はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

終盤探検隊 part39 升田幸三 “南海の月”

2015年09月22日 | しょうぎ
 1943年(大東亜戦争中)8月の対局「升田幸三-木村義雄戦」朝日番付戦決勝。その24手目の局面図。
 『将棋世界、イメージと読みの将棋観』でこの図が採り上げられたこともある。両者にとって初の平手戦。
 これで升田(当時25歳)は有利になると思っていた。升田の次の着手は6八飛。

    [大野みたいになりいや]
「きつい手え、指しよります」
 角田二段が答える。大阪弁の<きつい手>の意味が、私にはわからない。
「そうか」
 先生はいいとも悪いともいわず、大野五段のほうを向いて、グイと一つアゴをしゃくった。ヘイッと歯切れのいい返事をし、角田二段に代わって、大野五段が私の前にすわる。試験官交代というわけだ。
 飛車と角の二枚落ちで指したんだが、チビで色のまっくろけなこのアンちゃん、強かったなあ。こっちが慎重に考えて一手指すと、間髪を入れずにピシッとくる。それでいて、どの手もみんな急所にきおるんです。だいたい、いままで私がやってきた相手とは、指す手がぜんぜん違っとった。広島の大深五段には、二枚落ちなら勝ちこしたんだが、てんで手も足も出やあせん。
 四番、たて続けに負かされました。もう一番指して勝ったけれど、これはもう、はっきりオナサケでね。ゆるめてくれとるのが、手に取るようにわかった。
 さあ、困ったことになった。奥さんを女中と間違えてぞんざいな口はきく、チビクロ五段には歯が立たん。あきれて弟子にしてくれんのじゃなかろうか。見込みがない、帰れ。そういわれやせんか。
 しょんぼりしとる私に、奥さんが声をかけてくれた。
「おまえも気張って、大野みたいになりいや」
 この一言、天の声のように聞こえた。入門させてやる、だからしっかり勉強して、大野五段のように強くなれ。奥さんはそう言っておる。
 (中略)
「大野みたいになりいや」
 この言葉の快いひびきは、いまも私の耳に鮮明に残っております。
                            (升田幸三『名人に香車を引いた男』から)


 大野源一は東京生まれで東京育ち、大工の息子だったが、それがなぜか、大阪の木見金治郎の弟子になっている。何かの書にその理由が書いてあったが、失念した。やむをえぬ事情ではなく、あえて大野本人が修業のために大阪で内弟子生活を送るそういう環境を望んだのではなかったかと思う。毒舌で、江戸弁と大阪弁が混じった言葉を話していたという。上の話でも「ヘイッと歯切れのいい返事をし」というのが江戸っ子らしく思える。
 大野は1940年に八段になっている。升田の7つ年上である。
 (『大野の振り飛車』)
 1943年の名人戦は、通常通りには「名人挑戦リーグ」は行われなかった。戦況が厳しくなって、スポンサーである毎日新聞社の経済事情の関係だろう、「挑戦予備手合い」という簡略化した特殊な形で行われた。挑戦者候補の4名が、名人である木村義雄とそれぞれ「平香」で二局づつ指してゆくというという形式であるが、木村名人はその相手の八段を次々となぎ倒し、やっと香落ちで1勝したのが、大野源一八段であった。

大野源一-木村義雄 1943年 名人戦予備手合
 といことで大野八段のみもう一局平手戦を指すこととなった。これに大野源一が勝てば、正式に挑戦者としてあらためて番勝負が行われたのだと思う。
 その時の将棋がこの図の通り「相雁木」である。当時は「5筋の歩を突く相掛かり」が主流戦法であった。したがって、先手は5七銀、後手は5三銀と組む。そしてそこから先手が6六歩と持久戦を選ぶと、この図のように「相雁木」になるのだった。この図から大野は3八飛から3五歩という手段を選んだが、この闘いを制したのは、木村名人であった。
 こうして、この期(第4期)の名人はこれで「名人防衛」ということとなった。
 木村義雄は、盤石の強さを見せつけていた。この「挑戦予備手合い」、八段の名人挑戦者候補4人を相手に、8勝1敗(うち4局は香落ち上手)という強さである。

 さて、「升田幸三-木村義雄戦」も、そういう時期に行われた対局である、朝日番付戦決勝戦。(「大野-木村戦」は9月、この対局はその1か月前の8月に行われた)
 升田幸三の「八段昇進」も掛かっていた。


