写真の人物は『将棋世界』に載っていた深浦康市さん。1996年王位戦の第1局のもので、撮影者は中野英伴氏。この対局姿を見せて婚約者の両親を惚れさせたというのも、なるほどと思いますね。その話は第4局の佐賀県での対局のようですが。
深浦康市はこの時24歳。花村元司門下、長崎県佐世保市出身。
今日は次の4つの将棋棋譜を鑑賞します。
〔1〕林葉直子-佐藤秀司 1991年 新人王戦トーナメント1回戦
〔2〕深浦康市-羽生善治 1996年 王位戦第1局
〔3〕安恵照剛-加藤一二三 1978年
〔4〕安恵照剛-米長邦雄 1981年
これらは4つともに“初手9六歩”の棋譜です。
初手に「9六歩」とプロが指すのは、そう多くはありませんが時にあります。その手の意味はそれぞれいろいろあるでしょうが、筆者が考えるところ、3つのケースに分類されます。
まず第一、先手が振り飛車党で、相手にも振り飛車の可能性があり、相振飛車を警戒するなどの意味での、いきなりの手渡し。(また、一手パスをして、先手が本来は後手の戦法である「ゴキゲン中飛車」をやろうとする場合もある。) 相手が振るなら自分は振りたくないとか、逆に、相手が振るのを確認した上でこちらも振って「相振飛車」の戦型に持ち込む作戦の場合もあるだろう。よくあるケースは「初手から7六歩、3四歩、9六歩」だけれども、それをいきなり「9六歩」と様子を見るという場合。
第二に、自分も相手も居飛車党で、研究して、相掛かりで「9六歩」が有効手とみている場合。この場合、「ひねり飛車」をめざしていることが多い。「ひねり飛車」では、いずれ必ず「9六歩」が必要となるから、それを先に突いておこうという作戦。あるいは「9六歩型相横歩取り」も考えられる作戦です。
第三は、これから見ていくケースですが、「9七角型中飛車」で戦う作戦です。今日の棋譜では〔1〕〔2〕がそれになります。
そして〔3〕〔4〕は、先手が安恵照剛さんの棋譜ですが、これが第2のケースに属するものです。
さて、まず「9七角型中飛車」ですが、これは後手がやる場合もあり、その場合は「1三角型中飛車」になるわけです。特徴は、(先手で言えば)“7六歩とはしない”というところです。つまり“角道は開けない”。
この戦法、プロではほとんど見ない。けれどもアマチュア将棋ではよく見る戦法です。インターネットの将棋でも、深夜になると出てくる戦法というイメージを僕は持っています。そこそこ優秀な戦法なので、これを相手にする場合、それなりに経験と慎重さが要求されます。こういう戦法に負けると悔しさが増量するので、しっかり勝ちましょう(笑)。
プロでは見ないと書いたけれど、実際にはないことはない。その希少な棋譜がこれから紹介する2つの棋譜なのです。
では、それを見ていきいましょう。
〔1〕林葉直子-佐藤秀司 1991年 新人王戦トーナメント1回戦
あの石飛英二三段が佐藤康光、森内俊之を撃破して決勝進出した1992年度の新人王戦の1回戦の対戦です。
林葉直子、初手9六歩!
