はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

スピンはめぐる 2

2010年06月05日 | らくがき
 電子の「スピン」、その考えに人類史上、最初に辿り着いたのは、アメリカ人のラルフ・クローニッヒという男であった。1925年のことである。
 彼がそれを思いついたときの環境は、ニールス・ボーアのいるデンマーク・コペンハーゲン、その地にはボーアの生んだ物理学の未開の荒野「量子力学」を学び研究するために、若い才能ある頭脳が集っていた。ハイゼンベルグ、パウリ、クラマース、クライン、そして仁科芳雄ら日本人の姿もあった。(朝永振一郎著『スピンはめぐる』の中には、仁科とクローニッヒが一緒に写った写真が載っている。)
 クローニッッヒのその「電子スピン」のアイデアは、しかし、彼らによってすぐに否定されてしまった。それでクローニッヒは、それを追求することをやめた。これだけ優秀の精鋭達が「だめ」というのだからそれはきっと駄目なんだろう…。
 この瞬間、「スピン」のアイデアは、彼の元を去っていった。
 それは次にオランダへと飛んでいった。


 それから3ヵ月後、オランダ・ライデンで二人の若者が、全く同じアイデアを思いつき、論文に仕上げることとなった。カウシュミット(ゴーズミット)とウーレンベックである。
 二人はその「電子スピン」の論文を、彼らの先生であるポール・エーレンフェストに見せた。エーレンフェストはこう言った。「このアイデアは大変に重要かナンセンスかどちらかだ。」 そしてエーレンフェスト先生は、ローレンツ教授にも話して感想を聞いてみなさい、と二人に指示したのである。
 ヘンドリック・ローレンツ―――オランダの偉大な物理学者で、当時70歳を越えていた。(1902年ノーベル物理学賞受賞者である。)
 老ローレンツ教授は、カウシュミットとウーレンベックの持ってきた論文の写しを見て、「これは面白い。」と述べそして検討してみようと彼らに約束した。幾日かしてローレンツは、自分が計算したものを書いた紙を二人に見せながら、「どうやらこれは駄目だ。うまくいかない。ほら、ここで磁気的なエネルギーが大きくなりすぎて、そうすると電子の速度が光速の10倍にもなってしまうんだよ。」
 光速の10倍! そんな物質はあってはならない! 
 「ああ…。そうか、だめなのか。」
 ウーレンベックは、あわてた。 急いで先生のエーレンフェストのところに行き、あの論文の提出を取り下げてくださいと告げた。 すると、なんと先生はこう言ったのである。
 「もう遅いよ。あの論文はもう(発表するために)送ってしまったよ。
 「ええっ!?」 なんてことだ!
 ウーレンベックは「ああ大変だ! なんで送ってしまったんですか!? ローレンツ教授の計算では、あのアイデアは…」などと嘆いたが、エーレンフェストは平然とこう言ったのである。
 「君たちは若いんだから、いいんだ。馬鹿なことをしても許されるんだよ。


 結局、「電子のスピン」は世に認められたのである。 なにしろ、ボーアやアインシュタインがそれを承認したのだから。それなら、おおむね、問題なしだろう。

 では、ローレンツの言ったあの“光速の10倍になってしまう電子”の問題はどうなったのか。
 ボーアは、「その問題はやがて(誰かによって)解決されるのではないか」などと、おおらかにも思ったようである。(歴史に残るほどの学者というのは不思議なほどに“正しいカン”をもっている。) そして実際、そのとうりになったのだった。
 数年後、イギリス・ブリストル生まれのポール・ディラックが登場し、電子の速度の、正しい計算ができるよう道を切り開いたのである。 「スピン」は生き残った。


 「スピン」を最初に思いついたクローニッヒも、もしもボーアに直接そのアイデアを話していたら、「それは面白い。その研究をすぐ論文にしなさい。」となったかもしれないのである。
 クローニッヒがそのアイデアを述べたとき、ヴォルフガング・パウリもそこにいたのだが、パウリはすぐにそれを否定した。だが、後になって「スピン」の考えを取り入れてみると、パウリの有名な定理「パウリの排他律」をうまく説明できるのであった。 クローニッヒには“運”(あるいは執念か)が足らなかった。


 このようにして、「電子スピン」という考えが生み出され、認知された。

 この発見物語の主役は、エーレンフェスト先生だろう。ウーレンベックとカウシュミットに、二人でなにか研究しなさい、と命じて二人をくっつけたのは彼であるし、それによって「スピン」のアイデアがオランダに生まれたのだし。二人の論文が世に出たのも、上に書いたように、エーレンフェストの柔軟な人格によるアシストがあったからなのだ。
 そのエーレンフェストは、ウィーンの生まれで、有名なボルツマンの弟子である。
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亡き王女のためのパヴァーヌ

