日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

家族の風景が崩壊すると・・・

2010-03-31 21:24:07 | ライフスタイル
産経新聞のWEBサイトに、崩壊する家庭の食卓崩壊…「好きな物を好きな時間に」の意味することという記事が掲載されている。
おそらく、この記事の元になった本のPRを兼ねた内容の雑誌記事を以前見たことがあり、その食卓の異様さに驚いたコトがある。
「この飽食の日本で、こんな欠食食卓があるの?」というのが、印象だったのだ。
お茶漬けに漬物とか素うどんだけという食卓ではなく、お菓子が食事として堂々と紹介されていたからだ。

会社員時代、同僚の女性が「今朝、朝ご飯にケーキを食べてきた」とお昼ご飯を食べながら話したときには、さすがに周囲のほかの同僚が引いて「そんな朝ご飯を食べていたら、体に悪いわよ」と、異口同音に話していたのを覚えている。
20年近く前の話でも覚えているのは、それが珍しい出来事だったからだ。
それが、今ではさほど珍しくないコトになりつつあるとすれば、そのことのほうが、異常のような気がするのだ。

「家族の好きなモノを、好きな時に・・・」というのは、一見、個人を尊重しているように思えるが、本当は「家族も自分も大事にしていない」というコトなのでは?
もう一つ気になったことは、「食卓」という家族の風景が崩壊するコトで、「ロングセラー」と呼ばれるような商品が、無くなる可能性もあると感じたからだ。

コレまで、拙ブログでは「ロングセラー」についても、エントリをしてきた。
「ロングセラー」の陰には、「家族」や「人を思う」というキーワードが隠れているように感じている。
消費財といわれるカテゴリーや、食品などは特にその傾向が強い。
「子供の頃から使っている」、「いつも食卓にあった」という、一種の子供の頃から育まれた親しみ感は、大人になっても消費行動に影響される部分がある、といわれている。
ところが、このような経験をしないまま、その時の気分や一時期的な流行に流されてしまうと、ヒット商品そのものがなかなか生まれない環境を作ってしまうことになる。
一方、メディアやCMなどの情報を大量に流せば、それなりのヒット商品が生まれる可能性があるともいえる。
でも、その商品が育つ可能性も少ないというコトになる。

「食卓の崩壊」は「日本の食の問題」、「家族のあり方」という問題だけではなく、日本のビジネスという視点でも、大きな問題を含んでいるように感じるのだ。