1920年 金易二郎-阪田三吉(香落ち)戦 127手目4四角までの図
[天から降った角]
「夜中にパッと目がさめた。いつの間にとび起きたのか、寝床の上にキチンとすわっている。ふと横を見るとやっぱり(弟子の)佃が調べたものとみえて将棋盤が出してある。他のコマはしまってあるのに、どういうものか、角が一枚残っていた。それが電灯の光で冷たく光っているのだ」
「角、角、角、と考えながら寝た。また目が覚めた時、わたしは不思議な手を思いついていた」
(東公平著 『阪田三吉血戦譜』より)
前回紹介した岡本嗣郎著『9四歩の謎』では、「角」の駒は「月の光に冷たく光っていた」とあるのに、『阪田三吉血戦譜』ではこのように、「電灯の光で」となっている。
元ネタまでたどってみれば同じところに行きつくはずだが、これは想像だが、元は「電灯の光」で、それを誰かこの伝説エピソードを伝える人が意識してか無意識にか「月の光」に変えたのだろう。たしかに、伝説の“夢の角”エピソードには「月の光」のほうがふさわしくも思える。
しかし、1920年のこの時期、「電灯の光」のほうが(月光よりも)神秘的なものだった可能性もある。「電気」は当時“最新の魔法”であったのだから。宮沢賢治が詩集の序文で「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」と書いたのは、1924年のことである。
(追記: その後他の文献をあたってみるとすべて「電灯の光」だった。「月の光」は『9四歩の謎』のみ。岡本氏の勘違いによる創作か)
だいたい、角の駒一枚のみしまい忘れて――というのが、作り話っぽい。それ自体が阪田が見た夢の中の話か、そういう感じの夢を見て、あとから話を整えた、という気がする。
そういう話をつくっておいて、きっとそうだったと、自分自身が信じ込んでしまう、そういうタイプの人物だったのではないか。
127手目、上手阪田三吉4四角。
119手目に7一に受けのために打った角が、絶好の位置に出た。 だから“夢の角”、なのである。
“角”は、下手の玉を睨んでいる。
これが坂田三吉が“夢”に描いた図だった。こうしてみると、上手の飛、角、角の三枚の大駒の配置がかっこいい。
2手前に戻して、そこから考えることにする。
夢の角125手目
125手目に上手阪田がこの図の通り5九角と指し、続いて、4五桂、4四角と進んだわけだ。
その金易二郎の126手目4五桂が、どうだったかをまず考えたい。
他に有効な手はあるか?
【Q】7五歩がある。しかしこれは、同歩、7四歩、7七角成、同玉(同桂は5七金)、7六金。 これは下手の7筋の攻めが“やぶ蛇”になった。失敗だ。
また、4五桂に代えて【R】5一金と攻める手は、下手が金を手離したこの瞬間に7七角成からの上手の攻めが炸裂する。7七同桂に5七金で上手良しになる。
阪田の打った「5九角」は、7七角成と3七角成の両狙いで、特に7七角成が下手にとって脅威なのだ。
しかし、では、ここで受けるのはどうだろう?
