1943年(大東亜戦争中)8月の対局「升田幸三-木村義雄戦」朝日番付戦決勝。その100手目の局面図。
升田は99手目に2一飛と打った。これが木村の2二角打をうっかりした“敗着”だという…。
[月が連絡してくれるなら]
いつ死んでもいいと、腹はくくっておる。島にいる兵隊は全員がそうだった。(中略) 空襲にも空腹にも馴れ、単調な毎日が続くと、死を覚悟しとる身にも、なにかと雑念がわいてくる。
夜、交代で歩哨に立つ。サソリとか、びっくりするほど大きいアリがおって、ゆめ油断はならんけれど、月の夜などは、ちょっぴり私も感傷的になった。
母の顔が、夜空に浮かんで消える。内地も空襲に見舞われておるそうだが、元気でいるだろうか。次に、木村名人の顔が浮かぶ。
「さぞ木村は威張っとるだろうな。天下無敵だといって、ふんぞり返っているんだろう」
そう思うと胸が詰まった。負かされた将棋の局面が、見上げる空に再現され、不覚にも熱いものがこみあげてきた。
もう一度、木村名人と指して見たい。月が連絡してくれるなら、通信将棋で戦ってみたい。木村名人を負かしたら、いますぐ死んでも悔いはない。
(升田幸三『名人に香車を引いた男』から)
升田幸三は1939年~1942年の3年間、軍務に就いている。将棋が指せず、不満の多い3年間だったようだ。
その間に日本は、中国戦線から、大東亜戦争(太平洋戦争)へと戦線を拡大することになった。
しかし1943年の升田幸三は、思う存分に将棋を指すことができ、七段に昇進した。
そしてこの朝日番付戦で「無敵」の称賛を浴びていた名人木村義雄(38歳)とついに初の「平手」の手合いで対局することになった。升田幸三(25歳)にとっては、これに勝てば八段になり、名人挑戦への道も開けるという大勝負である。なにより、「木村打倒」こそが升田の目的であった。
しかしその対局に升田は、敗れたのである。99手目の「2一飛」が“敗着”で。升田はこれを「うっかり」と自身の著書の中で解説している。
この対局で敗れた升田幸三のショックは計り知れないものだった。
しかしその傷が癒えないうちの3か月後、また赤紙が届き、升田は戦争へと行くのである。
戦局は厳しくなり、しかも今度は南海の戦地である。升田幸三は、死を覚悟した。前の3年間は早く普段の生活に(つまり将棋棋士に)戻りたいとずっと思っていたが、今度ばかりはそのような甘さはなかった。
それでも、南海の島の月夜の下で、母や、木村に負けた将棋のことを考えてしまうこともあった、上の升田の文章は当時のそういう状況を述べたものである。
戦地はポナペ島。小さな島だったが、この島を守るのが升田たちの部隊に与えられた任務だった。
結局、アメリカ軍は上陸はしてこなかった。それほど重要な島だとは考えていなかったようである。
戦争が終わり、升田幸三は日本に帰った。
戦争が終わるその前に升田幸三が名人木村義雄と対戦したのは
1939年 ○升田幸三―木村義雄(香落ち) →『無敵木村美濃とは何だったのか3』
1943年 升田幸三―木村義雄○
この2局だけである。
南海の島での服務中、死ぬ覚悟はあったが、母を悲しませることと、この1943年の対局の敗戦、それだけが升田の無念であった。
▲5三歩成 △同銀 ▲6三歩成 △5四銀直
「2二角打をうっかり」して、優勢な将棋を負けにした、無念である、と升田は自戦解説書で述べている。『名人に香車を引いた男』でも、『升田将棋撰集』でも同じである。
しかし、信じられない。2二角打を見落とすなんてことがあるだろうか。アマ3級でも絶対に見落とすことはないような手である。
升田幸三は、相手の応手は3二玉か2二角とばかり読んでいたという。3二玉なら1一飛成で、2二角なら6三歩成、同銀、5三歩成で簡単な寄りとなる。
それを「うっかり2一飛としてしまった」と言うのだ。これを“敗着”と言って、その後の手の解説はない。
だが―――、我々終盤探検隊が調べたいのは、この図であった。
ここから先手に「勝ち」はないのか、ということである。
100手目2二角打の、この図、「激指13」の評価は、なんと 「+1179 先手優勢」!!