で、こうなりました。この将棋がおそらくプロ公式戦初登場の「端角中飛車」になると思います。林葉直子さんが最初にやった。
これは後手も「5四歩」と歩を突いているケース。(突かないケースも考えられる。)
林葉さんのねらいはまず5筋の攻撃ですから、佐藤さんは早めに玉を3二に移動させました。
図から5三銀、2六歩、とすすみます。2六歩は、林葉さんらしい、ちょっとぶっ飛んだ感じの手ですね。
しかしこの手では、4五銀と出る手が有効でした。3三玉なら、7六歩、4四歩となって、林葉さんはそれで手が続かないと読んだのですが、どうやら5五歩、同歩、同角とすれば先手良しになっていた。
佐藤秀司四段も、内心では「まいったな~、失敗したなあ」と思っていたみたいなんです。
相手がプロでも、見慣れていない将棋なので、こういうチャンスが生まれる可能性がある、だから“侮ってはいけない戦法”なんですね、この「端角中飛車」。あ、いや、まだ先手角は端(9七)に覗いてはいませんでしたね。
2六歩は、林葉さんは基本振り飛車党なので、より珍妙な手に見えます。
2六歩に、4四銀として、佐藤はホッとした。
ここで「9七角」として、やっと「端角中飛車」になりました。
先手の林葉さん、“ダブル棒銀”です。佐藤陣の角と二枚の銀も妙な形。
こうして見ると林葉さんの2六歩~2五歩は、2筋から棒銀でいくぞと見せて佐藤に3三銀と上がらせるのがねらいだったかもしれませんね。これで後手の5五への角の利きが止まっている。
3筋と5筋から開戦しました。7七桂で後手の飛車を追います。
先手の角は、9七→7五→6六と移動してきたものです。
飛車を追ってから、3五銀、同銀、同銀、3四歩に、5五角と出る。
ここは4六銀と引いてそれで先手もまずまずというところでしたが、林葉さんは過激に5五角と行きました。銀取りを放置です!
それじゃあと、後手佐藤秀、3五歩と銀を取る。
5三歩、4二金のあと、林葉、6四角。
佐藤秀、6六歩。
「6六歩」が急所だった! (同歩なら、6七歩でしょうか。8九銀かも。)
林葉さんは、6四角で後手の指し方が難しいと思っていたようです。たとえば6二銀と桂取りを防ぐ手には、7一銀があるので。
「6六歩」は参考になる手ですね。こういう手を一度見ておくと、アマチュアでも指せるようになる。
7三角成、6七歩成、同金、8七飛成、8八銀。飛車を逃げずに、6六歩。
6六同金に、3四銀。(これで2二角が働く形になったのが大きい。)
5二歩成、同金上、5五歩(角の利きを止めた)、そこで5七銀。これが“決め手”となった。
8七銀(飛車をとる)、6六銀成、6四桂、6八歩。
6八同玉、6七銀以下――
投了図
後手佐藤秀司の勝ち。
佐藤さんの“光速の寄せ”でした。
佐藤秀司はこの後この棋戦、「新人王戦」のトーナメントを勝ち進み、そして決勝三番勝負に登場となりました。棋士にとって「番勝負」は、注目の集まる“晴れの舞台”です。
決勝の相手は石飛英二三段でした。佐藤にとってくやしいことに、石飛三段にばかり注目が集まりました。
(前回記事『相横歩 森内vs石飛 あの歴史的一戦!』)
そして佐藤に敗れた林葉直子。1981年以来、女流トップに、一部の一般棋戦でとくべつに参加資格が与えられましたが、1991年のこの段階でも女流プロはいまだ未勝利のままなのでした。
〔2〕深浦康市-羽生善治 1996年 王位戦第1局
“初手9六歩”からの、「端角(9七角)中飛車」がついにタイトル戦に現れました!!!
1996年夏、羽生善治七冠王に挑戦した、これがタイトル戦初登場となった深浦康市が“それ”を指したのです。しかも七番勝負の「第1局」で!