">(126手目)変化5八香図1
【S】5八香と受けてみよう。
しかしそれには4六桂(図)がある。以下、5一金、5八桂成、5二金、7七角成、同桂、5七成桂という攻め合いは、上手の攻めが早い。【S】5八香では下手勝てない。
(126手目)変化8七金寄図1
そして、【T】8七金寄(図)。 この手を検討してみた。上手は7七角成を切り札に攻めを組み立てているのだから、それをかわそうという手だ。
以下の予想手順は、3七角成、5一金、4五桂、5八香、6五歩、5二金、6六歩、同銀、5八飛成、6七銀(次の図)
変化8七金寄図2
4八竜、4九歩、同竜、6一銀、4六馬、7二銀成、同銀、6二金打(次の図)
これは、下手有望だ。
これで下手良しではないか。いったんはそういう結論に達した。
ところが――我々の見落としていた上手の好手が発見され結論が逆になった。
変化8七金寄図
8七金寄、3七角成、5一金に、「4二歩」(図)である。
これは、同竜に――
変化8七金寄図
1五馬とする狙いだ。
ここから5二竜、同銀、同金と勝負しても、2五馬、6一銀、5二馬、同銀不成、5七金は、上手ペース。
【T】8七金寄は、下手勝てない。
あと一つ、受けの手として【U】8七金打がある。
(126手目)変化8七金打図1
実は、『阪田三吉血戦譜』では、加藤一二三が、本譜の4五桂を失着とみなし、その手で【U】8七金打とすべきところと指摘している。
8七金打、3七角成、7五歩と攻めれば大変な勝負で、「むしろ下手が良いのではないでしょうか」と言ったそうだ。
と、名人にもなった加藤プロが言うのであるなら、これは調べる価値のある手にちがいない。実際に調べてみたが、相当に変化が広い。
なので、この【U】8七金打の変化は、これも最後までこの対局の棋譜を鑑賞したその後にしっかりやろう。
とにかく、実戦では下手金易二郎は4五桂と指し、上手阪田三吉は4四角と指した。
4四角―――この手では、代えて7七角成(次の図)もかなり有力である。
変化7七角成図1
7七同桂に、5七金。 この攻めは有力。
受けが難しい。6九香と受けても結局押し切られそう。
ところがこの場合、妙な受けがあって、上手も攻めきれない。
変化7七角成図2
2九金というのがその“妙な受け”。 以下4八飛成に、3九角と打つのだ。5九竜に、5七角、同竜。
そこで5三香から攻めに転じる。以下、同銀、同桂成、同角、5二銀と進むと、これは「互角」の闘い。
形勢としては互角でも、こうなると下手ペースという感じだ。
「4四角」の構想に惚れ込んでいた阪田が選ぶ順ではないだろう。
夢の角127手目
そうして実戦は、こうなった。(おそらく)夢の中で阪田三吉の思い描いた絵の通りの局面になったのだが――
しかしこの4四角(127手目)の局面が上手有利なのかといえば、さて、どうだろう?
次の3つの手について、調べてみる。 ここで下手に有効手があるかどうか。
〔L〕4二竜
〔M〕5三香
〔N〕6九金
なお、実戦で金易二郎が選んだのは、〔O〕5五歩である。
(128手目)変化4二竜図1
ソフト「激指13」は、127手目4四角の図で、最善手は〔L〕4二竜としている。(評価値は「+113 互角」)
しかし具体的にこの手を調べてみると、これでは下手は勝てないと判明する。
〔L〕4二竜に対しては、7七角成と角をここで切り、同桂に5七金とする。それがこの図である。
2手前、4四角と指した手に代えて同じように7七角成~5七金と攻めるのは、2九金という受けが有効で、形勢不明になることを我々は述べた。
だが、この場合はここで2九金だと、そこで飛車を逃げずに6七金とし、1八金に、7八金、同玉、そこで6六角として、それで上手がやや有利となる。(この6六角があるのが上との違い)
というわけで図の5七金に、下手6九香と受けてみる。以下、6七金、同香、6九銀、6八金打、7八銀成、同金、5七金、4四竜、6七金で、次の図。
変化4二竜図2
上手の飛車の横利きを生かしたこのシンプルな攻めが受けにくい。