どうやら、升田の「2一飛が敗着」というのは、ウソなのである。
「2一飛」は敗着どころか、“好手”の可能性だってある。 いや、“好手”だ!
この図を調べていき、それが我々の辿りついた結論となっている。
確かに、解説にある通り、2一飛としないで、6三歩成(同銀、4一飛以下、「part40」で解説した)で、「先手勝ち」であったが、この2一飛(2二角打)も、6三歩成と同じくらい有力な手で、この図もやはり 「先手勝ち」 なのである。
しかもこの図からの勝ち方は1つではなく、我々は(ソフトを使って)4通りの勝ち筋を見つけることができた。(いずれの道もはっきりした勝ち筋を特定するのにたいへん苦労をしたが)
ここでどうやって勝つか、そしてなぜ升田幸三は勝てなったのか、なぜ「2一飛」を敗着と言うのか、そうした疑問はあとでじっくり考えるとして、ここでは実戦の升田の手を追って見ていこう。
升田幸三はここで▲5三歩成とした。同銀に、6三歩成、5四銀…
この升田の指した手順も、「4つの先手の勝ち」のうちの1つ。いったい、升田の“ほんとうの失着”はどれなのか。
升田木村戦104手
▲5三と △同角 ▲5一飛成 △3一角左 ▲5五歩 △同銀
後手の木村としては、ここでは指したい手がたくさんある。8五歩と桂馬をとって2四桂がある。また歩が入ったので1七歩もある。(飛車を捕獲したときに1八飛と打てる。この筋は実際に実現した) 他に、6八とから飛車を取りにいく手、3二銀で飛車を捕獲する手、など。だから先手は忙しい。
だが、ここではまだ 先手優勢 である。
ただ、上のように、後手から攻めの“楽しみ”がたくさんある。これが“木村将棋”なのである。激しく攻めてくるわけではないが、戦線を拡大しておいて、いつでも、“逆転”できるよう仕掛けの種を蒔いておく。しかも、この将棋は、もともと本人は不利とは考えていない。6二金(93手目)以来、自分の勝つ流れになってきたと感じている。しかしまだまだ難しい、勝負はこれからだ、と思っている。
また升田幸三は、〔絶対優勢だった将棋を手拍子に2一飛と打ってしまったために図(104手目5四銀)では指し切り模様にしてしまった〕(『升田将棋撰集』)としている。
終盤でのこの両者の気持ちの差が、結局勝敗を分けたのであろう。
実際は、ここでも「 先手優勢 」。
ここで1四歩と1筋の歩を突くのが、我々が発見した先手の勝ち筋である(次の図)
変化1四歩図1
6三に「と金」ができているこの瞬間に1四歩が好手となる。
升田幸三は対局中この手が見えなかったわけだが、“ポカをしてしまった”という精神状態で、集中力が切れていたのであろうか。
この対局は持ち時間が10時間、解説書の棋譜には消費時間は書いてないのでわからないが、升田幸三はだいたい時間を半分くらいしか使わない人で、だからたぶんここでも何時間かの時間が残っていたと思われる。
1四歩に、6三銀とと金を払えば、3一飛成、同角、4一角がある。また図で3二銀なら、1一飛成、同角、6七飛、同と、1三歩成、同角、1四銀で先手勝ちになる。
後手の候補手は、[あ]6八と、[い]3二玉、[う]1二歩が考えられる。
図で後手の最善手は6八とか。これは飛車取りだが、6七飛と切る手を防ぐ意味もある。
6八と、1三歩成、同香、同香成、同玉、1四歩、同玉、5三と(次の図)
変化1四歩図2
ここで5三と(図)。こうなってみると、2一飛と打った手が“好手”になっていることがおわかりだろう。
1六歩、4二と、6九と、1八歩(次の図)
変化1四歩図3
4三とと銀を取るのではなく、4二とがより厳しい手となる。
1八歩と1筋のキズを受けておいて、先手勝勢である。先手の3一と~2二飛成が間に合うので紛れもない。
これなら、“升田幸三の快勝”であった。
変化1四歩図4
今の手順で、先手の1四歩を同玉とせず、この図のように“1二玉”とする変化。後手としてはこの変化のほうが面白いかもしれない。つまり先手が間違えやすそうな変化である。