「9六歩は、先手ならこう指すつもりでした。7七歩の形は堅いんです。それを生かす指し方はないかということで、7六歩は突かない方針でした」と、深浦さん。
今の「ゴキゲン中飛車」のように、5四歩。
後手の羽生七冠王、深浦のその手に乗って、銀を進出させます。
同じ「9七角型中飛車」でも、振飛車党の林葉直子が居飛車党のような感覚で左に玉を囲い、居飛車党の深浦康市は振飛車党のように右に玉を囲ったというのも、面白い。この将棋では深浦さんは基本、左の金を7八には上がらず戦うことを考えていたと思います。
飛車を浮いて、ここで4六歩。
これはちょっと驚きますねえ。あとで振り返って深浦さんは、玉を囲ってからのほうがよかったと反省していますが、でも、そんなこと判っていて行ったんでしょう。闘争心が、行け、行け、と。若さですね。
5四銀、4五歩、同銀、9六飛、8五歩、4六銀。
ここで4六同銀なら、同飛、8六歩、同飛(同角は8八歩で後手良し)、同飛、同角。こうなったとき銀を手持ちになっているので、△8八飛には、▲7八銀があって、先手陣にはスキがない。
だから後手は5四銀と引く。以下、5八金左、8六歩、同飛、同飛、同角、8八飛、9七桂、5六歩、4八歩、1四歩、5五歩、4三銀、4五銀、1三角、5四歩。
居飛車も“端”に角を覗く。
先手「4八歩」が受けの好手で、ここでは“いい勝負”のようだ。
6四銀、5六銀とすすみます。
ここで深浦は▲5五銀としたのだが、これで形勢をそこねた。
5五銀は、同銀なら、4二角成から寄せるねらいだが、当然そうはならない。
羽生は8六竜、同飛成として、先手の攻めを遅らせる。そして5五銀と銀を取る。これで先手の銀損になった。
5五銀では、かわりに6六歩が粘りのある手で羽生はこれを容易ならぬと考えていた。6六歩に同竜は、6五歩である。以下、7五銀、同角、同竜、5三銀で、これは勝負形。
深浦は図の7五飛と打って、これが「馬と銀との両取り」で、それを後手が防ぐのなら「8八角」しかないが、それなら先手が勝てそうだ、と見ていたようだ。そこをちょっと甘く考えていた。実際に「8八角」と打たれてみると、思った以上に大変だ。
羽生の“慎重な読み”と、深浦の“甘い読み”とが勝負を分けたようだ。
先手は二枚竜とと金の攻め。後手は桂馬を二枚、設置した。
先手の攻めは強力で、後手はこれを防ぎようがないが、5一と~4一ととなってもまだ王手にならないので、後手には「二手」の余裕がある。羽生は盤上の二枚の馬を華麗に使う。
5一と、2七桂成、同銀、同桂成、同玉、2六銀、同玉、5三馬、2七玉、7一馬、同竜、3五馬、4一と、2六飛。
一気に決まった。2六飛以下、3八玉、2七金、4九玉、7一馬となって、深浦投了。後手羽生善治の勝利。
この第1局の後、深浦康市は、『将棋世界』の取材に応じ、羽生七冠王と戦った手ごたえを聞かれると、「強いですね。さすがに七冠王だけのことはあると思いました。でも、前から思っていましたが、そんなに差はないと思うので…」
そして「楽しかったですね」とも言っています。
以下に、この1996年の王位戦のその後の内容をかんたんに記しておきます。
◇王位戦第2局◇
第2局は後手深浦の「角換わり棒銀」。棒銀の後手が9五歩、同歩、同銀と攻めていく形。よくみる展開になったが、図から5七飛成に、「5八飛」が羽生の用意していた新手。従来の実戦例は5八歩だった。
5七飛成、5八飛、5四香、5七飛、同香成、5八歩、9九飛、5七歩、8九飛成、7九飛、同竜、同金とすすむ。以下、さらに9九飛、8九飛、同飛成、同金、8八歩のような攻防が続いたが、羽生の指し手が冴え、羽生二連勝。
◇王位戦第3局◇
この対局の1週間前に羽生七冠が「六冠」に変わった。棋聖戦で羽生が三浦弘行に敗れたのだった。
図は、王位戦第3局の投了図。泥仕合を制して先手の深浦が勝ってタイトル戦初勝利を上げた。戦型は「横歩取り3三角」。
◇王位戦第4局◇
このシリーズの明暗を分けたと思われるのが第4局。先手羽生の「ひねり飛車」。
控室の評判は「後手の深浦が良さそう」。深浦も手ごたえを感じていた。
図の「2六桂」が羽生の“妖しい手”。この桂馬は次に1五香、同香、1四桂を狙っている。それなら、2六桂と打つ手で、1五香と指すのが早いじゃないか!! それをわざと一手遅らせるような桂打ち。これが好手だったのである。
ここから「互角の終盤」に控室の評価も変わり、結果は羽生の勝ち。
緩急自在の羽生らしい勝ち方だった。
◇王位戦第5局◇
「対居飛車穴熊藤井システム」が姿を現すのはこの1996年の12月。それよりも数か月早いこの対局で、羽生がこのような将棋を指しているのである。
なんでも指しこなす羽生が、「四間飛車」で深浦の「居飛車穴熊」を粉砕。
羽生善治、4―1で「王位」を防衛!!