升田木村戦24手 再掲
 ▲6八飛 △6五歩 ▲同飛 △6四銀左 ▲2五飛 △3二金 ▲9七角 △3四歩
 ▲6五歩 △5三銀 ▲8八角

 この図は、『将棋世界』の鈴木宏彦氏の「イメージと読みの将棋観」で採り上げられている。(将棋世界1912年2月号)
 意見を述べた棋士は、渡辺明、佐藤康光、森内俊之、谷川浩司、久保利明、広瀬章人。
 この図を見た棋士たちは、全員この局面での第一感を3八玉と述べている。が、よく見れば、3八玉では、6五歩、同銀、6四銀となって、これだと後手ペースになる。
 ほとんどの棋士が、この図での先手の作戦に疑問を感じている。3八玉と指せないようでは、作戦を採った意味がないということのようだ。
 たとえば渡辺明はこう言っている。「単に▲3八玉として、△6五歩▲同銀△6四銀左なら強く戦って、まあ、なんとかなるでしょう。逆に▲3八玉で指せないんじゃ先手が苦しいということですよ。升田先生の将棋? えー、でも僕なら▲3八玉です。」
 佐藤康光「先手が押さえ込まれそうで自信がない。そもそも▲6五歩とつっかけるようでは自信がない。この局面は先手が忙しい。」
 森内俊之「先手は7五の位を取っていますが、▲6五歩を突いていますので逆に7筋の位を守りにくくなっている。なので少し面白くない作戦なのかと思う。この場合は、このままだと△6五歩▲同銀△6四銀左と来られる恐れがある。しょうがないので▲3八玉とします。6筋は受けようがない。形勢は後手良し。先手勝率イメージは45パーセントくらいです。」「序盤の手順を見ると、木村名人が升田先生の作戦をうまくとがめたのではないでしょうか。」
 ニュアンスとしては「なんでこんな序盤にしちゃったんだ。先手指しにくいでしょう」という感じである。
 つまり、先手のこの指し方に味方するものはだれもいない、これは升田幸三独自の感性の序盤なのだ。

 ところが、面白いことに、升田自身は、この作戦に自信を持っている。そして実際、この将棋は序盤で先手が作戦勝ちを勝ち取っていくのである。
 升田幸三の“次の一手”は、6八飛。予定の一手であった。
 その「イメージと読みの将棋観」の中では、谷川浩司のみは、升田幸三の次の手、6八飛を当てていた。
「そこで単に▲6八飛はどうでしょう。以下、△6五歩▲同飛△6四歩▲2五飛。後手陣も味が悪いので、そこそこ指せると思う。実戦も、そう指した? 升田先生の将棋ですか。そういえば、なんとなく見た記憶がある。」

 「6八飛はこの一手」と升田。
 〔2五飛も当然で、6八飛と引くのは、6二飛から7五銀をねらわれていけない〕
と、『名人に香車を引いた男』で解説している。

 ここの前後の数手、十数手が、升田幸三にとって、「勝負」の場面なのである。
 ふつう、将棋の勝負どころは、もっとずっと後である。序盤・中盤ときて、終盤になる。その終盤になる前に優勢になるよう、頑張る。そして、終盤こそが勝負どころである。それがふつうの感性だろう。
 ところが、升田幸三はちょっと違うようだ。升田はここを“勝負どころ”として、命がけで指しているのである。ここで有利になったらこの将棋は俺の勝ちだ、そういう感性で指している。
 ふつうの人がマラソン感覚でスタートを切るとしたら、相撲のように全力で踏みこんでダッシュするのが升田将棋だ。

 2五飛で、6八飛だと、6二飛で、後手良し。
 だから、2五飛とまわって先手をとる。“先手を取る”のが大事なのだ。3二金で後手は一時的に壁ができて悪形となった。
 6五歩と押さえ、5三銀と後手の銀を追い返す。これでついに力ずくで、「7五の位」を守った。
 6五歩に、後手7五銀ならどうなるか。同銀、同金、6四歩、同銀、6三銀(次の図)

変化7五銀図
 これで先手良し。これが升田の読み。

 なになんでも「7五」をいただく、と後手木村名人はやってきている。だからその木村名人と“命がけのケンカ”をしている先手升田にすれば、「7五」を死守することがここでは何よりも優先されるべき重要事項なのであった。


升田木村戦35手
 △4四歩 ▲2六飛 △4一玉 ▲3八玉 △3三金 ▲2八玉 △3二玉
 ▲3八銀 △2四歩 ▲6六飛 △3五歩 ▲4六歩 △2五歩 ▲5八金左 △9四歩

