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メディアの優先順位-ヒロイズム考-

2006-07-04 22:33:29 | アラカルト
今日の朝刊の一面に、昨夜引退を表明したサッカーの中田英寿選手の記事があった。
全国紙の殆どが、トップ扱いだったようだ。
昨夜は、殆どのテレビ局が「ニュース速報」というカタチで、引退を伝えた。
でも、それは本人の引退記者会会見が行われることなく、インターネットのHPでの書き込みだった。
21:54から始まる「報道ステーション」等は、トップで取り上げるだけではなく、相当の時間を割いて伝えていた。
今日の新聞のテレビ欄を見ても、特集を組んでいるようだ。
HPでの、引退声明というのは「時代」ということだとは思うのだが、それにしても・・・もっと、重要なニュースがあるのではないだろうか?

朝日新聞などは「ジャーナリスト宣言」と言っているが、このニュースが、ジャーナルとしてどれだけ重要なのだろう?
批判があることを覚悟して言うなら、「日本代表」とはいえ、たかだか1人のサッカー選手の引退なのだ。
それとも、日本特有の「ヒロイズム」なのだろうか?
それでも、野球の王さんや長島さんとは、その社会的影響力は遥かに小さかったのではないだろうか?

そもそも、中田英寿選手ではなく「(ナカタ)ヒデ」もしくは「NAKATA」という選手に興味があって、それはある意味「年長者やメディアに(堂々と)自己主張し、時には否定するような態度」は、「新しい時代の個人主義の象徴」という「時代の分かりやすいアイコン」だっただけなのではないだろうか?
でもそれは、「スポーツ選手」という一般社会の「お客様」という立場だから出来たことだろう。
職場に「(ナカタ)ヒデ」あるいは「NAKATA」のような、同僚や上司(部下)がいたら「チームとして仕事」が出来るだろうか?
スポーツ選手という「お客様」は、「時代のアイコン」として分かりやすい存在だ。
それは(もしかしたら)日本人の好きな「ヒロイズム」へと結びついて、大袈裟なほどに騒いでいるように感じるのだ。

もう一つ感じるのは、殆どのメディアの「ノスタルジックな記事」だ。
日本のサッカー界において、中田英寿選手は決して「先駆者」的存在ではない。
70年代、奥寺さんはドイツのブンデスリーガーへ移籍し、レギラー選手として活躍している。
その後、三浦和良選手は高校を中退し、単身ブラジルへ渡りやはりレギラー選手として活躍し、イタリアリーグ「セリエA」へ日本人として初めて移籍している。
そのような先輩達が、海外移籍という道を開いていったことを、忘れてはいないだろうか?

ブラジル戦後、ピッチに倒れこむように仰向けになった時、様々なモノが中田英寿選手の中に去来しただろうが、それはあくまでも「個人的なこと」で、1人で10分近くピッチを占領するのは、プロとしてあるべき姿だったろうか?
ノスタルジックな感傷に浸るのは、ロッカールームでも十分だったのでは?
そのような態度に、疑問を呈することよりも「個人的ノスタルジックな感傷」を書き立てるというのも、日本人の求める「ヒロイズム」なのだろうか?
何より、多くのメディアが「右へならへ」的に、(ナカタ)ヒデをW杯、日本サッカーの立役者かのような、感傷に浸った報道をしていることに「ある種の嫌悪感」がある。