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相横歩 森内vs石飛  あの歴史的一戦!

2013年06月18日 | 横歩取りスタディ

初手より▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩 ▲7八金 △3二金
▲2四歩 △同歩 ▲同飛 △8六歩 ▲同歩 △同飛 ▲3四飛 △8八角成
▲同銀 △7六飛 ▲7七銀 △7四飛 ▲同飛 △同歩 ▲8四歩(上図) △8六歩

 先手が「3四飛」と“横歩”を取って、後手も8八角成、同銀のあと「7六飛」と“横歩”を取る将棋、これが「相横歩取り」という戦型。そのあと7四の地点で飛車交換をして、そこで「4六角」という一番よく指されている手ではなく、「8四歩」としたのが1992年に森内俊之が指した“新手”。
 これは新人王戦の準決勝で、相手は当時の将棋ファンの間では有名人となった石飛英二三段。
なにしろ「三段」という肩書で準決勝に進出(三段はプロ棋士未満、四段からがプロ棋士)、しかもこの前、準々決勝では佐藤康光を撃破したのですから。(佐藤はこの前年にはタイトル戦に登場、谷川王位に挑戦し3―4で惜敗しています。)
 そうして石飛三段の次の相手が森内俊之六段でした。この当時の新人王戦の参加資格は現在と違い、「30歳六段以下、プロデビューから10年以内」のような規定で、ですから森下卓のようなタイトル戦の挑戦経験者もいましたし(竜王戦、棋聖戦)、それどころか屋敷伸之というタイトル獲得経験者(棋聖位2期)も参加していました。郷田真隆もいました。郷田は四段ながらこの年の夏に谷川浩司を破り「王位」に就いています。
 この1992年の時点では、森内俊之にはまだタイトル経験はありませんでしたが、プロ6年目、全棋士参加の棋戦全日本プロトーナメントでの優勝経験があり、新人王戦はすでに2度優勝していました。21年後の今、私たちは「最低でも8期の名人位を獲得する十八世名人」であることを知っているので、森内俊之が、倒すにあたって大きな“難敵”であったことは、いっそうよく判りますね。当時は、森内が将来名人になるかならないかまでは誰にも判らなかったわけですが、「将来の名人候補」とされていましたし、ですから、この新人王戦の優勝候補としても、森下卓、佐藤康光、屋敷伸之らとともに、「森内俊之」の名前が自然と挙げられていたのでした。
 そこでこの準決勝戦のカード「森内‐石飛」戦です。
 石飛三段がもしこれに勝ったら…、どうなるのでしょう。そうなると、「三段が決勝進出」です。

 そういう注目の対局に、石飛英二は「相横歩取り」で挑んだ!!!
 そして森内は「8四歩」という、かつて誰も指したことのない“新手”で返したのでした。

 対して石飛の手は「8六歩」。



▲8六同銀 △3三角
 「相横歩」は、後手が7六飛としなければ現れません。ですから「8四歩森内新手」は、森内さんが、この対局のために用意したものではないでしょう。ずっと前から相横歩になったらこの手を指してみようと考えていたと思われます。
 さあ、この手、「8四歩」はどうでしょうか。

 フトコロでこっそりとあたためていた森内の“秘手”「8四歩」、このねらいは次に8三歩成である。先手の確実な攻めだが、森内は「ここで後手の早い攻めがありますか? なければ8三歩成でこっちが勝ちですよ。」と言っているわけだ。
 8四歩に、8二歩と受けるのは、8三歩成、同歩、8二歩で先手が好調。これはおそらく森内の研究範囲にハマる。

 石飛三段、「8六歩」。

 これを森内は「同銀」と取ります。取らないと、8七歩成~7八角で後手勝ちになる。



▲7七銀 △8五飛 ▲8八角
 「8六同銀」に、「3三角」。
 「8六歩~3三角」。 石飛三段のこの対応は、森内新手「8四歩」に対する完璧な対応だった。
 「3三角」に、7七歩なら、2六飛がある。後手の「3三角」は、攻めながら、先手のねらい筋5五角を消している。
 また「3三角」に、7七角はどうか。8八歩、同金、7九飛、6九飛、同飛成、同玉、2六飛で先手いけない。「やられた…」と森内はここでは思ったに違いない。

 森内の「7七銀」に、石飛は「8五飛」。 「8五飛」が厳しかった。



△7五歩 ▲8三歩成 △8七歩 ▲7九角 △8三飛 ▲5六歩 △7六歩
▲6六銀 △6四歩 ▲2五飛

 なんと先手の森内は「8八角」と受けた。歩の利かない先手は、打ちたくはないが、角を打つしか飛車成を防ぐ手がないのだった。(8八飛なら、同飛成、同銀、同角成、同金、7九飛となってこれは後手が良いのだろう。)
 後手の石飛は、完全に森内の「8四歩」を逆手に取って、早くも優位を築いてしまったのだ!
 石飛優勢!


