彦が物理学者としての視点で捉えた過去から学ぶべきモノ・コトを問いかけるもの、丸谷才一氏のように「日本人の持っている本来の姿」を考えさせるような文もあった。

ただ共通しているのは、その豊かな文章表現力に圧倒される、というコトだろう。
出版社は、あくまでも本を出すことが本業であって、「おまけ本」を作ることではない、といっているかのようだ。
もちろん、「おまけ本」を批判しているわけでないし、「おまけ本」を否定しているわけでも無い。

おそらく今年は、本格的な「電子書籍」元年となるだろう。
タブレット型の情報端末の種類も増え、その利便性もアプリケーションなどの充実とともに、向上するのではないだろうか?
だからこそ、「言葉」や「文章表現」を出版社として大切にしたい、という思いだったのでは?
そんなことを感じた、お正月広告だった。