ここで下手は受けなければならないが、どう受けても、7五歩とされると、上手のこの攻めは切らされることはない。
たとえば、8九金、7五歩、8七銀、8四桂という感じ。
下手は4四竜の位置がわるく、上手陣を攻めるのに手間がかかる。
はっきり上手良し。
(128手目)変化5三香図1
〔M〕5三香と攻めるのはどうか。これを同銀、同桂成、同角なら、6一銀と打って、これはなかなかうるさい攻めとなる。
〔M〕5三香に、7七角成、同桂、6五歩の攻めは、5二香成、6六歩、5三成香となって、この手が7二竜、同銀、7一銀以下の“詰めろ”になっているので、この攻め合いは下手が勝ちになる。
しかし上手にはもう一つの攻め筋がある。それが6五桂打(次の図)である。
変化5三香図
この6五桂打が厳しく、下手陣はこれで崩壊してしまうのである。
今度は、上手の攻めのほうが速い。
図以下、5二香成、7七桂成、同桂、同角成、同玉、6五桂打で下手玉は寄っている。
図で8七金打と受けても、7七桂成、同金、6五歩で、やはり上手有利な形勢となる。(下手が金を手離したので今度は6五歩の攻めが間に合う)
(128手目)変化6九金図1
127手目4四角に、下手は受ける手を指すのはどうか。受け方は何通りかあるが、一番有力な手は〔N〕6九金(図)だ。これを次に検討する。
〔N〕6九金、これに対して1五角成(角を成って受けに使う)も有力だが、この変化は形勢不明、別世界の将棋に移行する。
しかしそれよりも、ここは7七角成で、上手攻めきれると、我々は考えている。
7七角成、同桂に、6五歩。今度は6五歩の攻めが良い。下手が受けに金を投入したので、それを崩すには6筋の歩の応援があるほうが良いのだ。
しかし6五歩には、下手も6四香の切り返しを用意している。この時のために、下手は香車を受けに使わず持っていたのだ。
6四香に、6六歩(次の図)
変化6九金図2
この攻め合いはどっちが速いか。
6三香成、同銀、5八銀、6五桂打(これが好手)、5三角、同角、同桂成、7七桂成、同金、6五桂打(次の図)
変化6九金図3
上手優勢になった。図の6五桂打で下手玉には“詰めろ”がかかっているが、下手は受けが難しい。6八銀と受けることになりそうだが、7七桂成、同玉、6七金と攻めて、以下、“詰めろ”が続く。(上手は7二竜以下などの上手玉の詰み筋に気をつけて寄せを考えていけば勝てる。また安易に6五桂と跳ねると7三銀、同玉、6三成桂というような詰み筋も生まれるのでそれも注意すべきところ)
そういうわけで、我々(終盤探検隊)は、「金易二郎-阪田三吉戦 127手目4四角の図」は、上手優勢になっているとみる。
今見てきたように、この図から上手からは3通りの攻め筋がある。7七角成~5七金、7七角成~6五歩、6五桂打という3通りの攻め筋があり、上手はこの3つの攻めを相手の手によって使い分ければよい。
それを上回る手が下手には見つからない…。
ということで、「夢の角127手目4四角」の図では、どうやら「上手良し」なのである。
つまり坂田三吉が“夢”で見た構想が実現し、そして優位に立ったのであった。
それで、実戦で、下手金易二郎は阪田の4四角に、どう指したか。
夢の角128手目
「5五歩」と指した。
「なるほど、筋」という感じの手だ。
これを同角なら、5筋の歩が切れて5三歩という攻め筋もできるし、5八歩と歩を受けに使うこともできる。
上手としては相手の注文通りになるのは直感的に勝負師としては避けたいものである。
阪田は6五歩。
しかしこの手は、“失着”だったのだ!
実戦は、5五歩に、6五歩、6四香、7七角成と進んだ。
この数手の間に、形勢がぐらぐらと揺れ動いたのだった。
どうなったのか?
上手は5五同角と指すべきだったのだ! それで上手の優位は拡大していたところだった。
ところが阪田の指し手は6五歩。好手にみえるこの手で、実は形勢は混とんとなった。あるいは逆転しているかもしれない。(正確な形勢は後で確かめる)
(129手目)変化5五同角図1
5五同角とした場合。
