久しぶりに、近所の「百均ショップ」へ行った。
品揃えなどに大きな変化があるわけではないのだが、時折行ってみるとビックリするようなコトがある。
今日行ってみてビックリしたのは、「日本製」が増えていたコトだ。
「百均ショップ」といえば、中国製などがほとんどで「中国製だから百円なんだ」という、納得というか理解があった。
しばらく前、ドイツ製の「クッキングペーパー」を見かけた時も、ビックリしたが今回は納得できる部分と、「何故百円で販売できるのだろう?」という疑問があった。
納得できる部分というのは、キッチン用品などの中でも消耗品である「食器洗い用スポンジ」などは、中国製が4~6個入り百円に対して、日本製は2個入りだったからだ。
1個当たりの単価を考えれば、日本製のほうが中国製よりも随分高い。
ただ「百円」という価格であるために、その(中国製よりも日本製のほうが高いという)割高感が感じられないのだと思う。
確かに「食器洗い用スポンジ」は、日々使うモノではあるが使い手側としては、若干割高でも「使いやすさ」を取るか、価格を取るかくらいの選択肢(というべきか?)しかない。
疑問に思ったのは、ガラスのコップだ。
確かに、同じ日本製でも百貨店などで見かけるガラスのコップよりも、やや不格好感はあるかもしれないが、ブランドなどにこだわらず普段使いをするには問題がない品質。
日本製の隣に置いてある中国製と、見分けがつかないのは残念な気はするが、価格として差がないことに疑問を感じたのだった。
そもそも百均ショップなどで販売される商品の多くが、中国製である大きな理由は「人件費が安い」という点だ。
今では、その中国でも人件費が高騰しつつあるため、カンボジアやベトナムといった国でつくられる商品も増えてきている。
そう考えると、人件費が一番高いであろう「日本製」が中国製と同じ価格で販売されている、ということが不思議に感じたのだった。
もしかして、昨今問題となっている「海外からの研修制度」を利用して、人件費を抑えた商品なのだろうか?
とすれば、それはそれで問題のある商品だと思う。
ガラス製のコップは、特に気になった商品だったのだが、よくよく商品を見てみると、随分「日本製」が多い。
生活者が「百均だから中国製でも」と納得していたことが、「やはり日本製」という意識の変化に合わせた商品ラインナップへと変わってきたということだろうか?
生活者の意識変化というのであれば、「少し高くても日本製」という感覚になると思うのだが、価格に連動することなく「百均」を求めてしまう・・・とすれば、「アベノミクス」で謳っているような景気観とはずいぶん違っているような気がする。