 「8八角」はみじめな角打ちだが、それがしかし、逆に森内の“勝ちへの執念”を感じさせる。簡単には負けないぞ、と。森内はこの後、この角を上手く活用していくのである。
 将棋は「逆転のゲーム」なのだ!



△2二銀 ▲8四歩 △同飛 ▲8五歩 △7四飛 ▲4六角 △6二銀 ▲7五歩 △9四飛 ▲9六歩

 「2五飛」は一見かっこいい手に映るが、後手の6五歩の攻めを受けるためのつらい手である。手持ちにしておきたい飛車を、打たされたのだ。
 「8四歩~8五歩」と後手の飛車先の利きを止めて、森内は「8七金」と歩を払いたかったが、それをよく読んでみると、8六歩、同金、7七歩成で負けになる。



△8八歩成 ▲同金 △6五歩 ▲同飛 △7三桂 ▲3五飛 △6五歩 ▲5五銀 △8五桂 ▲8七金
 森内は「4六角」と8八にさっき打たされた角を活用し、「9六歩」と突いて、後手の飛車の捕獲をみせた。
 後手の石飛三段、「6五歩」から飛車を自由にしておいて、「7三桂~8五桂」と桂馬を活用。



△7七桂成 ▲同桂 △同歩成 ▲同金 △3四歩 ▲2五飛 △5四歩 ▲4五桂
 「8五桂」は、7七歩成のねらいもあるが、まず、後手の第一のねらいは(3四歩、2五飛としておいて)“5四歩”。 しかし「8五桂」の前に5四歩とすれば、その瞬間9五歩で飛車の逃げ場所がない。だから「8五桂」と先手の歩を払っておいて、次に“5四歩”とするつもりなのだ。5四歩に、6四銀と逃げると、8八角成で金が取れる。前に8八歩成、同金とした効果である。
 森内の「8七金」は、その金取りを避けつつ、7六金を次のねらいとした手。
 そこで、石飛は「7七桂成」から桂馬を交換して、ねらいの「5四歩」。



△4二角 ▲5四銀 △同飛 ▲9一角成 △5六飛 ▲5八歩 △5七歩
 石飛の「5四歩」に、森内は「4五桂」。
 一気に“寄せ合いの終盤”になだれ込む。



▲5七同歩 △同飛成 ▲5八金 △6八銀 ▲4九玉 △7五角 ▲4六馬
 「5七同歩、同飛成」に、5八歩(香)では6八銀で一手詰。森内は「5八金」。「6八銀」に、4九玉」でなんとか逃げる。
 「7五角」には、「4六馬」と馬を引き付ける。

 ほとんどもう、後手の勝ち。しかし終盤は“何が起こるかわからない”のが将棋の最大の魅力。
 それにしても、もしこれが現在のようにネットでリアルタイムで中継されていたなら、相当に盛り上がったでしょうね。「おい、石飛がほんとうに勝っちゃうのかよ!」、「イシトビ、つええー!!」、てな感じで。



△5六桂 ▲5七金 △同銀不成 ▲2四馬 △4一玉 ▲3八玉 △2三歩
▲3四馬 △4八銀成 ▲2七玉 △3九成銀 ▲4四香
 「5六桂」は、“緩(ゆる)んだ手”。 4六同竜、同歩、7七銀成のほうがわかりやすかった。



△4二銀 ▲8三飛 △7三歩 ▲8一飛成 △7一金 ▲9一龍 △8一金打
 「4四香」で、森内にも楽しみがある局面になった。
 しかし、後手はがっちり「4二銀」。



▲7二歩 △9一金 ▲7一歩成 △2九成銀 ▲6一と △3三銀左 ▲同桂不成 △同金
▲5二銀 △同玉 ▲6二と △同玉 ▲6五飛
 ここを凌げば後手の勝ちになる。
 先手森内、“最後の攻め”。



△6四歩 ▲4五馬 △2五飛 ▲3六玉 △4五飛 ▲同飛 △2四桂
▲2七玉 △6三角
 「6五飛」に、石飛は、冷静に「6四歩」。 
 「4五馬」には、「2五飛」。 王手で先手の攻めを消す。


投了図
まで122手で後手石飛英二の勝ち
 最後は「6三角」。 飛車のナナメ串刺しで勝利を決めた。

 
 石飛英二三段の、史上初の三段奨励会員の「新人王戦決勝(三番勝負)」への登場がこれで決まったのでした。
 あの森内俊之を相手に、見事な内容の将棋でしたね。


 “森内の秘手”の「8四歩」に、「8六歩、同銀、3三角」が完璧な返し技でした。


 ・過去記事 『新人王をめざせ!