5五の角は良い位置である。この角は4六角と行くこともできるし、6四の地点をカバーしていて、上手からの攻めのねらい筋6五歩がいっそう突きやすくなった。(4四角の位置だと6五歩に下手から6四香の返し技がありこれを覚悟するする必要があるが、、この場合だと同角ととれる)
128手目下手の5五歩は、図のように同角とされると、これははっきり下手の負けになっていた。
下手金易二郎の5五歩は、“勝負手”としては成功、つまり「好手」だったわけである。
これによって阪田に6五歩と指させた、つまり坂田を“間違わせた”のだから。(あの時点では下手不利で勝てる手はなく、理論的な最善手など存在しない。どうやって相手を間違わせるか、という問題になる)
金易二郎の5五歩が、阪田三吉を“幻惑”したのである
ここで5五同角以下の変化を研究しておこう。
下手は、ここでたとえば5八金のように受けても、上手から7七角成、同桂、6五歩という攻めで、下手陣は崩壊する。6筋の歩が6六まで伸びてくると強烈だ。
だからここで指すとすれば、攻め合って勝負する<ア>5三歩か、5五の角の当たりに<イ>5八香と打つ手だろう。その2つを調べていく。
<ア>5三歩に対して、7七角成、同桂、6五歩では上手は今度は速度負けする。(以下5二歩成、6六歩、6二とで上手玉に“詰めろ”がかかる)
5三歩~5二歩成の下手の攻めに優る攻めが上手になければ上手負けとなるが、この場合はあるのだ。6五桂打という攻めだ(次の図)
変化5五同角図2
6五桂打に、5八香、7七角成、同桂、同桂成、同金、6五桂打(同歩なら7七角成以下詰み、8九桂と受けるなら、7七桂成、同桂、6八金がある)、7八金打、7七桂成、同金、4六角、5二歩成、8九金(次の図)
変化5五同角図3
上手玉はまだ詰めろがかかっていないのだから、上手は下手玉を詰ませる必要はない。
図の8九金に、同玉、1九飛成、9八玉、9七金、同玉、9九竜、8七玉、7九角成となって、上手勝ち。
変化5五同角図4
次に<イ>5八香の場合。これには4六角と逃げる。そこで5三歩が下手の意図で、今度は角を移動させたので6五桂打の攻めはないということだ。これが5八香と受けた意味。
上手、この場合は5五桂と打つ。同香に、7七角成、同玉、6八金(次の図)
変化5五同角図5
受けがない。上手勝ち。
もしこのように進んでいれば、「7一角」と受けに打った角が、4四→5五→4六と移動して攻めに使えたわけで、これは最高に気持ちの良い勝ち方だ。(実戦はこうならなかったのだったが)
このように、5五同角なら、以下、上手が良さそうだ。
実戦の進行は―― 6五歩、6四香、7七角成(次の図)
夢の角131手目
そうして、こうなった。
上手阪田の6五歩に、対して6四香が下手金易二郎期待の“返し技”。もちろん、阪田もこれはわかっていたはずだが、6五歩で勝てるという読みだったのか。
6五歩に同歩は、同桂で、それは下手陣がいっきに崩壊するのだが。
もしも上手の4四角の角筋が通っていたら(6五歩に6四香という)この攻め合いは上手に軍配が上がるところだった。しかし現実この瞬間、その角筋は5五で止まっている。だからこのタイミングでの6五歩は、“微妙”だったのである。
対局中の阪田は、しかしそんなことをいちいち振り返っている場合ではない。ここからどうやって勝つか、考えることはそれだけだ。
阪田三吉は、ここでねらいの7七角成(図)を実行した。たぶん、阪田は「勝てる」と自信満々で思っていたのではないか。 なにしろ“夢の角”を天から恵まれたのだ。負けるわけがない。
金易二郎はどうみていたか。 金も、「勝てる」、と思っていた。
金易二郎は図の7七角成を同桂と取った。
以下、6六歩、6三香成、同銀、5三角、6二香(次の図)
夢の角137手目
さあ、どっちが勝ちになっているか。(それとも、まだ優劣不明の勝負なのか)
金易二郎の感想がある。
5三角と打った時、金は「取る一手だから、同桂成りで勝ちだと読んでいたところ、△6二香の名手を指されて驚いた」、という。