 升田の8八角。これは「7五」を死守するために一旦9七に上がった角を、8八に引いたわけだが、木村義雄は、角の動きで相手は手損になった、だからこっちが作戦的には良いはず…と考えていた。
 言われてみれば、この升田の角は、8八から7七、そしてまた8八へ戻り、9七に出て、また8八へと戻っている。4手を角の動きで費やしている。

 ところが、升田幸三の考えは違う。8八角と引き、ここで後手に4四歩と突かせる。するとこの将棋は、持久戦になる。後手の「棒金」は急戦用の作戦だ。その作戦が失敗したということだ。あの8四金が働かないのだから、持久戦になればこっち(先手)が優勢だ。これが升田の考え。
 だから8八角に対する4四歩を見て、「よし、勝った!」と升田は思ったわけである。
 この「勝った!」というのは、まず「7五」を取りあう“ケンカ”に勝ち、それはすなわちこの一局を制するほどの重要な決戦だったと升田幸三は見ているのである。

 だが、木村はそうは見ていない。(佐藤康光、森内俊之、渡辺明も木村と同じく後手持ち)
 角と飛車の動きでむこうはこれだけ手損をしている。つまりは自分が手得しているということだ。「7五をめぐるケンカ」は制することはできなかったが、その分を「手得」で利益を出している。きっと指しやすくなるはずだ。木村名人はそう考えていた。

 どうやら、この「将棋観」の対決は、升田幸三に軍配が上がっているようだ。
 この後、手が進むにつれ、先手が徐々に優勢になってゆくのである。升田はそのことがこの時点でわかっている。「7五をめぐるケンカ」への本気度は、升田幸三のほうが上だった。

 だが、「よし、この将棋はもらった!」と思っている升田と、「少し得した、でも勝負どころはまだまだ先」と考えている木村。
 そこに、“逆転の目”が潜んでいる。

 升田の飛車は、2五→2六→6六と、6筋に戻った。
 相手は飛車と角の動きで、これだけ手損をしているのだから、自分のほうがわるいわけがない、と木村名人は思っている。
 一方、升田は、この将棋は山場を過ぎた、俺の勝ちだ、後はどう優勢を拡大して、勝ちを決めるか、それだけだ。升田にとっての“勝負”の場面は、すでに過ぎていたのである。
 升田幸三の、異質な将棋観がここに見える。

 ところで、升田幸三の35手目8八角に、木村義雄は4四歩としたが、これ以降、先手升田のほうが模様の良い将棋となった。
 それならば、木村の36手目で、“4四銀”と変化するのはどうなるか。
 我々終盤探検隊は、それを調べてみた。(これは「終盤」とは言えないが)

【研究;36手目4四銀の変化】

変化4四銀図1
 4四歩とこの4四銀の違いは、4四銀なら3一の角の利きが6四、7五に通っているということである。(デメリットは6四への利きが一つ少なくなる)
 この図からの進行は、一例を述べると、3八玉、4一玉、2八玉、4二角、3一玉、3八銀、7四歩、同歩、2二玉、6六飛、7四金、7五歩、7三金、9七角(次の図)

変化4四銀図2
 こういう感じになる。形勢は互角。
 これから見ていく本譜(4四歩)の進行とくらべると、こちらのほうが後手に希望が多いように思われるが、いかがだろうか。


升田木村戦50手
 ▲1六歩 △1四歩 ▲4七金

 木村義雄はこの9四歩を緩手だったとあとで振り返って後悔している。
 この後、後手が徐々に指しにくくなっていくのだが、それをこの「9四歩」のせいだと、木村義雄は著書『名人木村義雄実戦集』の中で述べている。この9四歩を指す手で、1四歩とし、以下1六歩、3四金、4七金、3三桂、6八飛、7四歩と進めば、本譜の順より一手早く7四歩と指せていた、というのだ。が、我々の研究では、それでもやはり後手が指しにくい将棋になっていると思われる。
 木村義雄はこの対局中、自分のほうがやや良しと思っていたようだ。それがなぜか、途中から指しにくくなった。後で振り返って見て、この50手目9四歩が緩手だったからと結論しているわけだ。