こうして深浦康市の“初挑戦”は幕を閉じた。
しかし深浦さんとしては、またすぐに挑戦するつもりでいたでしょう。なにしろ深浦さんの勝率は7割を超えていましたから。ところが、高い勝率はずっとキープしていてもそれからずっと深浦康市はタイトル戦に出ることがありませんでした。
やっと再登場したのがなんと11年後の王位戦なのでした。
過去記事
・『桂馬でダッシュ!』 深浦康市が初タイトル獲得
・『臥竜放屁?』 深浦康市が王位防衛
ところで、羽生さんが後手番のときに“初手9六歩”と相手に指されたのは、この深浦戦が2度目でした。1度目は1992年の「安恵正剛-羽生善治戦」で、その将棋はすでに本ブログで記事にしています。
『9六歩型相横歩の研究(1)』
安恵さんが“初手9六歩”として、そこから「相横歩取り」になったのです。
安恵照剛はそれ以前にもこの“初手9六歩”を指されているようです。その将棋を見ていきましょう。
〔3〕安恵照剛-加藤一二三 1978年
先手安恵照剛の“初手9六歩”から「相掛かり」に。
安恵さんは3六飛。これは「タテ歩取り」です。
で、こうなりました。注目は先手の左の金銀。「7八銀型」になっています。
ここで千日手模様となりました。後手は6五銀~5四銀、先手は7六飛~7八飛のくり返し。
先手の安恵が打開しました。7八飛、5四銀に、7七角。
後手の加藤が攻めて好調に見えるのですが、実はそうでもないみたいです。
5六金、9九角成、8四歩、4七香、5八金、6九銀成、8三歩成、5九成銀、同金、7七角打。
7七同桂、同馬、6八歩、8六馬、8二と…、飛車を取りあって――
投了図
安恵照剛の勝ち。安恵さんが38歳の充実期の加藤一二三を倒しました。
この将棋は序盤、「7八銀型」を実現して先手が一本取りました。これができるならこの作戦、ずいぶん有望ですね。
でも残念ながら、そううまくはいきません。後手が3四歩を突かないで、先手が7六歩と突くのを待って、7六歩に、すぐに8六歩から飛車先の歩交換をすれば、先手は7八金とするしかありません。
そこで、「7六歩とは突かないで、9七角」という指し方もあるとは思いますが、たぶんアマチュアではすでにこれを試みた人は何人もいることでしょう。アマの好きそうな作戦です。
参考図
こんな感じ。アマ将棋にはふつうにありそう。
〔4〕安恵照剛-米長邦雄 1981年
米長邦雄に対して、安恵照剛の“初手9六歩”から始まったこの対局はこうなりました。先手の7七角、8八銀、7八玉が妙な形です。
なにかメリットがあるのでしょうか。5九角と引くつもり? いや、最初に「9六歩」と突いていることと関連して考えれば、9七銀なんて手を考えていたのか?