5三角は上手玉への“詰めろ”であり、だから「取る一手」と金は思っていたのだが、6二香という受けがあったということ。
しかし、持ち時間無制限だからこういう最終盤の重要なところで、いくらでも考えられるというのに、この軽率な見落としはどういうことであろう。不思議である。「勝てそう」となれば、より慎重にあれもこれもと時間をかけて読むものだと思うが…。
(6二香は、「名手」というほどの手とは思えない)
こういう見落としがあったが、しかし金の打った5三角は盤上この一手というべき“好手”であった。
5五歩(128手目)、6四香(130手目)、5三角(136手目)、金易二郎の指し手は、冴えていた。
6二香と、阪田三吉が、詰めろ逃れに受けた(そのままだと7一銀から詰む)その局面、「激指」の評価を見ると、なんと「0 互角」。
候補手(最善手)として「激指」は、6六銀を示している。
実戦の易二郎の指し手も6六銀。(6七歩成が入っては、下手勝てない)
阪田、6七金と打つ。
夢の角139手目
正しく指せば、下手(金易二郎)の勝ち。
どう指すのが正着か、考えてみてほしい。(つづく)
[天から降った角]
「夜中にパッと目がさめた。いつの間にとび起きたのか、寝床の上にキチンとすわっている。ふと横を見るとやっぱり(弟子の)佃が調べたものとみえて将棋盤が出してある。他のコマはしまってあるのに、どういうものか、角が一枚残っていた。それが電灯の光で冷たく光っているのだ」
「角、角、角、と考えながら寝た。また目が覚めた時、わたしは不思議な手を思いついていた」
(東公平著 『阪田三吉血戦譜』より)
前回紹介した岡本嗣郎著『9四歩の謎』では、「角」の駒は「月の光に冷たく光っていた」とあるのに、『阪田三吉血戦譜』ではこのように、「電灯の光で」となっている。
元ネタまでたどってみれば同じところに行きつくはずだが、これは想像だが、元は「電灯の光」で、それを誰かこの伝説エピソードを伝える人が意識してか無意識にか「月の光」に変えたのだろう。たしかに、伝説の“夢の角”エピソードには「月の光」のほうがふさわしくも思える。
しかし、1920年のこの時期、「電灯の光」のほうが(月光よりも)神秘的なものだった可能性もある。「電気」は当時“最新の魔法”であったのだから。宮沢賢治が詩集の序文で「わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」と書いたのは、1924年のことである。
(追記: その後他の文献をあたってみるとすべて「電灯の光」だった。「月の光」は『9四歩の謎』のみ。岡本氏の勘違いによる創作か)
だいたい、角の駒一枚のみしまい忘れて――というのが、作り話っぽい。それ自体が阪田が見た夢の中の話か、そういう感じの夢を見て、あとから話を整えた、という気がする。
そういう話をつくっておいて、きっとそうだったと、自分自身が信じ込んでしまう、そういうタイプの人物だったのではないか。
127手目、上手阪田三吉4四角。
119手目に7一に受けのために打った角が、絶好の位置に出た。 だから“夢の角”、なのである。
“角”は、下手の玉を睨んでいる。
これが坂田三吉が“夢”に描いた図だった。こうしてみると、上手の飛、角、角の三枚の大駒の配置がかっこいい。
2手前に戻して、そこから考えることにする。
夢の角125手目
125手目に上手阪田がこの図の通り5九角と指し、続いて、4五桂、4四角と進んだわけだ。
その金易二郎の126手目4五桂が、どうだったかをまず考えたい。
他に有効な手はあるか?
【Q】7五歩がある。しかしこれは、同歩、7四歩、7七角成、同玉(同桂は5七金)、7六金。 これは下手の7筋の攻めが“やぶ蛇”になった。失敗だ。
また、4五桂に代えて【R】5一金と攻める手は、下手が金を手離したこの瞬間に7七角成からの上手の攻めが炸裂する。7七同桂に5七金で上手良しになる。
阪田の打った「5九角」は、7七角成と3七角成の両狙いで、特に7七角成が下手にとって脅威なのだ。
しかし、では、ここで受けるのはどうだろう?
