今日から、母の墓参りの為に実家(鳥取県米子市)に帰省している。
帰りの高速バスに乗っている時、スマートフォンに「槇原敬之、覚せい剤で逮捕」という号外ニュースが表示された。
「随分前に、逮捕されても懲りていなかったのかな~」と思ったのだが、一昨年だったか?関係者が覚せい剤で逮捕されていた、とニュースにあったことから、「そんな環境では、治療そのものができない」というきがしたのだ。
昨年、米国の「セサミストリート」が「オピオイド中毒の母親を持つ子供が登場した」ということについて、エントリーをした。
日々是マーケティング:セサミストリートが投げかける、社会の問題
エントリをした内容は、米国で問題となっている「オピオイド(系)」と呼ばれる鎮痛剤の常用による依存についてだった。
ただ「薬物依存」という点では、今回の槇原敬之の「覚せい剤(の他の薬物依存もあった、という報道もあるようだ)」も同じだろう。
大阪大学医学部の教授・仲野徹さんは「依存」と言う言葉だと、本来の患者の姿が見えないような気がするので、あえて「中毒」という表現もしくは「addiction(アディクション=常用癖または中毒)」を使うべき、と著書で書かれている。
そしてこのような「アディクション」から脱却するためには、「身近に対象物となるものを置かない」ということが、一番重要だ、と仲野徹さんは書いている。
おそらく「依存症治療」に関する書籍には、同様のことが書かれているのではないか?と、思っている。
それは「アルコール」や「ギャンブル」であっても同じということだ。
病院などで治療を受け、「自分は大丈夫!」と思っていても、1滴でもお酒を飲むと元の木阿弥。以前と同じように「アルコールなしでは、生活ができなくなってしまう」と言われている。そして、相当の確率で舞い戻ってしまう人がいる、と、著書の中で書かれていた。
病院で治療できないのが「依存症」なのだ。
一番良いのは、最初から「アディクション」の要因となるモノ・コトから離れた生活をすることだろうが、「オピオイド中毒」のように処方薬として使われ、それが常用癖となり結果中毒となってしまう場合もあるのだ。
もちろん「オピオイド」と「覚せい剤」を、同一のものとして考えるわけにはいかないが、自分たちの生活の近くに様々な「常用癖」となるモノ・コトがあふれている、ということをまず知る必要があるのかもしれない。
ただ、「常用癖」となるモノ・コトは「楽しいモノ・素敵なコト」という顔をして、近づいてくるので「自分なら大丈夫」ではなく、臆病なくらいに近づかないという勇気を持つことが、大切なのかもしれない。
お知らせ:上述の通り現在帰省中の為、ブログはしばらくお休みになります。
再開予定は来週末。宜しくお願いします。