 さて、もう一局、「相横歩取り」の棋譜を見ていきます。

内藤国雄‐塚田正夫 1959年
 「相横歩取り」がプロ公式戦に初登場したのは1955年の「松田茂行‐花村元司戦」。
 それからしばらく経って1959年に「内藤国雄‐塚田正夫戦」で「相横歩取り」が登場、これが2号局です。すぐに3号局が現れ、それが「高島一岐代‐丸田祐三戦」。
 この1959年に、実質的に「相横歩取り」が棋士たちの研究対象となり始めたようです。

 その1959年の、「奨励会」で指された「中原誠‐安恵照剛戦」を以下に紹介します。


中原誠‐安恵照剛 1959年
 これは奨励会での対局ですから、正式にはプロ公式戦ではありません。中原誠、安恵照剛、ともに奨励会二級です。中原誠は12歳、安恵照剛は18歳。同じ高柳敏夫門下の兄弟弟子対決。

 さて、この将棋を紹介したのは、図の23手目「3八金」について考えたいからです。

相横歩取り 22手目まで
 
 なんどもこのブログでは述べているように、この手では(1)4六角が定跡手。他に(2)8二歩(同銀、5五角と続く)、(3)8三飛があり、これらも有力な手。そして(4)2八歩、(5)7九金がともに郷田真隆によって指された“新手”で、しかしこれはどちらも“返し技”があって、後手良しになる。(→前回記事参照) (6)8四歩が、“森内俊之新手”だが、これもやはり“返し技”が決まって後手良しとなるのは、上に記した通り。

 さあそれで(7)3八金はどうなのでしょう? これは先手の中原誠の指した手です。
 ここで4六角と打つのが現代ではふつうに知られているために、「3八金」はほとんど見ない手になっていますが、冷静に眺めれば、ここで「3八金」とするのはごく自然な手に思えます。さすが“中原自然流”(笑)ですね。
 (1)4六角はすぐに攻めて良くしようとする手、一方(7)3八金は、まずスキをなくしてもうちょっとゆっくり行こう、という手。(1)4六角からは“乱戦”になって、これはもしかすると「後手の望むところ」かもしれないので、先手としては、後手のその思惑をはずして、「3八金」もありなのではないか。


 「3八金」以下は、7二金、8七歩、5二玉、5八玉、8二銀、9六歩、7三銀、9五歩、7五歩、が実戦の進行。



 安恵照剛(やすえてるたか)さんはこの当時、この「横歩取り」をよく研究していて指していたという。この対局まで、奨励会で中原さんは3連勝、安恵さんは4連勝だったそうです。
 やはり飛車を持っているので先手は9筋を伸ばしていくんですね。まあ同じように後手からも1筋の端のねらいがあるのですが。

 中原さんはここで9四歩、同歩、9二歩、同香、9一飛と行くつもりでした。でも安恵さんの指した「7五歩」を見て気が変わって別の手を指したのですが、9筋のその攻めも有効だったようです。9一飛以下、8二金、7四歩、6四銀、7一角、7二飛、8二角成、同飛、7一金。これは先手が良さそうです。
参考図

 実戦は、6六銀、1四歩、5五角と進みます。




 5五角は好手だった。(結果的に、その前の安恵の1四歩が緩手で、2二銀と指すべきところだった。)
 5五角に、後手が2二歩と香取りを防いでも、7三角成、同桂、8一飛があって、後手は防戦一方となる。それなら守ってもしかたがない。ということで、5五角に、後手安恵は8八歩。

 8八歩、8六飛、8二飛。



 
 7四歩、6四銀、8二飛成、同金、8六飛、8三角。



 8三角と受けるしかないのでは、先手優勢は明らか。
 でも、面白いですね。上で紹介した「森内俊之‐石飛英二戦」と先後逆の、似たような飛車打ちと角の受けが出ました。その将棋では「苦しい角」を打たされた森内さんがそのまま押し切られて負けましたが、この将棋はさて、どうなるのでしょうか。
 
 1一角成、8九歩成、8五香、7四角、8二香成、8五歩、9六飛、2八歩、8四金、4六桂。



 先手は駒得をして、優勢です。
 しかし、先手の飛車は9六飛と活躍を封じられ、後手の方は飛車を手持ちにしていますから、思ったよりずっと油断のならない局面なんですね。
 4六桂は、安恵さんの逆転の期待をこめた一手。

 4六同歩、3八角成、同銀、3九飛、1六角、3四歩、4九銀。



 この1六角~4九銀が素晴らしい受けで、やはり先手良しのまま。
 飛車を手持ちにされている間は、それをいつどこに使われるか細心に用心しなければならないが、実際に打たれた後では、その動きを封じることができるならば、むしろ打たれた方がラクになる。「飛車を打たれる恐怖」がなくなるので。