">(126手目)変化5八香図1
【S】5八香と受けてみよう。
しかしそれには4六桂(図)がある。以下、5一金、5八桂成、5二金、7七角成、同桂、5七成桂という攻め合いは、上手の攻めが早い。【S】5八香では下手勝てない。
(126手目)変化8七金寄図1
そして、【T】8七金寄(図)。 この手を検討してみた。上手は7七角成を切り札に攻めを組み立てているのだから、それをかわそうという手だ。
以下の予想手順は、3七角成、5一金、4五桂、5八香、6五歩、5二金、6六歩、同銀、5八飛成、6七銀(次の図)
変化8七金寄図2
4八竜、4九歩、同竜、6一銀、4六馬、7二銀成、同銀、6二金打(次の図)
これは、下手有望だ。
これで下手良しではないか。いったんはそういう結論に達した。
ところが――我々の見落としていた上手の好手が発見され結論が逆になった。
変化8七金寄図
8七金寄、3七角成、5一金に、「4二歩」(図)である。
これは、同竜に――
変化8七金寄図
1五馬とする狙いだ。
ここから5二竜、同銀、同金と勝負しても、2五馬、6一銀、5二馬、同銀不成、5七金は、上手ペース。
【T】8七金寄は、下手勝てない。
あと一つ、受けの手として【U】8七金打がある。
(126手目)変化8七金打図1
実は、『阪田三吉血戦譜』では、加藤一二三が、本譜の4五桂を失着とみなし、その手で【U】8七金打とすべきところと指摘している。
8七金打、3七角成、7五歩と攻めれば大変な勝負で、「むしろ下手が良いのではないでしょうか」と言ったそうだ。
と、名人にもなった加藤プロが言うのであるなら、これは調べる価値のある手にちがいない。実際に調べてみたが、相当に変化が広い。
なので、この【U】8七金打の変化は、これも最後までこの対局の棋譜を鑑賞したその後にしっかりやろう。
とにかく、実戦では下手金易二郎は4五桂と指し、上手阪田三吉は4四角と指した。
4四角―――この手では、代えて7七角成(次の図)もかなり有力である。
変化7七角成図1
7七同桂に、5七金。 この攻めは有力。
受けが難しい。6九香と受けても結局押し切られそう。
ところがこの場合、妙な受けがあって、上手も攻めきれない。
変化7七角成図2
2九金というのがその“妙な受け”。 以下4八飛成に、3九角と打つのだ。5九竜に、5七角、同竜。
そこで5三香から攻めに転じる。以下、同銀、同桂成、同角、5二銀と進むと、これは「互角」の闘い。
形勢としては互角でも、こうなると下手ペースという感じだ。
「4四角」の構想に惚れ込んでいた阪田が選ぶ順ではないだろう。
夢の角127手目
そうして実戦は、こうなった。(おそらく)夢の中で阪田三吉の思い描いた絵の通りの局面になったのだが――
しかしこの4四角(127手目)の局面が上手有利なのかといえば、さて、どうだろう?
次の3つの手について、調べてみる。 ここで下手に有効手があるかどうか。
〔L〕4二竜
〔M〕5三香
〔N〕6九金
なお、実戦で金易二郎が選んだのは、〔O〕5五歩である。
(128手目)変化4二竜図1
ソフト「激指13」は、127手目4四角の図で、最善手は〔L〕4二竜としている。(評価値は「+113 互角」)
しかし具体的にこの手を調べてみると、これでは下手は勝てないと判明する。
〔L〕4二竜に対しては、7七角成と角をここで切り、同桂に5七金とする。それがこの図である。
2手前、4四角と指した手に代えて同じように7七角成~5七金と攻めるのは、2九金という受けが有効で、形勢不明になることを我々は述べた。
だが、この場合はここで2九金だと、そこで飛車を逃げずに6七金とし、1八金に、7八金、同玉、そこで6六角として、それで上手がやや有利となる。(この6六角があるのが上との違い)
というわけで図の5七金に、下手6九香と受けてみる。以下、6七金、同香、6九銀、6八金打、7八銀成、同金、5七金、4四竜、6七金で、次の図。
変化4二竜図2
上手の飛車の横利きを生かしたこのシンプルな攻めが受けにくい。
ここで下手は受けなければならないが、どう受けても、7五歩とされると、上手のこの攻めは切らされることはない。
たとえば、8九金、7五歩、8七銀、8四桂という感じ。
下手は4四竜の位置がわるく、上手陣を攻めるのに手間がかかる。
はっきり上手良し。
(128手目)変化5三香図1
〔M〕5三香と攻めるのはどうか。これを同銀、同桂成、同角なら、6一銀と打って、これはなかなかうるさい攻めとなる。
