先月から、マーケティングについて「復習中」だ。
自宅にある、ドラッカーやコトラー、レビットなどの著書はもちろん、日本におけるマーケティング論の第一人者とも言われる、慶応大学商学部名誉教授の村田昭治先生の本なども引っ張り出して読んでいる最中だ。
その中で「マーケティングの目的」を改めて考えている。
ドラッカーはその著書の中で「マーケティングの目的は、販売をなくすコト」だと書いている。
日本では一時期「マーケティングの目的は、営業をなくすコト」と、訳された(?)時代がある為か、営業職の方達の中には「マーケティング不要」という方もいらっしゃる様だ。
確かに、ドラッカーがこの言葉を著書に書いてから半世紀以上が過ぎている。
その間に、販売や営業という仕事が無くなったのか?と言えば、今でも「販売」はあるし、「営業」という仕事は、企業にとって収益を上げるために、必要な企業活動だ。
では、ドラッカーの言った「マーケティングの目的は、販売をなくすコト」とは、どんな意味なのだろう?と、考えてみると「販売」や「営業」という仕事そのものが、大きく変化をしている、というコトに気がついたのだ。
高度成長期から長い間「商品・製品」という「物質を売る」コトが行われてきたのだと思う。
その頃は「製品や商品の性能が良い」とか「価格が安い」という点があれば、「マーケティングの4つのP]とは関係無く、売れたはずだ。
しかし、物が豊富にある時代がやってくると、似たような製品や商品が巷に溢れる様になった。
そこで重要視されたのが「差別化」というコトになるのだが、つくる側の自己満足的な変化程度では、物は売れない。
そして、生活者に一番近い「売り場=小売」主導で生まれてきたのが、「PB商品」というコトになると思う。
PB商品となると、川下が川上にモノを言って商品やサービスが生活者に提供され、今までのような「販売や営業」の発想では太刀打ちできなくなる。
言い換えれば、高度成長期のような「販売や営業」では、売れない時代になっている、と言うコトだと思う。
であれば、今の販売や営業の仕事とは?と考えると、「マーケティングの4P」で言うのであれば「プロモーション」というコトなのではないだろうか?
「プロモーション=広告宣伝」という、役割を営業や販売を担当する人が持っている、と考えると、ドラッカーの言う「マーケティングは販売をなくすコト」というになるのでは?
違う言い方をすれば、かつてのような、接待などを通じて懇意な関係をつくり「そこを何とか…」と頭を下げる営業や、製品や商品の性能が良いから売れる、と言うメーカー側の思い込みの販売をなくすコトが「マーケティング」であり、生活者に情報を伝える一つのあり方としての「販売」や「営業」は、今でも十分に必要な企業活動だと言えるのでは?
その様なコトを考えながら、村田先生の最終講義録となった「マーケティングゼミナール」を読み返していたら、レビットから教えて貰ったコトとして「営業とは何か?商品が手に入り、消費される場所で使われたとき、その商品が光り輝くこと、それで営業の完成です」というコトを述べられている。
営業は「(商品を)納品をする道筋を付けるコト」では無いんですね。
納品した商品が、生活者の手に届き、生活者が喜ぶ姿を想像するコトが、営業というコトだとすると、時代が仕事の目的を変化させたのではなく、本来在るべき姿に戻しただけなのかも知れない。
自宅にある、ドラッカーやコトラー、レビットなどの著書はもちろん、日本におけるマーケティング論の第一人者とも言われる、慶応大学商学部名誉教授の村田昭治先生の本なども引っ張り出して読んでいる最中だ。
その中で「マーケティングの目的」を改めて考えている。
ドラッカーはその著書の中で「マーケティングの目的は、販売をなくすコト」だと書いている。
日本では一時期「マーケティングの目的は、営業をなくすコト」と、訳された(?)時代がある為か、営業職の方達の中には「マーケティング不要」という方もいらっしゃる様だ。
確かに、ドラッカーがこの言葉を著書に書いてから半世紀以上が過ぎている。
その間に、販売や営業という仕事が無くなったのか?と言えば、今でも「販売」はあるし、「営業」という仕事は、企業にとって収益を上げるために、必要な企業活動だ。
では、ドラッカーの言った「マーケティングの目的は、販売をなくすコト」とは、どんな意味なのだろう?と、考えてみると「販売」や「営業」という仕事そのものが、大きく変化をしている、というコトに気がついたのだ。
高度成長期から長い間「商品・製品」という「物質を売る」コトが行われてきたのだと思う。
その頃は「製品や商品の性能が良い」とか「価格が安い」という点があれば、「マーケティングの4つのP]とは関係無く、売れたはずだ。
しかし、物が豊富にある時代がやってくると、似たような製品や商品が巷に溢れる様になった。
そこで重要視されたのが「差別化」というコトになるのだが、つくる側の自己満足的な変化程度では、物は売れない。
そして、生活者に一番近い「売り場=小売」主導で生まれてきたのが、「PB商品」というコトになると思う。
PB商品となると、川下が川上にモノを言って商品やサービスが生活者に提供され、今までのような「販売や営業」の発想では太刀打ちできなくなる。
言い換えれば、高度成長期のような「販売や営業」では、売れない時代になっている、と言うコトだと思う。
であれば、今の販売や営業の仕事とは?と考えると、「マーケティングの4P」で言うのであれば「プロモーション」というコトなのではないだろうか?
「プロモーション=広告宣伝」という、役割を営業や販売を担当する人が持っている、と考えると、ドラッカーの言う「マーケティングは販売をなくすコト」というになるのでは?
違う言い方をすれば、かつてのような、接待などを通じて懇意な関係をつくり「そこを何とか…」と頭を下げる営業や、製品や商品の性能が良いから売れる、と言うメーカー側の思い込みの販売をなくすコトが「マーケティング」であり、生活者に情報を伝える一つのあり方としての「販売」や「営業」は、今でも十分に必要な企業活動だと言えるのでは?
その様なコトを考えながら、村田先生の最終講義録となった「マーケティングゼミナール」を読み返していたら、レビットから教えて貰ったコトとして「営業とは何か?商品が手に入り、消費される場所で使われたとき、その商品が光り輝くこと、それで営業の完成です」というコトを述べられている。
営業は「(商品を)納品をする道筋を付けるコト」では無いんですね。
納品した商品が、生活者の手に届き、生活者が喜ぶ姿を想像するコトが、営業というコトだとすると、時代が仕事の目的を変化させたのではなく、本来在るべき姿に戻しただけなのかも知れない。