 2九飛成、2四桂、5四桂、5五銀、同銀、3二桂成。

 5五銀、同銀に、ふつうは同馬と銀を取るだろう。そこを中原は、銀取りの味を残しておいて3二桂成。強い人ならではの複雑な手の運びだが、ここは素直に5五同馬が正着だった。



 4六桂、6八玉、3二銀、5五馬、8六桂。
 どうせ5五の銀は取れる。それならば、4六桂とされても6八玉と逃げておけば、4六桂も質駒になる――という中原の読み。
 しかし、その中原の読みを上回る手が、安恵から放たれた。8六桂。



 この「8六桂」は先手の飛車の横利きを止める意味があって、8六同歩なら、5九銀が飛んでくる。5九銀は同玉とは取れないので(5八金の一手詰)、逃げるのだが、6九玉と逃げて、以下、4九竜、同角、5八銀、同角、同桂成、同玉、4八金、6九玉、5八角。詰みである。(参考図)
参考図
 もしも「8六桂、同歩」が入っていなかったら、5九銀には、7七玉と逃げて、飛車の横利きがあって詰みはないのだ。それが「8六桂」の意味。
 安恵は、狙っていたのだ!

 4六馬、7八桂成、5八玉、3九金、4八銀、3八金、4七玉、4八金、同玉、5八銀。



 5八銀は華麗な捨て駒。
 5八同玉、3八銀と、安恵は中原玉をしばる。中原は5六歩として玉の脱出をするが――。


投了図
 安恵の勝ちとなった。

 後に「桂使いの中原」と呼ばれた男が、逆に桂馬の一撃によって逆転された一局。(『中原の、桂!』)


 名人になった後、中原さんは奨励会時代のこの一局をこう振り返っています。
 「この敗戦は、私にとって非常にショックで、それ以後よく研究するようになった。」

 今調べてみて気づいたのですが、安恵照剛さんの四段昇進(プロ棋士デビュー)は、この対局時から12年後、1971年。30歳の時です。苦労人なんですねえ。この年に中原誠のほうはA級棋士となっており、翌'72年には大山康晴に勝って名人位に就きます。(人生はドラマチックですなあ…。) 
 安恵さんは現在は引退されていますが、現役の弟子に、日浦市郎、佐藤伸哉がいます。


 さて、この54年前の奨励会の対局で中原誠が指した「相横歩取り」の23手目「3八金」、いけるような気がしますね。
 なお、この手をプロの公式戦で指した人はまだいないようです。


 ・過去記事『9六歩型相横歩の研究(1)』 「安恵照剛-羽生善治 1992年」の相横歩取り戦の棋譜を採りあげています。



先手:森内俊之
後手:石飛英二
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △8八角成 ▲同 銀 △7六飛
▲7七銀 △7四飛 ▲同 飛 △同 歩 ▲8四歩 △8六歩
▲同 銀 △3三角 ▲7七銀 △8五飛 ▲8八角 △7五歩
▲8三歩成 △8七歩 ▲7九角 △8三飛 ▲5六歩 △7六歩
▲6六銀 △6四歩 ▲2五飛 △2二銀 ▲8四歩 △同 飛
▲8五歩 △7四飛 ▲4六角 △6二銀 ▲7五歩 △9四飛
▲9六歩 △8八歩成 ▲同 金 △6五歩 ▲同 飛 △7三桂
▲3五飛 △6五歩 ▲5五銀 △8五桂 ▲8七金 △7七桂成
▲同 桂 △同歩成 ▲同 金 △3四歩 ▲2五飛 △5四歩
▲4五桂 △4二角 ▲5四銀 △同 飛 ▲9一角成 △5六飛
▲5八歩 △5七歩 ▲同 歩 △同飛成 ▲5八金 △6八銀
▲4九玉 △7五角 ▲4六馬 △5六桂 ▲5七金 △同銀不成
▲2四馬 △4一玉 ▲3八玉 △2三歩 ▲3四馬 △4八銀成
▲2七玉 △3九成銀 ▲4四香 △4二銀 ▲8三飛 △7三歩
▲8一飛成 △7一金 ▲9一龍 △8一金打 ▲7二歩 △9一金
▲7一歩成 △2九成銀 ▲6一と △3三銀左 ▲同桂不成 △同 金
▲5二銀 △同 玉 ▲6二と △同 玉 ▲6五飛 △6四歩
▲4五馬 △2五飛 ▲3六玉 △4五飛 ▲同 飛 △2四桂
▲2七玉 △6三角
まで122手で後手の勝ち

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