〔M〕5三香に、7七角成、同桂、6五歩の攻めは、5二香成、6六歩、5三成香となって、この手が7二竜、同銀、7一銀以下の“詰めろ”になっているので、この攻め合いは下手が勝ちになる。
しかし上手にはもう一つの攻め筋がある。それが6五桂打(次の図)である。
変化5三香図
この6五桂打が厳しく、下手陣はこれで崩壊してしまうのである。
今度は、上手の攻めのほうが速い。
図以下、5二香成、7七桂成、同桂、同角成、同玉、6五桂打で下手玉は寄っている。
図で8七金打と受けても、7七桂成、同金、6五歩で、やはり上手有利な形勢となる。(下手が金を手離したので今度は6五歩の攻めが間に合う)
(128手目)変化6九金図1
127手目4四角に、下手は受ける手を指すのはどうか。受け方は何通りかあるが、一番有力な手は〔N〕6九金(図)だ。これを次に検討する。
〔N〕6九金、これに対して1五角成(角を成って受けに使う)も有力だが、この変化は形勢不明、別世界の将棋に移行する。
しかしそれよりも、ここは7七角成で、上手攻めきれると、我々は考えている。
7七角成、同桂に、6五歩。今度は6五歩の攻めが良い。下手が受けに金を投入したので、それを崩すには6筋の歩の応援があるほうが良いのだ。
しかし6五歩には、下手も6四香の切り返しを用意している。この時のために、下手は香車を受けに使わず持っていたのだ。
6四香に、6六歩(次の図)
変化6九金図2
この攻め合いはどっちが速いか。
6三香成、同銀、5八銀、6五桂打(これが好手)、5三角、同角、同桂成、7七桂成、同金、6五桂打(次の図)
変化6九金図3
上手優勢になった。図の6五桂打で下手玉には“詰めろ”がかかっているが、下手は受けが難しい。6八銀と受けることになりそうだが、7七桂成、同玉、6七金と攻めて、以下、“詰めろ”が続く。(上手は7二竜以下などの上手玉の詰み筋に気をつけて寄せを考えていけば勝てる。また安易に6五桂と跳ねると7三銀、同玉、6三成桂というような詰み筋も生まれるのでそれも注意すべきところ)
そういうわけで、我々(終盤探検隊)は、「金易二郎-阪田三吉戦 127手目4四角の図」は、上手優勢になっているとみる。
今見てきたように、この図から上手からは3通りの攻め筋がある。7七角成~5七金、7七角成~6五歩、6五桂打という3通りの攻め筋があり、上手はこの3つの攻めを相手の手によって使い分ければよい。
それを上回る手が下手には見つからない…。
ということで、「夢の角127手目4四角」の図では、どうやら「上手良し」なのである。
つまり坂田三吉が“夢”で見た構想が実現し、そして優位に立ったのであった。
それで、実戦で、下手金易二郎は阪田の4四角に、どう指したか。
夢の角128手目
「5五歩」と指した。
「なるほど、筋」という感じの手だ。
これを同角なら、5筋の歩が切れて5三歩という攻め筋もできるし、5八歩と歩を受けに使うこともできる。
上手としては相手の注文通りになるのは直感的に勝負師としては避けたいものである。
阪田は6五歩。
しかしこの手は、“失着”だったのだ!
実戦は、5五歩に、6五歩、6四香、7七角成と進んだ。
この数手の間に、形勢がぐらぐらと揺れ動いたのだった。
どうなったのか?
上手は5五同角と指すべきだったのだ! それで上手の優位は拡大していたところだった。
ところが阪田の指し手は6五歩。好手にみえるこの手で、実は形勢は混とんとなった。あるいは逆転しているかもしれない。(正確な形勢は後で確かめる)
(129手目)変化5五同角図1
5五同角とした場合。
5五の角は良い位置である。この角は4六角と行くこともできるし、6四の地点をカバーしていて、上手からの攻めのねらい筋6五歩がいっそう突きやすくなった。(4四角の位置だと6五歩に下手から6四香の返し技がありこれを覚悟するする必要があるが、、この場合だと同角ととれる)
128手目下手の5五歩は、図のように同角とされると、これははっきり下手の負けになっていた。
下手金易二郎の5五歩は、“勝負手”としては成功、つまり「好手」だったわけである。
これによって阪田に6五歩と指させた、つまり坂田を“間違わせた”のだから。(あの時点では下手不利で勝てる手はなく、理論的な最善手など存在しない。どうやって相手を間違わせるか、という問題になる)