“1二玉”には、2二飛成、同角、1九香とする。
そこで後手の1六歩だが、これは、同香と取るのがわかりやすい。(5三とだと、1五香と打たれてめんどう)
以下、4六歩、同金(4八金は8五歩で2四桂を狙われる)、1七歩、2九銀(次の図)
変化1四歩図5
ここは2九銀と受けるのがよい。(ちょっと不安ではあるが)
ここで後手に有効な攻め方があるかどうか。(6三銀は、4四歩で先手良し)
6九と、5三と進んだ後、5九という手がある。これを同金だと、1八飛、同銀、同歩成、同玉、3八飛で先手が悪い。
よって、5九とに、3八金――以下5八飛に、4八歩、4九と、4三と(詰めろ)、同銀、7五角、6四歩、3五歩、2四金、1三銀(次の図)
変化1四歩図6
しばらく我慢して受け、ここでやっと1三銀の打ち込みが実現した。
図以下は、1三同角、同歩成、2一玉、4二角で、先手が勝てる。1三銀に2一玉なら、2四銀成である。
変化1四歩図7
[い]3二玉。これは気になる手である。
これには3一飛成と切って(2二飛成もあるが、同玉の場合がちょっとわかりにくい)、同角に、5一金(次の図)とするのが良い。
変化1四歩図8
この5一金が良い手なのだ。後手はぴったりした受けがない。
後手は1七歩。次は1八飛がある。
しかし先手はそれを怖れず、4一角、2一玉、1三歩成と行く。同香に、1四歩。
後手は予定の1八飛。先手2九玉(次の図)
変化1四歩図9
先手は2九玉のところで3九玉と逃げると、1九飛成、4八玉、4六歩、同金、5六歩(次に7五角がある)で形勢逆転となる。
2九玉としたこの図は、「先手勝ち」になっている。
ここから後手の有効手は4二角くらい。金を取って2八に打つ意味だが、これに6一金では形勢はあやしくなる。4二角には、1三歩成でよい。以下、5一角に、3九玉で先手の勝勢ははっきりする。1九飛成には、2九香だ。
[い]3二玉にはこうやって勝つ。この勝ち方で升田が勝っていれば最高の将棋になっていた。
変化1四歩10
1四歩に[う]1二歩と受けた場合。こう受けると、後手からの1七歩のような嫌な手がなくなるので、先手としてはありがたいという気がするが、実際に受けられるとどうなるだろうか。
ここでは5一金と金を活用するのもあるが、3一飛成からの攻めがわかりやすい。それを紹介しよう。
3一飛成、同角、5三角、同角、同と、8五歩(桂馬をとって2四桂をねらう)、4一角、3二角(最善手)、5四と(次の図)
変化1四歩11
ここで後手は2四桂。これには、1三歩成、同歩、1七歩。1筋の歩を1四まで伸ばしたのでこの受けがある。
以下、5四銀、3二角成、同玉、5一金(次の図)
変化1四歩12
5一金と遊んでいた金を使う。これが勝ちの決め手となるなんて、かっこいいではないか。
次は4一角だ。これを7四角と受ければ、5二角でよい。4二玉には6一角だ。
この5一金はぼんやりしているようだが、具体的に後手が受けるのはたいへんだ。これで先手勝ち将棋だが、もう少し進めてみよう。
2三玉、3五銀、4三銀、3一角(次の図)
変化1四歩13
3五に持駒を打つのがずっと先手の狙い筋であったが、それがここで実現。この図になってみると、先手の指してきた手がすべて生きる形になっている。
6八と、3四銀、同玉、3五金、2三玉、4二角成、6五角、4五桂(次の図)
変化1四歩14
この桂馬が攻めに参加して、先手勝勢。同桂は2四金がある。
3二銀打と頑張って受けるしかなさそうだが、それには5四歩、同角、5三桂成で寄せきれる。
つまり、「升田木村戦104手」から、1四歩とすれば、先手快勝の将棋になっていたはずなのである。
この変化の検討をみても、升田の「99手目2一飛」が悪手ではなく、むしろ好手だったことがわかるだろう。
升田は「2一飛」を対局中“ポカ”と思い、動揺し、形勢を悲観して、闘志と集中力が切れていたとしか思えない。(そうだとすれば、しかし、プロ棋士とは思えないような心の乱れようだ)