先手にこう組まれると、角の頭が弱そうなので、後手としては右銀をくり出して正面からつぶす――そう考えるのが普通と思うのですが、米長さんは独特の勝負感性を持っている棋士、この後、4二飛として振り飛車にチェンジしました。
米長さんは振り飛車はあまり指さない棋士ですが、この場合はなぜでしょうか。先手の「8八銀」を壁形の悪形にさせるという意味かもしれません。
先手は「矢倉」の陣形になりましたが、後手の8三銀を見て、先手から仕掛けました。後手が次に7二金とすればこれは先手よりも好形になる、しかし今なら先手の方が堅い。
飛車を打ち合って、米長、9四歩。歩をたくさん持ってます。
次は8筋から攻める。
安恵もがんばる。しかしここでは後手が良さそう。先手陣は8筋を押さえられていて狭く、対して後手は広い。後手は金銀2枚の守りだが、8、9筋が広いので、後手の方が玉が安全なのです。
結局序盤で突いた「9五歩」の形がまったく生きていない展開になってしまいました。
7五金と押さえて、これは勝負あった。後手米長邦雄の勝ち。
米長さんが得意の“泥沼”に誘いこんで闘ったような印象。
深浦康市はこの時24歳。花村元司門下、長崎県佐世保市出身。
今日は次の4つの将棋棋譜を鑑賞します。
〔1〕林葉直子-佐藤秀司 1991年 新人王戦トーナメント1回戦
〔2〕深浦康市-羽生善治 1996年 王位戦第1局
〔3〕安恵照剛-加藤一二三 1978年
〔4〕安恵照剛-米長邦雄 1981年
これらは4つともに“初手9六歩”の棋譜です。
初手に「9六歩」とプロが指すのは、そう多くはありませんが時にあります。その手の意味はそれぞれいろいろあるでしょうが、筆者が考えるところ、3つのケースに分類されます。
まず第一、先手が振り飛車党で、相手にも振り飛車の可能性があり、相振飛車を警戒するなどの意味での、いきなりの手渡し。(また、一手パスをして、先手が本来は後手の戦法である「ゴキゲン中飛車」をやろうとする場合もある。) 相手が振るなら自分は振りたくないとか、逆に、相手が振るのを確認した上でこちらも振って「相振飛車」の戦型に持ち込む作戦の場合もあるだろう。よくあるケースは「初手から7六歩、3四歩、9六歩」だけれども、それをいきなり「9六歩」と様子を見るという場合。
第二に、自分も相手も居飛車党で、研究して、相掛かりで「9六歩」が有効手とみている場合。この場合、「ひねり飛車」をめざしていることが多い。「ひねり飛車」では、いずれ必ず「9六歩」が必要となるから、それを先に突いておこうという作戦。あるいは「9六歩型相横歩取り」も考えられる作戦です。
第三は、これから見ていくケースですが、「9七角型中飛車」で戦う作戦です。今日の棋譜では〔1〕〔2〕がそれになります。
そして〔3〕〔4〕は、先手が安恵照剛さんの棋譜ですが、これが第2のケースに属するものです。
さて、まず「9七角型中飛車」ですが、これは後手がやる場合もあり、その場合は「1三角型中飛車」になるわけです。特徴は、(先手で言えば)“7六歩とはしない”というところです。つまり“角道は開けない”。
この戦法、プロではほとんど見ない。けれどもアマチュア将棋ではよく見る戦法です。インターネットの将棋でも、深夜になると出てくる戦法というイメージを僕は持っています。そこそこ優秀な戦法なので、これを相手にする場合、それなりに経験と慎重さが要求されます。こういう戦法に負けると悔しさが増量するので、しっかり勝ちましょう(笑)。
プロでは見ないと書いたけれど、実際にはないことはない。その希少な棋譜がこれから紹介する2つの棋譜なのです。
では、それを見ていきいましょう。
〔1〕林葉直子-佐藤秀司 1991年 新人王戦トーナメント1回戦
あの石飛英二三段が佐藤康光、森内俊之を撃破して決勝進出した1992年度の新人王戦の1回戦の対戦です。
林葉直子、初手9六歩!
で、こうなりました。この将棋がおそらくプロ公式戦初登場の「端角中飛車」になると思います。林葉直子さんが最初にやった。
これは後手も「5四歩」と歩を突いているケース。(突かないケースも考えられる。)
林葉さんのねらいはまず5筋の攻撃ですから、佐藤さんは早めに玉を3二に移動させました。
図から5三銀、2六歩、とすすみます。2六歩は、林葉さんらしい、ちょっとぶっ飛んだ感じの手ですね。
しかしこの手では、4五銀と出る手が有効でした。3三玉なら、7六歩、4四歩となって、林葉さんはそれで手が続かないと読んだのですが、どうやら5五歩、同歩、同角とすれば先手良しになっていた。
佐藤秀司四段も、内心では「まいったな~、失敗したなあ」と思っていたみたいなんです。
相手がプロでも、見慣れていない将棋なので、こういうチャンスが生まれる可能性がある、だから“侮ってはいけない戦法”なんですね、この「端角中飛車」。あ、いや、まだ先手角は端(9七)に覗いてはいませんでしたね。
2六歩は、林葉さんは基本振り飛車党なので、より珍妙な手に見えます。
2六歩に、4四銀として、佐藤はホッとした。
ここで「9七角」として、やっと「端角中飛車」になりました。
先手の林葉さん、“ダブル棒銀”です。佐藤陣の角と二枚の銀も妙な形。
こうして見ると林葉さんの2六歩~2五歩は、2筋から棒銀でいくぞと見せて佐藤に3三銀と上がらせるのがねらいだったかもしれませんね。これで後手の5五への角の利きが止まっている。
3筋と5筋から開戦しました。7七桂で後手の飛車を追います。
先手の角は、9七→7五→6六と移動してきたものです。
飛車を追ってから、3五銀、同銀、同銀、3四歩に、5五角と出る。
ここは4六銀と引いてそれで先手もまずまずというところでしたが、林葉さんは過激に5五角と行きました。銀取りを放置です!
