はんどろやノート

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“佐瀬流”vs郷田新手2四飛

2013年03月07日 | 横歩取りスタディ
 郷田真隆著『指して楽しい横歩取り』、2002年、フローラル出版社発行。


 先日のA級順位戦の最終戦の「渡辺明‐郷田真隆戦」の郷田さんの矢倉後手番の“シノギ”は凄かったですね。あれを勝ちに持っていくとは…、だれがあの将棋で郷田勝ちを想像できたでしょうか。
 今郷田さんは「棋王」です。その棋王位の座をかけて挑戦者の渡辺明と五番勝負を闘っている最中ですね。いま1勝1敗ですが、どうなりますか。
 
 写真のこの本には「郷田真隆 棋聖」と肩書があるんですが、2002年のこの時は棋聖だったんですね、郷田さん。


 「横歩取り“佐瀬流”8二飛戦法」の棋譜並べ。今日は次の2つ。
  (1)加藤一二三‐丸田祐三 1956年
  (2)郷田真隆‐田丸昇  1991年

加藤一二三‐丸田祐三 1956年
 戦後、佐瀬勇次が指し始めた「横歩取り8二飛戦法」。丸田祐三が採用した。
 先手の加藤一二三は1940年1月1日生まれ、この対局時は16歳。加藤さんのプロデビューはその2年前。
 天才少年とたたかう37歳の丸田祐三。
 このお二人、いまもお元気のようです。


 8二飛には、8三歩、5二飛、8四飛が最も多い対応。しかしこの場合、後手の丸田が新工夫を見せた。8三歩に、「4二飛」がその工夫。


 丸田、3三角~4三飛~4二角と面白い駒組み。これはかっこいい!

 
 加藤一二三は2六飛とまわる。対して後手は2二歩と受けた。手堅いが、ここは2二銀ではいけないのだろうか。
 先手加藤の7七銀~5六歩の構想、これに僕は大変感心しました。「銀使い」の加藤ですしね。


 後手丸田、3三飛~6四角~3五飛。
 ここから戦いになります。3六歩、3四飛、3七銀、4五歩、5五歩、同歩、3五歩、同飛、5五銀、7五角、4四銀。


 先手が指しやすいように見えますね。
 後手丸田祐三ここで8七歩。加藤、7七角。そういえば丸田さんは「小太刀の名手」と呼ばれていたようですね。
 以下、5七角成、3五銀、同馬。


 ここで加藤、2二角成。2六馬なら、3二馬。こうなった時、後手の7筋の金銀が壁になっているのが致命的。
 2二角成に、5八歩、4八玉。

投了図
 ここで丸田、投了。

 加藤一二三の、2六飛~7七銀~5六歩~6六銀の構想が素晴らしい対応でした。


 この将棋は1956年の対局(王将戦の予選)ですが、これを最後に横歩取りの“佐瀬流”(8二飛戦法)は、トッププロの将棋から姿を消します。
 なぜでしょうか。
 「8二飛」の“佐瀬流”に対して、8三歩~8四飛となって、それですぐに後手が悪くなるわけでもない。しかしどうも、その後の後手の模様の取り方がむつかしいのかと思います。玉の囲いが難しい、先手にとって警戒すべき後手からの早い攻め筋があるわけでもない、後手は一歩損――どうもいい条件がない。
 そういうことかと思われます。


木川貴一‐大友昇 1957年
 翌年、大友昇がこのような将棋を指しています。そう、今では“内藤流”などと呼ばれている「横歩取り3三角戦法」です。加藤治郎氏の著書では、この「横歩取り3三角戦法」を最初に指したのは梶一郎ということになっていますが、その棋譜は見つかりません。この「横歩取り3三角」は、しかし、歴史を紐解けばもっと古く、18世紀(江戸時代)からあります。
 大友昇は、郷田真隆、森けい二の師匠。

中原誠‐内藤国雄 1969年 棋聖戦2
 ということで、佐瀬勇次の「横歩取り8二飛」をきっかけに、先手の2四歩、同歩、同飛に、8六歩、同歩、同飛の定跡が見直され、その「佐瀬流8二飛」が指されなくなった後、「3三角」が地味ながらも時折1960年代に指されていたわけです。
 そうして、1969年12月の棋聖戦五番勝負第2局で“空中戦法”として、「横歩取り3三角戦法」が一気に広く認知されるに至るのでした。
 さて、この図はその中原‐内藤戦の仕掛け前の局面。この図のように、先手中原が「3六歩」と突いたのがポイントで、この手を指すと、後手からの8六歩からの攻め(同歩、同飛で、次に7六飛と“横歩”が取れる)があり、実際に後手内藤さんがそう指してこの仕掛けが「横歩取り空中戦法の定跡」となっていくのですが、つまり先手の中原棋聖が「3六歩」と指したのが“空中戦法を誕生させた”ともいえるのです。この歩突きの前の局面はいくつか先例があり、この「3六歩」が、“中原新手”なのです。
 ここを突くと後手からの攻めがある、そのチャンスを後手は待っているわけです。