升田木村戦110手
▲5四歩 △4二角引
実戦はこのようになった。ほんとうの升田の失着はこの前からの数手か、このあたりにある。あるいは、5一飛成に対する、木村の3一角左をうっかりしていたのかもしれない。
この辺で木村名人も手ごたえを感じたことと思う。升田が焦っていることも気がついただろう。
ここは客観的に判断すると、「ほぼ互角、しかし厳密には後手良しか」、というような形勢のようだ。
5五歩、同銀となり、ここではもう、先手がたいへんになっている。5五の銀が攻めに使われる展開になると、これは“お手伝い”の手順となる。
木村義雄は『実戦集』に、〔私はここで5五銀が出ているので、4六歩が先手になったから、これで棋勢はますます有利になったと思った〕と書いている。
この将棋は、後手の木村名人が、こういうわからない形勢になったとき勝ちやすいように1筋、4筋に味付けをし、そして8五歩の桂取りという仕掛けをつくってきた、それがいま生きている展開になったのである。だからいったん後手に流れがくると、「互角」であっても、先手はもう勝ちにくい。
升田幸三は、中盤で木村義雄がせっせとつくった“蜘蛛の巣”に、すっぽりはまってしまったのである。
ここから、5四歩、4二角と実戦は進んだ。これで升田にもうチャンスはなくなった。
あとは、“蜘蛛の巣”の中でもがくだけ、の棋譜である。
この図では、「6二金」という手があったのではないか。ここが先手の最後のチャンスだったのではないか。
それが我々の研究だ。
変化6二金図1
この「6二金」(図)は、次に6三金として、4二角引に、5五竜または8一竜とする狙い。
ここで後手の手番だが、選択肢が多い。
<a>5四歩や<b>5二歩なら、6三金、4二角引、8一飛成で先手良しになる。
<c>4六銀が良さそうに見えるが、調べてみると、やはり6三金、4二角引、8一飛成で先手が良くなった。
<d>4六歩はどうか。以下これを調べてみる。
4六歩、4八金引、8五歩、6三金(次の図)
変化6二金図2
4二角引、5五竜、2四桂、3五歩(次の図)
変化6二金図3
1六桂、3九玉、2四金、4四歩、3二銀、4六竜(次の図)
変化6二金図4
ここで後手4五歩、1六竜、1五香、3六竜となると、先手良し。このまま放っておくと4三歩成がある。
この図は少し先手が良いようだ。
変化6二金図5
「6二金」に対して、「4六歩、4八金」の交換を入れないで、単に<e>8五歩(図)が後手の最善手かもしれない。
変化6二金図6
同じように進めたときに、この図のようになる。
ここでどうも先手に気の利いた手がなく、これは後手良し。<e>8五歩の変化は、後手良しか。
変化6二金図7
そこで、<e>8五歩に、6三金、4二角引、のところで、5五竜(銀をとる)ではなく、“8一竜”(図)と桂馬を取る手はどうだろうか。これは次に3五桂と打つ手に期待したものだ。
“8一竜”に、2四桂、3五桂、同金、同歩、1六桂、1七玉、6八と(次の図)
変化6二金図8
ここで先手の手番。いくつかの候補手があるが、どれがよいかはっきりしない。
5三歩としてみよう。5三歩、6九と、5二歩成、7五角、4五桂、5六銀不成(好手)、3三桂成、同玉、6四歩(この手で4五桂はあるが、4四玉、5三桂成、1九飛、1八金、4九飛成、4三成桂、5四玉で後手良し)、1三角、3六金、2八桂成(次の図)
変化6二金図9
2八同玉に、2四桂とされ、これは後手優勢のようだ。
この変化も有望ではあるが、厳密には「後手良し」と思われる。
ということで、「110手目6二金」は、有望だが、先手は少し届かなかった。 正確に<e>8五歩以下応じられると後手が良くなる、と我々の研究では出た。
しかし実戦で正しく<e>8五歩が指せるかどうかわからないし(名人は4六歩と指したいとウズウズしていたところだ)、相手は木村名人という終盤の強者ではあるが、先手が勝つ可能性もまだあったと思われるのである。
