はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

“核力”の正体は?

2010年06月23日 | らくがき
 〔 結婚してからの一年間は、外面的には大した波乱もなく過ぎた。
 その間、私は毎朝、天満橋から京阪電車に乗った。今と違って電車はカーブの多い線路をゆっくり走っていた。沿線のながめは、しかし、今も余り変わらない。もうすっかり見なれた景色を、ぼんやりながめる私の頭に浮かんでくるのは、やはり核力の問題である。 〕

      (湯川秀樹著『旅人』)


 “核力”とは何であろうか。


 “量子力学”は1920年代にその中身がほぼ出来上がった。“量子力学”とは、原子の中の、「原子核」とその周囲をまわる「電子」との関係がどうなっているかを示す力学である。ここでは、「原子核」と「電子」だけを考えればよかった。

 それでは、「原子核」の内部はどうなっているのだろうか? それについては1920年代にはまだ手のつけようがなかった。
 その状況を変えたのが「中性子」(ニュートロン)の発見で、1932年のことである。もともとこの「中性子」は、A・ラザフォードがある講演の中で予言したことがある。彼の弟子であるJ・チャドウィックはずっとそのことを考えてきた。そしてついに見つけたのである!
 「陽子」とほぼ大きさが同じで、電気的に“中性”。 それが「中性子」。
 この「中性子」が新しい世界を切り開いた! (「核分裂」の引き金となるのが、「中性子」である。)
 “核物理学”のはじまりである。つまり「原子核」の内部を、ここから物理学者達は考え始めたのである。

 湯川秀樹がその一人だった。 それを湯川は1932年から、考え始めた。


 イギリスのキャベンディッシュ研究所のフランシス・アストンという男(J・J・トムソンの弟子)が、高い精度で質量分析を可能にした。そういう技術や知識の蓄積から、「原子核」の内部はどうやら整数個の「陽子」(水素の原子核)と「中性子」とによって構成されているようだと判明した。
 たとえば炭素(C)の原子核は、「陽子6個」と「中性子6個」である。

 そこで「謎」がある。
 なぜ、「原子核」内の粒子(陽子や中性子)は、バラバラにならないのだろう?

 それまでに知られているリクツから言えば、当然バラバラにならなければおかしいのである。
 そのリクツとはこうである。

 「陽子」は電気的に“プラス”。
 「中性子」は電気的に“中性”。 
 「中性子」はまあよいとして、核内に、電気的に“プラス”の「陽子」が複数個あるとしたら、“プラス”と“プラス”なのだから、斥力が働いて、両者ははじけ飛ぶはずなのである。 (小学生でも理解できるリクツである。)


 それなのに、実際には「原子核」内の、いくつかある「陽子」(および「中性子」)は原子の中央に集まって収まっている。これは、それまでのリクツからは、説明不能である。  (重力ではあまりにも微弱すぎる。)
 それならば、きっと、「まだ知られていない特別な力」がそこに働いているのだろう。そうとしか考えられない――。
 その未知の「力」を、“核力”と呼んだのである。

 (いま、その力は、“強い力”と呼ばれている。 というのは、同じ核内でもう一つ別の力“弱い力”を1934年にエンリコ・フェルミが見つけたから。)


 “核力”(=“強い力”)とはどのような力だろう…?

 その「謎」に挑み、具体的に「こうである!」と切り込んだ世界最初の論文――それが、湯川秀樹のいわゆる『中間子理論』である。 その英文の論文は1935年に発表された。 
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする