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資本論から考える「子供の格差」

2015-05-15 21:45:56 | アラカルト

今年はじめ話題になった本に、フランスの経済学者・ピケティの「21世紀の資本」があった。
著者も来日をされ、いろいろなメディアのインタビューや対談をされ、経済紙だけではなく一般紙などにも掲載されたことは、記憶に新しいと思う。

そのタイトルから「資本論」そのものも話題になったようで、以前拙ブログでも紹介した、池上彰さんと佐藤優さんの対談本「希望の資本論ー私たちは資本主義の限界にどう向き合うのか」を再読している。
なぜ再読する気になったのか?というと、学生時代「経済原論Ⅱ」でおそらく勉強したであろうマルクスの「資本論」を思い出しつつ今の社会と経済がはらむ不安定要素がすでに表面化しつつあるのでは?と感じたからである。

その「不安定要素」というのが、教育における格差だ。
私が学生だった頃(=30年以上前)から、東大に進学した家庭の収入は他の大学に進学した家庭よりも高所得の家庭である、というデータがあった。その格差がここ20年ほどの間でずいぶん広がってしまった、というニュースが春の進学シーズンになるといわれるようになってきた。
私の時代も東大に進学するためには、それなりの教育環境を子供のころから整える必要があるといわれてきた。
それがますます顕著になりつつあるだけではなく、親の収入や家庭環境によって進路の道が閉ざされる子供たちがふえつつある、という問題が最近クローズアップされてきている。
その背景には「ひとり親家庭」の増加ということもあるが、それよりも問題となっているのは「普通の所得がある家庭」だと思っていたら、そうではなくなっていた、ということが起き始めているというのだ。

マルクスの「資本論」の中にある「賃金」の考えは、「労働者が暮らせるだけの賃金を支払う」というだけではなく「次世代の労働者の育成と現労働者のスキルアップのための資金」が含まれている、という(この点については「希望の資本論」にて確認した内容)。
しかし今の「賃金」の発想の中には、「労働者が暮らせるだけの賃金」だけで終わってしまっているのではないだろうか?しかも安価な労働形態に合わせるようなカタチで、賃金そのものを抑える傾向があるのでは?
そのような企業は「ブラック企業」と呼ばれるはずなのだが、「ブラック企業」と呼ばれないまでも、安易なリストラによって、従業員を露頭に迷わせるような傾向がバブル崩壊後いくつもあった。
言い換えれば「良質な労働力の提供」を社会全体がするためには、「賃金そのものの考え方を見直す必要がある」ということになる。

そう考えると、今の「教育の格差」は「将来的良質な労働力の育成」とは真逆の現象なのだ。
「良質な労働力」と書くと、映画「モダンタイムス」の一場面を思い浮かべそうになるが、今必要とされている「良質な労働力」というのは「創造的な未来志向の発想ができる人材」だろう。
場合によっては「匠の世界」かもしれない。
「人でしかできない仕事」ができる人材を育てるためには、子供の教育格差をなくさなくてはならない、というのが今の「資本論」的考え方だとすると、今の日本はどうなのだろう?

今日、東京三菱UFJ銀行が過去最高益を上げたというニュースがあった。
「資本論」で考える「賃金」は、企業収益とは結びつかないという考えではあるが、その企業収益を社会に還元することで、社会全体が「子供の教育格差」を解消する方法を考える必要がある時代になってきているのでは。
企業決算が報告される今の時期だからこそ、マルクスの「資本論」から企業ができる「格差解消」を考える必要があるように思うこのごろだ。