したがって、終盤探検隊的には、「実質的な先手升田の敗着は、110手目5四歩である」と認定したい。
ここから後、先手に勝つチャンスは、どうやら、ない。そういう将棋になっている。
「100手目2二角打」の図から、5三歩成を選んだその後のどこかに、升田の読みの甘さ(誤算)があって、それで逆転し、110手5四歩ではもう勝ち目がない、という将棋である。
升田木村戦112手
▲6二龍 △4六歩 ▲5七金 △8五歩 ▲6三龍 △3二銀 ▲6七金
このあたり、升田幸三に誤算があったのではないだろうか。もう集中力が欠如していて、図の4二角引をそれこそ「うっかり」してたのではないか。
4二角引に、同竜、同角、5三角という手がある。もしかしたら、升田はこの手に期待してこのルートを選んだのかもしれない。しかし、5三角に、同角、同歩成、3二銀の後、わずかに足りず、攻め切れそうにない。
升田は、113手目、6二竜。
ここから後は、先手の勝ち筋をつくるのは、難しい。
升田木村戦119手
△同と ▲4三銀 △同銀 ▲同龍 △3二銀 ▲3四龍 △同玉 ▲3五銀 △4三玉
▲6七飛 △6六歩 ▲7七飛 △7六歩 ▲同飛 △7五歩
我々の将棋なら、なんとなくこの図だと、先手もやれそうに見える。(あるいは升田もそう思ったか)
図から、6七同とに、升田は4三銀から3四竜と、竜を切って攻めていったが、それをやめて、6七同とに、同飛ならどうだろう? 後手は持駒は金と桂と歩…、先手もやれるのでは…?
しかし実際は、後手の持っているその「桂」が、ここでは絶大な力を持っているのだ。2四桂とされると、先手はそれだけで困ってしまうのだ。2四桂で、勝てない。1六桂と、3六桂の狙いがあり、適当な受けがない。
この2四桂の厳しさに気づくのが、升田は遅れたのかもしれない。それはプロではありえないが、それくらい、升田の指し手は妙な乱れ方をしている。やはり2一飛(98手目)が「うっかり」で、「失敗した」という意識が支配して、正常な心持ちではなかったということか。
升田木村戦134手
▲6五金 △1七歩 ▲5五金 △1八飛 ▲3九玉 △7六歩 ▲2九銀打 △4七桂
▲4八玉 △6七歩成
先手の升田幸三が3四竜と竜を切って、3五銀としたのは、後手の2四桂が厳しいためである。これで2四桂を打つ手をなくし、それから6七飛とこの飛車を活用。
もう勝てそうもない、とはわかっていても、それなりに頑張ったのである。
ここで7七飛などと飛車を引いていると、5四玉で、もう後手玉は捕まらない。
もし、美しい棋譜を残すというような意識でいれば、ここで投了するのがよさそうだ。
しかし、升田はまだ指し続けた。6五金。
後手木村名人は1七歩。ついにこの手が来た。飛車を手にすれば、この手が有効になる。
升田木村戦144手
▲4五桂 △同桂 ▲同金 △3九桂成 ▲4四銀 △5二玉 ▲5三歩成 △6一玉
▲1八銀 △4九成桂 まで154手で後手の勝ち
ここまで来ると、これははっきり先手が負けだと、私たちでもすぐわかる。この6七歩成の図は、そういう図だ。
それでもまだ、投了せず、25歳の升田幸三は指し続けた。
升田木村戦 投了図
詰むまで指して、投了した。
少年が、強い大人と指して負けて、泣きじゃくっているような、無念さのにじみ出ているラストである。
升田幸三は、この対局の3か月後に、また招集令状がきて、今度は南方の戦地に向かうことになる。
南海の島で、死ぬかもしれない…と覚悟を決めつつ、ふと夜に空を見上げて月を見て、この将棋のことを思い出して悔しがっていたのである。
升田幸三-木村義雄戦 100手目図
次回part42では、この100手目の図からの、先手の勝ち方を確認する。
升田が著書の解説で「敗着」としている99手目2一飛だが、ここは 先手優勢 であり、先手の 「勝ち」 になる手が、少なくとも4つはあるのだ。
