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「宝島社」の広告に見る、広告の役割

2021-05-11 17:57:23 | マーケティング

今朝、新聞を読んでいて驚いた。
新聞の中両面全てを使って、「宝島社」が広告を打っていたからだ。
単なる広告であれば、「はぁ~」と思いチラッと見て終わりなのだが、今回の「宝島社」の広告は、「わが意を得たり」という気がした広告だった。
Huffpost: 「タケヤリで戦えというのか」宝島社が意見広告で政府のコロナ対応を批判

記事のトップに今回の「宝島社」の広告があるので、すぐにわかると思う。
広告の真ん中に赤く突起物が出ている球体が、「新型コロナ」だ。
「コロナウイルス」の名前の由来通り、突起物の形が「太陽のコロナ」に似ている事から、「コロナウイルス」と名付けられている。
その「コロナウイルス」の新しいmRNA情報を持っているので、「新型コロナ」と名付けられた、ということになる。
海外での表記「COVIDー19」というのは、「コロナウイルスと発見された年号」の組み合わせだ。

「わが意を得たり」という気がしたのは、コピー文にある「タケヤリで戦え(広告では、わざわざ旧字体で表現している)というのか」というところだ。
昨年から、政府が「新型コロナ対策」として行ってきたことの多くは「善良なる市民による、良心的社会行動のお願い」だった。
それは「緊急事態宣言」による「自粛生活」というカタチになっているのだが、他に何をしたのか?と言えば「新しい生活様式」なるモノを発表し、生活スタイルを遵守するように、ということだった。
その一つが「マスクの着用」であったり「3密を避ける」なのだ。

その一方で、「効果があるのでは?」と期待された治療薬の治験や、「ワクチン開発」等への経済投資ということには積極的とは言えなかった。
3年ほど前に読んだ「遺伝子医療革命」という米国で出版され、日本語訳をされた本の中には「米国では、インフルエンザワクチンの研究開発を、常に行っている」という一節があった。
何故なら、「インフルエンザ・ウイルス」そのものが変異しやすいために、一種類のインフルエンザ・ワクチンだけでは、パンデミックに対応することができない、という考えがあるからだ。
米国の感染拡大の状況を見ると、「嘘だろ!」という気になるとは思うのだが、「ヒトゲノム」がすべて判明した時から、米国などでは、積極的に国が関与をしてこのような策をとってきていた(と言っても、トランプ政権下ではどのような状況だったのかは、不明)ということなのだ。

それに対して、日本の場合「ワクチン」に対する批判的意見などもあり、政府が予算面などで積極的に関わるということをしてこなかったのだ。
「基礎研究」が得意なはずの日本で、国産ワクチンを作れずにいる大きな理由は「ワクチンをつくる為の技術・研究の蓄積がされてこなかった」ということになるようなのだ。
讀賣新聞:「医療先進国」のはずの日本、なぜ遅れる国産ワクチン開発…技術育てず「蓄積」なし

このような状況下の中で、「Go Toキャンペーン」を展開する等政策のチグハグさが、国民の不信感となりそれが不満となっているのだ。
にもかかわらず、今だに政府から出てくる言葉の多くは、「気合と根性」のようなニュアンスの言葉ばかりだ。
そのような「気合と根性」を「タケヤリで戦う」という表現で、批判をしているのが今回の「宝島社」の広告だ。

「広告」の役目は、企業や商品時には自治体からの「お知らせ」という部分が大きく、生活者の多くは「お知らせ=広告」だと思っていると思う。
今回のような「自分の意見を述べる。あるいは生活者の気持ちや考えを代弁する」ということもまた、「広告」の大切な役割なのだ。

その意味で、今回の「宝島社」の広告は、今の生活者の気持ちや考えを掬い取り、表現しているのでは?と、考えている。