 “佐瀬流”の「8二飛」がすたれて、「3三角」が今では盛んに指されているその違いの、その理由がここにあります。“佐瀬流”の場合は、5二飛とか、4二飛の下段飛車になるのですが、その後の攻めがそれほどはっきりしない。
 ところが「3三角戦法」の場合は、先手が「3六歩」と攻めの手を見せれば、その瞬間にスキができるので後手からの8六歩からの“横歩取り”の狙いが生じて、この場合、まだ先手は攻めの準備ができておらず、それで後手は先に動いて主導権を握れるというわけです。先手はだから「3六歩」が突きにくいが、ここを突かないと先手の攻めも組み立てが難しい。そこが後手の「横歩取らせ3三角戦法」の狙いなのです。
 今でも、「横歩取り3三角戦法」の将棋は、基本的に先手がどのタイミングで「3六歩」を突くか、それが焦点となっています。


 ということで、1950年代にトッププロ棋士にも採用された「8二飛戦法」は、「3三角戦法」の有効性を発見するまでの道案内のような役割を歴史的には果たしたかと、僕は考えます。
 それでも、1990年代に一つだけ、「8二飛」の棋譜を見つけましたので、次にそれを見ていきましょう。「郷田真隆‐田丸昇戦」です。


郷田真隆‐田丸昇 1991年
 田丸昇が“佐瀬流8二飛”を現代によみがえらせた。
 先手郷田真隆はどう対応したか。(この時、郷田はプロ2年目の19歳)


 郷田真隆、「2四飛」。 これは過去に指した人がいない。 
 なので“郷田新手”ですが、これはさすがに格調高い。堂々とした手です。
 郷田さんにはこういう堂々とした手が多いので、最近は郷田真隆が指せばなんでも「格調高い」と言うのがちょっとしたギャグにもなっていますが、この手などは冗談でなく、たしかに、格調高いですね。
 というのは、先手の飛車は2筋で使うのが本筋ですし、しかし2四飛には、後手からの8八角成、同銀、3三角の心配があり、それに自信がないと指せない手だからです。(8八角成、同銀、3三角には、2一飛成で先手良し、でしょうか? いちおうそういうことだと思いますが、単純ではない。2一飛成、8八角成、同金、同飛成、3一竜、4一金などの変化を読み切らないといけない。)

 ただ、この8八角成、同銀、3三角の変化は、次の参考図で先手から2二角成~7七角の変化と類似。
参考図 
 この局面での2二角成~7七角は後手良しとされていますから、郷田‐田丸戦での「2四飛」の局面でもその攻め筋はなさそうには思えます。しかし、この場合は参考図と違って「横歩を取っている」という違いがありますのでまったく同じではありません。
 

 とうことで後手の田丸さんは、3四の“横歩”を取られていることを逆用しようと、「3六歩」。 プロらしい応酬です。
 3六歩を同歩なら、角を換えて1五角の王手飛車があります。
 郷田は3八銀。以下、3七歩成、同銀、3六歩、4八銀、8八角成、同銀、2二銀、8七歩、5五角。


 5五角に、郷田は2八歩。 2八歩と受けるしかないのなら、後手もわるくないかなとも見えるのですが…。


 後手がのびのびして見えますが、後手からのこれ以上の厳しい攻めはありません。
 先手郷田はここで、3七歩と歩を合わせます。2五銀に、1八角。


 これが郷田の狙いでした。この角は6三角成を見ています。


 先手、馬をつくりました。


 馬をつくって、「二歩得」。 はっきり先手優勢でしょう。
 先手は4筋に飛車をまわって4五歩。


 先手からの4筋の攻めはとても止められそうもない、ということで後手の田丸さんは8五桂~9四桂と攻め合いにでます。


 落ち着いて受ける郷田。銀を自陣に投入。


 9五銀には9八桂。 後手の攻めを止めれば先手が勝ち。
 田丸、9七桂成、同形、9六銀と攻める。以下、6五歩、2八角成、6四桂。

投了図
 ここから後手、8七銀成、同金、9六銀と食いつきますが、そこで8五桂が郷田の決め手。

投了図
 郷田の勝ち。


 というわけで一応、“郷田新手2四飛”は成功かと思われます。
 しかし、“佐瀬流8二飛”自体が現代では指されることがないので、この郷田新手はあってもなくても影響がなく、まったく知られておりません。