升田は99手目に2一飛と打った。これが木村の2二角打をうっかりした“敗着”だという…。
[月が連絡してくれるなら]
いつ死んでもいいと、腹はくくっておる。島にいる兵隊は全員がそうだった。(中略) 空襲にも空腹にも馴れ、単調な毎日が続くと、死を覚悟しとる身にも、なにかと雑念がわいてくる。
夜、交代で歩哨に立つ。サソリとか、びっくりするほど大きいアリがおって、ゆめ油断はならんけれど、月の夜などは、ちょっぴり私も感傷的になった。
母の顔が、夜空に浮かんで消える。内地も空襲に見舞われておるそうだが、元気でいるだろうか。次に、木村名人の顔が浮かぶ。
「さぞ木村は威張っとるだろうな。天下無敵だといって、ふんぞり返っているんだろう」
そう思うと胸が詰まった。負かされた将棋の局面が、見上げる空に再現され、不覚にも熱いものがこみあげてきた。
もう一度、木村名人と指して見たい。月が連絡してくれるなら、通信将棋で戦ってみたい。木村名人を負かしたら、いますぐ死んでも悔いはない。
(升田幸三『名人に香車を引いた男』から)
升田幸三は1939年~1942年の3年間、軍務に就いている。将棋が指せず、不満の多い3年間だったようだ。
その間に日本は、中国戦線から、大東亜戦争(太平洋戦争)へと戦線を拡大することになった。
しかし1943年の升田幸三は、思う存分に将棋を指すことができ、七段に昇進した。
そしてこの朝日番付戦で「無敵」の称賛を浴びていた名人木村義雄(38歳)とついに初の「平手」の手合いで対局することになった。升田幸三(25歳)にとっては、これに勝てば八段になり、名人挑戦への道も開けるという大勝負である。なにより、「木村打倒」こそが升田の目的であった。
しかしその対局に升田は、敗れたのである。99手目の「2一飛」が“敗着”で。升田はこれを「うっかり」と自身の著書の中で解説している。
この対局で敗れた升田幸三のショックは計り知れないものだった。
しかしその傷が癒えないうちの3か月後、また赤紙が届き、升田は戦争へと行くのである。
戦局は厳しくなり、しかも今度は南海の戦地である。升田幸三は、死を覚悟した。前の3年間は早く普段の生活に(つまり将棋棋士に)戻りたいとずっと思っていたが、今度ばかりはそのような甘さはなかった。
それでも、南海の島の月夜の下で、母や、木村に負けた将棋のことを考えてしまうこともあった、上の升田の文章は当時のそういう状況を述べたものである。
戦地はポナペ島。小さな島だったが、この島を守るのが升田たちの部隊に与えられた任務だった。
結局、アメリカ軍は上陸はしてこなかった。それほど重要な島だとは考えていなかったようである。
戦争が終わり、升田幸三は日本に帰った。
戦争が終わるその前に升田幸三が名人木村義雄と対戦したのは
1939年 ○升田幸三―木村義雄(香落ち) →『無敵木村美濃とは何だったのか3』
1943年 升田幸三―木村義雄○
この2局だけである。
南海の島での服務中、死ぬ覚悟はあったが、母を悲しませることと、この1943年の対局の敗戦、それだけが升田の無念であった。
▲5三歩成 △同銀 ▲6三歩成 △5四銀直
「2二角打をうっかり」して、優勢な将棋を負けにした、無念である、と升田は自戦解説書で述べている。『名人に香車を引いた男』でも、『升田将棋撰集』でも同じである。
しかし、信じられない。2二角打を見落とすなんてことがあるだろうか。アマ3級でも絶対に見落とすことはないような手である。
升田幸三は、相手の応手は3二玉か2二角とばかり読んでいたという。3二玉なら1一飛成で、2二角なら6三歩成、同銀、5三歩成で簡単な寄りとなる。
それを「うっかり2一飛としてしまった」と言うのだ。これを“敗着”と言って、その後の手の解説はない。
だが―――、我々終盤探検隊が調べたいのは、この図であった。
ここから先手に「勝ち」はないのか、ということである。
100手目2二角打の、この図、「激指13」の評価は、なんと 「+1179 先手優勢」!!
