はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

設計図

2010年06月20日 | らくがき
 〔 私は孤独な散歩者だった。生来、無口な私は、研究室に出かけても、一日じゅう、だれとも話もせず、専門の論文だけを読んでいることもまれではなかった。友だちから見れば、とっつきの悪い、不愉快な人間であったろうと思う。 〕


 湯川秀樹『旅人』から。
 湯川は家の中でもしゃべらなかった。家族が子どものときに彼につけたあだ名は「イワンちゃん」。 「言わん。」というのが口癖だったからだという。


 〔 勉強に疲れた私は、よくノートの端に、自分一人だけが住む一室の設計図を書いた。今でも、このころ書いた設計図の一つが、私の手もとに残っている。十畳くらいの広さの部屋に、机とイスと書棚とベッドがある。 … (中略) …  これが私の住んでいた童話の世界である。いや、童話というには、あまりにも花やかな夢に乏しい。ひからびた、そして現実世界に向かっての窓の閉ざされた小世界であった。 〕


 ずっと後の座談会にて、湯川秀樹と朝永振一郎は、同窓だった大学時代を振り返って、“話をした”記憶がお互いに全くないと述べている。湯川は幼少からこのころまで「無口」であったし、朝永は病気がちで気持ちもずっと暗かった。二人とも「量子力学」という薄暗い道を、心細い思いで手探りで進んでいたのである。
 二人は京都大学を卒業したが、ともに、無給の研究員として大学に残っていた。


 そんなとき、仁科芳雄が京都にやってきた…!
 「コペンハーゲン精神」(その正体は不明だが、どうやらいいものらしい。)をもって現われた仁科は、二人の心をあかるく照らしたようだ。


 〔 私の孤独な心、閉ざされた心は、仁科先生によってほぐれ始めたのであった。 〕

 と、湯川秀樹は『旅人』に書いている。
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