 横歩取り“佐瀬流8二飛”についての棋譜調べは今回でおしまいです。

 

 「横歩取り佐瀬流8二飛戦法」の本ブログ内の記事
  『“横歩取り8二飛戦法”を指してみた
  『創始者はだれなのか “8二飛戦法”
  『“それ”は、戦争中に佐瀬勇次が発見した
  『1955年 プロレスごっこ、将棋、李承晩ライン
  『“佐瀬流”vs郷田新手2四飛』(本記事)



 さて、郷田さんの「棋聖位」の話などをを最後にもう少し。
 郷田真隆は2001年夏に3―2で羽生善治から「棋聖位」を奪取して、復位となったのですが、その将棋を見てみます。

 郷田真隆‐羽生善治 2001年 棋聖戦5
 これは第5局の終盤ですが、この図を見てもすでにこれがどんな戦型だったか判りませんね。これは後手羽生棋聖の「横歩取り中座流(8五飛戦法)」でした。この五番勝負、そのうちの3局がこの「横歩取り中座流」となっています。
 図で3四桂が先手郷田の予定でした。以下3四同銀、同馬で先手勝ち、と郷田は読んでこの局面にしたのですが、とっさに、それは4六桂から先手玉が詰まされる、と気づいた! 予定変更で、郷田挑戦者、6七玉。
 しかし後手羽生棋聖の5七歩がきびしい。郷田は4九銀と受ける。他に受けがない。ここで郷田1分将棋に。羽生も残り2分。

 羽生、7四銀と先手の玉を上下から包む。
 しかし郷田に2一金と捨てる手があった。同玉に、8三馬~7四馬で羽生の打った銀を消す。
 この後も羽生にもチャンスがありましたが、郷田が羽生玉を仕留めて、棋聖位に復位しました。165手の激闘でした。



 翌2002年の棋聖戦は挑戦者に佐藤康光を迎えました。これもまた2―2で最終局第5局に棋聖位のゆくえは持ち込まれました。その第5局の戦型は「角換わり相腰掛銀」の戦型に。
 後手番の郷田真隆が新手(新構想)を披露しました。
佐藤康光‐郷田真隆 2002年 棋聖戦5
 いったいどこが新しいのか? この形で「7四歩」と突いているのが新しいのです。
この歩を突くのは“勇気がいる”のでした。
 というのは、この図から4八飛~2五桂~2八角という構想が先手にはあって、「7四歩」と突いてしまってはその構想で後手つぶれ、がそれまでのこの局面の評価なのでした。
 郷田はどうやってそれに対応するつもりでいるのか。プロも注目の郷田の指し手でした。
 この図から、4八飛、4二金右、8八玉、2二玉、2五桂、2四銀、2八角、7五歩、同歩、8四飛。

 これが郷田真隆が用意していた指し方でした。
 2八角に「7五歩」、そして同歩に、「8四飛」。
 郷田以前にはだれも思いつかなかった指し方です。
 この将棋は、ここから4五歩、同歩、同銀、同銀、同飛、7六歩、5五角、3三銀と力の籠った応酬が展開され、勝負は佐藤康光の勝ちとなりました。
 郷田さんは「棋聖位」をここで失いましたが、この「角換わり相腰掛銀」における“郷田流新構想”は燦然と今も輝いています。

 この将棋は進化して、今では後手の7五歩を同歩とは取らず、4五歩とし、以下、7六歩、同銀、4五歩、6四角、7三歩、7四歩、6二飛、2八角、6六飛とすすむのが最新定跡です。

 今、「角換わり相腰掛銀」の将棋は、「先後同型」の形が“先手良し”に傾く変化が多いことから、後手番の指し方が狭くなっていて、苦労しています。その状況の中で、後手がこの“郷田流”を有力とみて選ぶことになるのです。
 特に昨年はこの形がよく現れました。中でも「名人戦」では2度、現れています。
羽生善治‐森内俊之 名人戦6
 昨年の名人戦第6局。これで勝てば名人位防衛が決まる、という対局で、森内俊之名人は先手羽生善治に対して、その“郷田流”。この名人戦では第2局でも同じこの形になり、その将棋は先手で羽生さんが勝っています。
 図の「2六角」が森内俊之の新手。この新手が良いかどうかはあやしいようですが、この勝負を勝って、森内さんが名人位を防衛しました。 
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