2010年06月04日 | らくがき
 何年も前から僕は自分の中の「らくがき力」を伸ばしたい、と思っているのだけれど…、なかなかうまくいかない。(いつも僕はまっすぐに歩けずに別の場所に行き着いてしまう。)
 この頃、文章と関係ない絵(らくがき)を載せていますが、それは、文章をがんばって書くと(それ自体は楽しいけれども)その内容に縛られてしまって、結果、絵がちっとも面白くならないな、と気づいたから。 しばらくは、「らくがき」がメインで、文章は無意味なつけたし――というこのスタイルでやってみます。
 いまのところ「メイン」と言えるほどのものにはなっていませんが。(どういうものを描ける様になりたいのか、自分でもよくわかっていないのです。)

 「らくがき」には目的もテーマもない。なので「タイトル」も付けようがない。
 かといって毎回「無題」というのも愛想がないし。
 今日のブログの記事タイトルも、絵とはなんの関係もなく、OTTAVA con brio でさっき聴いていた曲のタイトルをそのまんまいただきました。ラヴェルの曲です。 …‘パヴァーヌ’って何でしょ?
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5・21詰将棋 解答

2010年06月03日 | つめしょうぎ
  5三桂成

 今夜はもしや、半月?
 ――いえ、ちがうようです。 下弦の月(半月)は6月5日とのことです。
 「下弦の月」とは、満月の一週間後に現われる半月のことで、夜12時頃に東の空から登ってくる。
 対して、「上弦の月」は、満月の一週間前の半月で、夕暮れには中天にあって、西の空に傾いていく。
 「上弦の月」も「下弦の月」も、どちらもまっとうな‘船’のかたちをしており、けっして‘さかさ船’ではないんだね。 そりゃあそうだ――だって月を照らす太陽は、夜にはいつだって「地の底」にあるのだから。



 さて、5月21日出題の詰将棋「半月探検隊」の解答です。

 あの桂馬(6五)があると詰みません。 なので、まず、捨てます。
 ▲5三桂成。



  5三同角  6四歩  同角  7五桂打
 △5三同角に、これを▲同とと取ってはいけません。▲6四歩とたたいて▲7五桂打が正解。 (▲6四歩△同角をいれず▲7五桂打は、△6四玉で不詰め。)
 また、2手目△5三同銀は、6四歩、同銀、7五桂打、同銀、同桂、同銀、6四歩、同玉、6五銀以下早詰み。




  7五同角  同桂  6四玉
 5手目▲7五桂打に、△同歩なら▲8五馬で、また△同銀には▲同桂、同角、6四歩、同玉、6五銀以下詰みとなります。 なので△同角(6手目)ですが、以下▲同桂△6四玉(△7五同銀は▲7二角~▲5四角成。)




  6三桂成  同歩  4二角  5三桂
 この図では、「打ち歩詰め」の形になっています。それをどう解消するか。

 9手目は▲6三桂成。この桂を捨てておいて、▲4二角。 (この桂捨ては後で必要な手です。)
 ここで先に角を打つと詰まなくなります。すなわち、▲4二角、5三桂、6三桂成には、同玉となって、不詰めです。
 ▲4二角(11手目)には合い駒をしますが、ここは「桂合い」しかありません。(たとえば△5三香合いだと、同角成、同銀、6五香まで。)




  5五金  同玉  3三角成  6四玉  6五歩
 さてここで▲6五歩は、――やっぱり、「打ち歩詰め」の反則。 さあどうする? 
 そこで▲5五金~▲3三角成という手を繰りだしてみる…。すると… 




  6五同桂  8六馬  同歩  7六桂  7五玉  6六銀  まで23手詰め
 こんどは、「打ち歩詰め」にならない! (そのために桂馬(5三)を打たせた。)
 ▲6五歩、同桂として…
 ▲8六馬という決め手がありました!

 これにて、「打ち歩詰め」難儀の件、一件落着。 23手詰め。


 こういうの、「森田手筋」って言うんだね。 詰将棋のマニアの専門用語です。
 (え? こういうのって、どういうの? じつは僕もよく知らないので説明ができないのです。)




 詰め上がり図



 今夜は月齢20日。現在時刻は23時。
 晴天ですが、月が登るにはまだ少し早いようです。
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はやぶさ帰還

2010年06月02日 | らくがき
 小惑星探査機「はやぶさ」が帰ってきます。
 6月13日、場所はオーストラリア・ウーメラ砂漠。 とはいえ、地上に帰ってくるのは、小惑星イトカワで採取したサンプルの入ったカプセルのみですが。
 7年間の往復の道のりでした。無人探査機、すごいなあ。これまでの無人探査機は行ったきりでしたからね。歴史的な‘帰還’ですよ。

 「あかつき」の金星探査も、この「はやぶさ」の小惑星探査も、もはや人類の幸福とは直結しないように思えます。その意味では「お金の無駄遣い」なんだけど。
 経済、政治、防衛、環境、科学…、さてさて未来はどうなるんでしょうか?
 子ども達はこれから、何を学べばいいのかなあ。
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