 しかし升田幸三に言わせれば、もっと前から、つまり「7五ほ位(くらい)を先手が死守したとき」から、こうなること――だんだん先手が有利になること――はわかっていたことだった。持久戦になれば、後手は8四金が働かないのだから。
 8四金の棒金作戦がすでに失敗しているのだから、後手はまともに陣形を組みようがない。玉を固めることもできないし、8四の金を活用するためには、後手はどこかで7四歩とするしかないが、そこで戦いになれば、先手の美濃囲いのほうが堅いし、後手の角が使いにくいだろう。升田にとっては、もう、この将棋は勝ち将棋になっているのである。“命がけの勝負”の場面はもう過ぎているのだ。
 後は先手は、「どうやって有利を拡大して勝ちに結びつけるか」という問題であり、それは序盤の、100パーセントの力を振り絞ってなにがなんでも勝つ、という状況にくらべれば、ゆるい問題なのである。80パーセントの力でよい。
 升田の感覚は、そういう感じだ。勝負はもうオワ(終わっている)なのだ。

 『升田将棋撰集』ではこの場面を升田は次のように解説する。
〔 ここまで来てみると、序盤早々△8四金と進出した木村名人の闘志が、空回りに終わったことがよくおわかりだろう。 伸びきった陣形をまとめるのに、ひと苦労もふた苦労もしなければならない。〕

 9四歩に、升田は1六歩とし、1四歩、4七金、3四金、6八飛、3三桂、5六歩と進んだ。

 ソフト「激指13」で評価値を調べると、9四歩を木村が突く前の図で「+61 互角」、9四歩を突いたところでは「+155 互角」、そして数手後の先手5六歩のところでは「+218 互角」となっている。

 実際、後手がどう指すのが良いかということになると、難しい。後手ははっきり有効といえる手がなく、升田が見ている通り、後手はもうどうしようもないのかもしれない。
 後手は「3五」と「2五」の位をとったのだが、このあとこの位を守るために3四金と上がることになる。しかしその動きによって、ますます玉の周辺はすかすかになり、「決戦」になると困る状況になる。しかしそうはいっても、位をっとった以上は守らないと、たとえば金を3三のままだと、先手に4七金から3六歩、同歩、同金とされて、玉頭を制圧されてしまう。そしてそういう戦いになったとき、8四の金がまったくの遊び駒である。
 升田の言う通り、8四金の棒金と、2筋3筋の位取りのバランスが悪いのである。しかしそれでも、後手は「位取り」以外に有効手がないからしかたないのだ。
 つまり、後手がはっきり作戦負けなのである。
 升田幸三は、序盤の、後手木村が7二金~8三金と「棒金」に来たときからこういう展開を目指して“命がけで”戦っていたのである。升田の序盤感覚の研ぎ澄まされた“凄さ”がここに表われている。

 木村にとっては、「まだ序盤、勝負はこれから」であったが、升田にとっては「勝負はオワ(終わっている)」なのであった。

 この判断は、どうやら先手升田幸三が正しかったようだ。

 しかし、ほんとうに、もう、後手が有利になる(せめて互角に戦える)分かれは、理論的にもないのであろうか。
 それを研究してみた。

升田木村戦51手
 この図は、後手木村の9四歩に、先手升田が1六歩と端歩を突いたところ。
 このタイミングで7四歩はどうだろう?
 本譜は、木村は1四歩と端歩を受けた。この端歩突きは後手にとっても有効手に違いはないが、しかし結局のところ、まともに指しすすめてもどうも後手にとって良い分かれにはなりそうもない。
 ならばここで7四歩と戦いにするのはどうか、ということである。

変化7四歩図1
 後手はどこかで、7四歩と勝負するしかない。そうでなければ、永久に8四金が使えず“金落ち将棋”になってしまう。それならここが一番ましでは?と我々は考えたのだ。
 というのは、金がまだ3三にあるからだ。先手は1六歩の後、次に4七金としたが、そうなるとその次に3六歩と位を奪還されると困るから、3四金と出るしかない、すると金がうわずって陣形が弱体化して、さらに勝負ができにくくなる。それでも、結局は後手は、今述べた通り、7四歩から勝負することになる、そういう将棋なのだ。つまり、先手が4七金と上がる前に、7四歩と行くのはどうかということだ。
 もう一つ、先手は飛車をいずれ6八に引きたい。その方が、後手からの7四歩に対応しやすいからだ。だが今はまだ6六にいる。
 そうしたことを考えると、後手が7四歩と動くなら、ここが最も条件が良いのでは?

