昨年、県議会から不信任決議案を提出され、選挙で再び選ばれた斎藤元彦兵庫県知事。
この時の問題は、まだ終わっていなかったようだ。
それだけではなく、NHKから国民を守る党の党代表立花孝志氏が、日本維新の会に所属していた県議会議員から斎藤知事に対するパワハラに関する文章を提供させ、SNS上で当該の県議議員を攻撃し、自殺に追いやる、という事件にまで発展している。
もちろん、斎藤知事のパワハラと自殺をされた県議会議員さんに対するSNS上の攻撃は、別問題なのだが、最近このような「自分の非を認めない、他者との関係性を考えられない」という人が、増えてきているような印象がある。
その最たる人物が、実業家のイーロン・マスク氏ということになるのかもしれない。
イーロン・マスク氏に関して、実業家ではあるが起業家でもなければ事業家でもない。
ご存じの方も多いと思うのだが、マスク氏は既存の事業を買収することで、資産を増やしてきた人物だ(最初は、プログラミングら不信任決議案を提出され、選挙で再び選ばれた斎藤元彦兵庫県知事。
この時の問題は、まだ終わっていなかったようだ。
それだけではなく、NHKから国民を守る党の党代表立花孝志氏が、日本維新の会に所属していた県議会議員から斎藤知事に対するパワハラに関する文章を提供させ、SNS上で当該の県議議員を攻撃し、自殺に追いやる、という事件にまで発展している。
もちろん、斎藤知事のパワハラと自殺をされた県議会議員さんに対するSNS上の攻撃は、別問題なのだが、最近このような「自分の非を認めない、他者との関係性を考えられない」という人が、増えてきているような印象がある。その最たる人物が、実業家のイーロン・マスク氏ということになるのかもしれない。
それがよくわかるのが、先日のCNNでのインタビューの中で語られた、「共感」に対する内容だ。
それだけではなく、斎藤兵庫県知事のような感覚の首長さんや議員が多くなってきている、という印象がある。
共通している点は「自分にとって都合の良いことに対して、共感できるが、それ以外は敵対的感覚を持っている」ということだろう。
もちろん、ご本人たちは「敵対的感覚」を持っている、という意識はしていないと思う。
思うのだが、言葉の端々に「自分は学力もあり上位にいる人間」という意識が強すぎ、それ自体がご本人のアイデンティティーとなっているような気がするのだ。
確かに人との関係性において、「上下関係」で見た方が分かりやすい。
その上位に自分がいるとすれば、一種の「選民意識」のようなモノが芽生え、他者を思いやるような気持ちは薄れていくだろうし、「自分の正しさ」ばかりを強調するようになるだろう。
その「正しさ」そのものが、個人の主観によるとてもあいまいな尺度であり、その尺度が社会とは異質なものである、ということにも気づかないのかもしれない。
解決法があるとすれば、それは「人の話を素直に聞き、自分の持っている概念の枠を自ら壊す勇気を持つ」ということだと思う。
そのような人が今一番社会で求められているし、そのような人が地方自治を含めた政治のトップになってもらいたいものだ。