どうやら、升田の「2一飛が敗着」というのは、ウソなのである。
「2一飛」は敗着どころか、“好手”の可能性だってある。 いや、“好手”だ!
この図を調べていき、それが我々の辿りついた結論となっている。
確かに、解説にある通り、2一飛としないで、6三歩成(同銀、4一飛以下、「part40」で解説した)で、「先手勝ち」であったが、この2一飛(2二角打)も、6三歩成と同じくらい有力な手で、この図もやはり 「先手勝ち」 なのである。
しかもこの図からの勝ち方は1つではなく、我々は(ソフトを使って)4通りの勝ち筋を見つけることができた。(いずれの道もはっきりした勝ち筋を特定するのにたいへん苦労をしたが)
ここでどうやって勝つか、そしてなぜ升田幸三は勝てなったのか、なぜ「2一飛」を敗着と言うのか、そうした疑問はあとでじっくり考えるとして、ここでは実戦の升田の手を追って見ていこう。
升田幸三はここで▲5三歩成とした。同銀に、6三歩成、5四銀…
この升田の指した手順も、「4つの先手の勝ち」のうちの1つ。いったい、升田の“ほんとうの失着”はどれなのか。
升田木村戦104手
▲5三と △同角 ▲5一飛成 △3一角左 ▲5五歩 △同銀
後手の木村としては、ここでは指したい手がたくさんある。8五歩と桂馬をとって2四桂がある。また歩が入ったので1七歩もある。(飛車を捕獲したときに1八飛と打てる。この筋は実際に実現した) 他に、6八とから飛車を取りにいく手、3二銀で飛車を捕獲する手、など。だから先手は忙しい。
だが、ここではまだ 先手優勢 である。
ただ、上のように、後手から攻めの“楽しみ”がたくさんある。これが“木村将棋”なのである。激しく攻めてくるわけではないが、戦線を拡大しておいて、いつでも、“逆転”できるよう仕掛けの種を蒔いておく。しかも、この将棋は、もともと本人は不利とは考えていない。6二金(93手目)以来、自分の勝つ流れになってきたと感じている。しかしまだまだ難しい、勝負はこれからだ、と思っている。
また升田幸三は、〔絶対優勢だった将棋を手拍子に2一飛と打ってしまったために図(104手目5四銀)では指し切り模様にしてしまった〕(『升田将棋撰集』)としている。
終盤でのこの両者の気持ちの差が、結局勝敗を分けたのであろう。
実際は、ここでも「 先手優勢 」。
ここで1四歩と1筋の歩を突くのが、我々が発見した先手の勝ち筋である(次の図)
変化1四歩図1
6三に「と金」ができているこの瞬間に1四歩が好手となる。
升田幸三は対局中この手が見えなかったわけだが、“ポカをしてしまった”という精神状態で、集中力が切れていたのであろうか。
この対局は持ち時間が10時間、解説書の棋譜には消費時間は書いてないのでわからないが、升田幸三はだいたい時間を半分くらいしか使わない人で、だからたぶんここでも何時間かの時間が残っていたと思われる。
1四歩に、6三銀とと金を払えば、3一飛成、同角、4一角がある。また図で3二銀なら、1一飛成、同角、6七飛、同と、1三歩成、同角、1四銀で先手勝ちになる。
後手の候補手は、[あ]6八と、[い]3二玉、[う]1二歩が考えられる。
図で後手の最善手は6八とか。これは飛車取りだが、6七飛と切る手を防ぐ意味もある。