それじゃあと、後手佐藤秀、3五歩と銀を取る。
5三歩、4二金のあと、林葉、6四角。
佐藤秀、6六歩。
「6六歩」が急所だった! (同歩なら、6七歩でしょうか。8九銀かも。)
林葉さんは、6四角で後手の指し方が難しいと思っていたようです。たとえば6二銀と桂取りを防ぐ手には、7一銀があるので。
「6六歩」は参考になる手ですね。こういう手を一度見ておくと、アマチュアでも指せるようになる。
7三角成、6七歩成、同金、8七飛成、8八銀。飛車を逃げずに、6六歩。
6六同金に、3四銀。(これで2二角が働く形になったのが大きい。)
5二歩成、同金上、5五歩(角の利きを止めた)、そこで5七銀。これが“決め手”となった。
8七銀(飛車をとる)、6六銀成、6四桂、6八歩。
6八同玉、6七銀以下――
投了図
後手佐藤秀司の勝ち。
佐藤さんの“光速の寄せ”でした。
佐藤秀司はこの後この棋戦、「新人王戦」のトーナメントを勝ち進み、そして決勝三番勝負に登場となりました。棋士にとって「番勝負」は、注目の集まる“晴れの舞台”です。
決勝の相手は石飛英二三段でした。佐藤にとってくやしいことに、石飛三段にばかり注目が集まりました。
(前回記事『相横歩 森内vs石飛 あの歴史的一戦!』)
そして佐藤に敗れた林葉直子。1981年以来、女流トップに、一部の一般棋戦でとくべつに参加資格が与えられましたが、1991年のこの段階でも女流プロはいまだ未勝利のままなのでした。
〔2〕深浦康市-羽生善治 1996年 王位戦第1局
“初手9六歩”からの、「端角(9七角)中飛車」がついにタイトル戦に現れました!!!
1996年夏、羽生善治七冠王に挑戦した、これがタイトル戦初登場となった深浦康市が“それ”を指したのです。しかも七番勝負の「第1局」で!