金易二郎の5五歩が、阪田三吉を“幻惑”したのである
ここで5五同角以下の変化を研究しておこう。
下手は、ここでたとえば5八金のように受けても、上手から7七角成、同桂、6五歩という攻めで、下手陣は崩壊する。6筋の歩が6六まで伸びてくると強烈だ。
だからここで指すとすれば、攻め合って勝負する<ア>5三歩か、5五の角の当たりに<イ>5八香と打つ手だろう。その2つを調べていく。
<ア>5三歩に対して、7七角成、同桂、6五歩では上手は今度は速度負けする。(以下5二歩成、6六歩、6二とで上手玉に“詰めろ”がかかる)
5三歩~5二歩成の下手の攻めに優る攻めが上手になければ上手負けとなるが、この場合はあるのだ。6五桂打という攻めだ(次の図)
変化5五同角図2
6五桂打に、5八香、7七角成、同桂、同桂成、同金、6五桂打(同歩なら7七角成以下詰み、8九桂と受けるなら、7七桂成、同桂、6八金がある)、7八金打、7七桂成、同金、4六角、5二歩成、8九金(次の図)
変化5五同角図3
上手玉はまだ詰めろがかかっていないのだから、上手は下手玉を詰ませる必要はない。
図の8九金に、同玉、1九飛成、9八玉、9七金、同玉、9九竜、8七玉、7九角成となって、上手勝ち。
変化5五同角図4
次に<イ>5八香の場合。これには4六角と逃げる。そこで5三歩が下手の意図で、今度は角を移動させたので6五桂打の攻めはないということだ。これが5八香と受けた意味。
上手、この場合は5五桂と打つ。同香に、7七角成、同玉、6八金(次の図)
変化5五同角図5
受けがない。上手勝ち。
もしこのように進んでいれば、「7一角」と受けに打った角が、4四→5五→4六と移動して攻めに使えたわけで、これは最高に気持ちの良い勝ち方だ。(実戦はこうならなかったのだったが)
このように、5五同角なら、以下、上手が良さそうだ。
実戦の進行は―― 6五歩、6四香、7七角成(次の図)
夢の角131手目
そうして、こうなった。
上手阪田の6五歩に、対して6四香が下手金易二郎期待の“返し技”。もちろん、阪田もこれはわかっていたはずだが、6五歩で勝てるという読みだったのか。
6五歩に同歩は、同桂で、それは下手陣がいっきに崩壊するのだが。
もしも上手の4四角の角筋が通っていたら(6五歩に6四香という)この攻め合いは上手に軍配が上がるところだった。しかし現実この瞬間、その角筋は5五で止まっている。だからこのタイミングでの6五歩は、“微妙”だったのである。
対局中の阪田は、しかしそんなことをいちいち振り返っている場合ではない。ここからどうやって勝つか、考えることはそれだけだ。
阪田三吉は、ここでねらいの7七角成(図)を実行した。たぶん、阪田は「勝てる」と自信満々で思っていたのではないか。 なにしろ“夢の角”を天から恵まれたのだ。負けるわけがない。
金易二郎はどうみていたか。 金も、「勝てる」、と思っていた。
金易二郎は図の7七角成を同桂と取った。
以下、6六歩、6三香成、同銀、5三角、6二香(次の図)
夢の角137手目
さあ、どっちが勝ちになっているか。(それとも、まだ優劣不明の勝負なのか)
金易二郎の感想がある。
5三角と打った時、金は「取る一手だから、同桂成りで勝ちだと読んでいたところ、△6二香の名手を指されて驚いた」、という。
5三角は上手玉への“詰めろ”であり、だから「取る一手」と金は思っていたのだが、6二香という受けがあったということ。
しかし、持ち時間無制限だからこういう最終盤の重要なところで、いくらでも考えられるというのに、この軽率な見落としはどういうことであろう。不思議である。「勝てそう」となれば、より慎重にあれもこれもと時間をかけて読むものだと思うが…。
(6二香は、「名手」というほどの手とは思えない)
こういう見落としがあったが、しかし金の打った5三角は盤上この一手というべき“好手”であった。
5五歩(128手目)、6四香(130手目)、5三角(136手目)、金易二郎の指し手は、冴えていた。
6二香と、阪田三吉が、詰めろ逃れに受けた(そのままだと7一銀から詰む)その局面、「激指」の評価を見ると、なんと「0 互角」。
候補手(最善手)として「激指」は、6六銀を示している。
実戦の易二郎の指し手も6六銀。(6七歩成が入っては、下手勝てない)
阪田、6七金と打つ。
夢の角139手目
正しく指せば、下手(金易二郎)の勝ち。
どう指すのが正着か、考えてみてほしい。(つづく)