 というわけで、ここからの7四歩(変化7四歩図1)を研究してみたのである。

 後手7四歩に、先手はどう対応するのか。
 有力なのは【A】7四同歩と、【B】9七角だ。

 【A】7四同歩に、同金なら、7五歩、8四金と収めておいて、4七金、3四金という展開でも先手が指しやすくなりそうだ。そこで【A】7四同歩、同銀を考える(次の図)

変化7四歩図2
 6八飛、7五歩、6七銀、6三銀という展開が予想され、これなら後手は8四金の活用にめどが立つ。さらに4五歩、7四金、5六銀となって――次の図。

変化7四歩図3
 こんな戦いになる。ソフト「激指13」の評価は、「+185 互角」
 以下8六歩、同歩、同飛には、4四歩、同銀、4五歩、5三銀、7七角とする。そこで8九飛成なら、8八飛で飛車交換となる。こうなると先手良し。(よって、7七角には8二飛となりそう)
 また、図で、後手4五歩には、3三角成、同桂、6四歩、同銀直、同飛、同金、3四銀という狙い筋もある。
 「互角」でも、しかし先手勝ちやすい将棋か。 

変化7四歩図4
 次に、7四歩に、【B】9七角(図)の場合。以下、9五歩、7四歩、同金、7五銀、同金、同角、7四銀打(次の図)

変化7四歩図5
 ここで先手に3つの候補手がある。〔イ〕5三角成、〔ロ〕6四角、〔ハ〕9七角の3つだが、ここでの最有力手は〔ロ〕6四角ではないかと思うので、その先を調べてみる。
 〔ロ〕6四角、同銀左、同歩、同銀、9五歩、6五歩、9六飛、8六歩、同歩、7八角、9四歩、9二歩、7七桂、7六歩、8五桂、7七歩成(次の図)

変化7四歩図6
 この図もソフトの評価は「互角」。(激指評価:「+70 互角」)
 ここから先手には9三歩成、同歩、9二歩、同香、9四歩(同歩なら9三歩)という手段がある。

 これらの変化なら、後手も戦える感じはある。ただし後手の陣形はうすいので、やはり先手のほうが勝ちやすい将棋とはいえるだろう。

升田木村戦53手
 △3四金 ▲6八飛 △3三桂 ▲5六歩

 さて、こうなった。先手は4七金(図)と上がった。次に3六歩、同歩、同金とされては後手わるいので、3四金と位を守る。
 次の6八飛も先手が指したかった手。先手には有効手が多い。


升田木村戦57手
 △7四歩

 このまま決戦になると後手が困る。それでも、後手木村義雄は、ここで7四歩とこの歩を突いた。上でも述べたように、後手が8四金を使おうと思えば、どこかでこの7四歩を突くしかない。
 で、木村名人はここでの7四歩を決行したのだ。

 図で、「激指」評価は「+218 互角」で、最善手は5二銀、次善手7四歩と示している。

 そして形勢はここから、さらに先手側に傾いてゆく。

 升田幸三の序盤感覚は、ずっと前から、こうなることを見越しているわけである。だからもう自分が優勢と信じている。
 しかし木村名人のほうは、まだ対局中は、自分のほうが指せる、と思っている。(後で振り返って、あの9四歩の緩手のために、模様の良かった将棋がこのあたりでは互角になった、と見解を修正したのであるが)
 木村陣は、もしも8四の金が5二にあれば、それなら「互角」といえる将棋だった。(それならむしろ後手良しかもしれない)

 ところで、この図から、もし後手がここで「形勢不利」を自覚し、7四歩と突くとさらに悪くなると考え、5二銀~4三銀のように指すとどうなるのだろう。つまり「へたに動かず待つ」ということに徹するのだ。
 それを研究してみた。
 5二銀、6六角、4三銀、7七桂、4二角、8六歩、同歩、8八飛で、次の図。


 すんなり8六飛が実現すると先手優勢。飛車交換は先手有利なので強気に指せるのが大きい。
 後手は6二銀(角道を通す)が考えられるが、8六飛、7四歩、8八飛、8六歩、同飛で、先手良し。
 しかし図では、6七歩という工夫の一手がある。これは同銀と取らせ、7四歩、8六飛、8五歩という意味。
 だが、6七歩に、それでも8六飛がある。以下6八歩成、8八飛、8六歩、同飛、8三金、8八飛で、次の図。


 先手有利。6九とに、8四歩、同金、7四歩と攻めていけそうだ。
 こうした戦いになると、8筋の後手の金が負担になっているのがわかる。

 後手が7四歩を突かずにおとなしく指していると、このようになる。私たちアマチュアのレベルならともかく、プロ棋士がこの展開では、勝ち目がなさそうだ。


升田木村戦58手

 木村名人は、58手目、7四歩と突いた。


       part40につづく
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