「9六歩は、先手ならこう指すつもりでした。7七歩の形は堅いんです。それを生かす指し方はないかということで、7六歩は突かない方針でした」と、深浦さん。
今の「ゴキゲン中飛車」のように、5四歩。
後手の羽生七冠王、深浦のその手に乗って、銀を進出させます。
同じ「9七角型中飛車」でも、振飛車党の林葉直子が居飛車党のような感覚で左に玉を囲い、居飛車党の深浦康市は振飛車党のように右に玉を囲ったというのも、面白い。この将棋では深浦さんは基本、左の金を7八には上がらず戦うことを考えていたと思います。
飛車を浮いて、ここで4六歩。
これはちょっと驚きますねえ。あとで振り返って深浦さんは、玉を囲ってからのほうがよかったと反省していますが、でも、そんなこと判っていて行ったんでしょう。闘争心が、行け、行け、と。若さですね。
5四銀、4五歩、同銀、9六飛、8五歩、4六銀。
ここで4六同銀なら、同飛、8六歩、同飛(同角は8八歩で後手良し)、同飛、同角。こうなったとき銀を手持ちになっているので、△8八飛には、▲7八銀があって、先手陣にはスキがない。
だから後手は5四銀と引く。以下、5八金左、8六歩、同飛、同飛、同角、8八飛、9七桂、5六歩、4八歩、1四歩、5五歩、4三銀、4五銀、1三角、5四歩。
居飛車も“端”に角を覗く。
先手「4八歩」が受けの好手で、ここでは“いい勝負”のようだ。
6四銀、5六銀とすすみます。
ここで深浦は▲5五銀としたのだが、これで形勢をそこねた。
5五銀は、同銀なら、4二角成から寄せるねらいだが、当然そうはならない。
羽生は8六竜、同飛成として、先手の攻めを遅らせる。そして5五銀と銀を取る。これで先手の銀損になった。
5五銀では、かわりに6六歩が粘りのある手で羽生はこれを容易ならぬと考えていた。6六歩に同竜は、6五歩である。以下、7五銀、同角、同竜、5三銀で、これは勝負形。
深浦は図の7五飛と打って、これが「馬と銀との両取り」で、それを後手が防ぐのなら「8八角」しかないが、それなら先手が勝てそうだ、と見ていたようだ。そこをちょっと甘く考えていた。実際に「8八角」と打たれてみると、思った以上に大変だ。
羽生の“慎重な読み”と、深浦の“甘い読み”とが勝負を分けたようだ。
先手は二枚竜とと金の攻め。後手は桂馬を二枚、設置した。
先手の攻めは強力で、後手はこれを防ぎようがないが、5一と~4一ととなってもまだ王手にならないので、後手には「二手」の余裕がある。羽生は盤上の二枚の馬を華麗に使う。
5一と、2七桂成、同銀、同桂成、同玉、2六銀、同玉、5三馬、2七玉、7一馬、同竜、3五馬、4一と、2六飛。
一気に決まった。2六飛以下、3八玉、2七金、4九玉、7一馬となって、深浦投了。後手羽生善治の勝利。
この第1局の後、深浦康市は、『将棋世界』の取材に応じ、羽生七冠王と戦った手ごたえを聞かれると、「強いですね。さすがに七冠王だけのことはあると思いました。でも、前から思っていましたが、そんなに差はないと思うので…」
そして「楽しかったですね」とも言っています。
以下に、この1996年の王位戦のその後の内容をかんたんに記しておきます。
◇王位戦第2局◇
第2局は後手深浦の「角換わり棒銀」。棒銀の後手が9五歩、同歩、同銀と攻めていく形。よくみる展開になったが、図から5七飛成に、「5八飛」が羽生の用意していた新手。従来の実戦例は5八歩だった。
5七飛成、5八飛、5四香、5七飛、同香成、5八歩、9九飛、5七歩、8九飛成、7九飛、同竜、同金とすすむ。以下、さらに9九飛、8九飛、同飛成、同金、8八歩のような攻防が続いたが、羽生の指し手が冴え、羽生二連勝。
◇王位戦第3局◇
この対局の1週間前に羽生七冠が「六冠」に変わった。棋聖戦で羽生が三浦弘行に敗れたのだった。
図は、王位戦第3局の投了図。泥仕合を制して先手の深浦が勝ってタイトル戦初勝利を上げた。戦型は「横歩取り3三角」。
◇王位戦第4局◇
このシリーズの明暗を分けたと思われるのが第4局。先手羽生の「ひねり飛車」。
控室の評判は「後手の深浦が良さそう」。深浦も手ごたえを感じていた。
図の「2六桂」が羽生の“妖しい手”。この桂馬は次に1五香、同香、1四桂を狙っている。それなら、2六桂と打つ手で、1五香と指すのが早いじゃないか!! それをわざと一手遅らせるような桂打ち。これが好手だったのである。
ここから「互角の終盤」に控室の評価も変わり、結果は羽生の勝ち。
緩急自在の羽生らしい勝ち方だった。
◇王位戦第5局◇
「対居飛車穴熊藤井システム」が姿を現すのはこの1996年の12月。それよりも数か月早いこの対局で、羽生がこのような将棋を指しているのである。
なんでも指しこなす羽生が、「四間飛車」で深浦の「居飛車穴熊」を粉砕。
羽生善治、4―1で「王位」を防衛!!
こうして深浦康市の“初挑戦”は幕を閉じた。
しかし深浦さんとしては、またすぐに挑戦するつもりでいたでしょう。なにしろ深浦さんの勝率は7割を超えていましたから。ところが、高い勝率はずっとキープしていてもそれからずっと深浦康市はタイトル戦に出ることがありませんでした。
やっと再登場したのがなんと11年後の王位戦なのでした。
過去記事
・『桂馬でダッシュ!』 深浦康市が初タイトル獲得
・『臥竜放屁?』 深浦康市が王位防衛
ところで、羽生さんが後手番のときに“初手9六歩”と相手に指されたのは、この深浦戦が2度目でした。1度目は1992年の「安恵正剛-羽生善治戦」で、その将棋はすでに本ブログで記事にしています。
『9六歩型相横歩の研究(1)』
安恵さんが“初手9六歩”として、そこから「相横歩取り」になったのです。
安恵照剛はそれ以前にもこの“初手9六歩”を指されているようです。その将棋を見ていきましょう。
〔3〕安恵照剛-加藤一二三 1978年
先手安恵照剛の“初手9六歩”から「相掛かり」に。
安恵さんは3六飛。これは「タテ歩取り」です。
で、こうなりました。注目は先手の左の金銀。「7八銀型」になっています。
ここで千日手模様となりました。後手は6五銀~5四銀、先手は7六飛~7八飛のくり返し。
先手の安恵が打開しました。7八飛、5四銀に、7七角。
後手の加藤が攻めて好調に見えるのですが、実はそうでもないみたいです。
5六金、9九角成、8四歩、4七香、5八金、6九銀成、8三歩成、5九成銀、同金、7七角打。
7七同桂、同馬、6八歩、8六馬、8二と…、飛車を取りあって――
投了図
安恵照剛の勝ち。安恵さんが38歳の充実期の加藤一二三を倒しました。
この将棋は序盤、「7八銀型」を実現して先手が一本取りました。これができるならこの作戦、ずいぶん有望ですね。
でも残念ながら、そううまくはいきません。後手が3四歩を突かないで、先手が7六歩と突くのを待って、7六歩に、すぐに8六歩から飛車先の歩交換をすれば、先手は7八金とするしかありません。
そこで、「7六歩とは突かないで、9七角」という指し方もあるとは思いますが、たぶんアマチュアではすでにこれを試みた人は何人もいることでしょう。アマの好きそうな作戦です。
参考図
こんな感じ。アマ将棋にはふつうにありそう。
〔4〕安恵照剛-米長邦雄 1981年
米長邦雄に対して、安恵照剛の“初手9六歩”から始まったこの対局はこうなりました。先手の7七角、8八銀、7八玉が妙な形です。
なにかメリットがあるのでしょうか。5九角と引くつもり? いや、最初に「9六歩」と突いていることと関連して考えれば、9七銀なんて手を考えていたのか?
先手にこう組まれると、角の頭が弱そうなので、後手としては右銀をくり出して正面からつぶす――そう考えるのが普通と思うのですが、米長さんは独特の勝負感性を持っている棋士、この後、4二飛として振り飛車にチェンジしました。
米長さんは振り飛車はあまり指さない棋士ですが、この場合はなぜでしょうか。先手の「8八銀」を壁形の悪形にさせるという意味かもしれません。
先手は「矢倉」の陣形になりましたが、後手の8三銀を見て、先手から仕掛けました。後手が次に7二金とすればこれは先手よりも好形になる、しかし今なら先手の方が堅い。
飛車を打ち合って、米長、9四歩。歩をたくさん持ってます。
次は8筋から攻める。
安恵もがんばる。しかしここでは後手が良さそう。先手陣は8筋を押さえられていて狭く、対して後手は広い。後手は金銀2枚の守りだが、8、9筋が広いので、後手の方が玉が安全なのです。
結局序盤で突いた「9五歩」の形がまったく生きていない展開になってしまいました。
7五金と押さえて、これは勝負あった。後手米長邦雄の勝ち。
米長さんが得意の“泥沼”に誘いこんで闘ったような印象。
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