6八と、1三歩成、同香、同香成、同玉、1四歩、同玉、5三と(次の図)
変化1四歩図2
ここで5三と(図)。こうなってみると、2一飛と打った手が“好手”になっていることがおわかりだろう。
1六歩、4二と、6九と、1八歩(次の図)
変化1四歩図3
4三とと銀を取るのではなく、4二とがより厳しい手となる。
1八歩と1筋のキズを受けておいて、先手勝勢である。先手の3一と~2二飛成が間に合うので紛れもない。
これなら、“升田幸三の快勝”であった。
変化1四歩図4
今の手順で、先手の1四歩を同玉とせず、この図のように“1二玉”とする変化。後手としてはこの変化のほうが面白いかもしれない。つまり先手が間違えやすそうな変化である。
“1二玉”には、2二飛成、同角、1九香とする。
そこで後手の1六歩だが、これは、同香と取るのがわかりやすい。(5三とだと、1五香と打たれてめんどう)
以下、4六歩、同金(4八金は8五歩で2四桂を狙われる)、1七歩、2九銀(次の図)
変化1四歩図5
ここは2九銀と受けるのがよい。(ちょっと不安ではあるが)
ここで後手に有効な攻め方があるかどうか。(6三銀は、4四歩で先手良し)
6九と、5三と進んだ後、5九という手がある。これを同金だと、1八飛、同銀、同歩成、同玉、3八飛で先手が悪い。
よって、5九とに、3八金――以下5八飛に、4八歩、4九と、4三と(詰めろ)、同銀、7五角、6四歩、3五歩、2四金、1三銀(次の図)
変化1四歩図6
しばらく我慢して受け、ここでやっと1三銀の打ち込みが実現した。
図以下は、1三同角、同歩成、2一玉、4二角で、先手が勝てる。1三銀に2一玉なら、2四銀成である。
変化1四歩図7
[い]3二玉。これは気になる手である。
これには3一飛成と切って(2二飛成もあるが、同玉の場合がちょっとわかりにくい)、同角に、5一金(次の図)とするのが良い。
変化1四歩図8
この5一金が良い手なのだ。後手はぴったりした受けがない。
後手は1七歩。次は1八飛がある。
しかし先手はそれを怖れず、4一角、2一玉、1三歩成と行く。同香に、1四歩。
後手は予定の1八飛。先手2九玉(次の図)
変化1四歩図9
先手は2九玉のところで3九玉と逃げると、1九飛成、4八玉、4六歩、同金、5六歩(次に7五角がある)で形勢逆転となる。
2九玉としたこの図は、「先手勝ち」になっている。
ここから後手の有効手は4二角くらい。金を取って2八に打つ意味だが、これに6一金では形勢はあやしくなる。4二角には、1三歩成でよい。以下、5一角に、3九玉で先手の勝勢ははっきりする。1九飛成には、2九香だ。
[い]3二玉にはこうやって勝つ。この勝ち方で升田が勝っていれば最高の将棋になっていた。
変化1四歩10
1四歩に[う]1二歩と受けた場合。こう受けると、後手からの1七歩のような嫌な手がなくなるので、先手としてはありがたいという気がするが、実際に受けられるとどうなるだろうか。
ここでは5一金と金を活用するのもあるが、3一飛成からの攻めがわかりやすい。それを紹介しよう。
3一飛成、同角、5三角、同角、同と、8五歩(桂馬をとって2四桂をねらう)、4一角、3二角(最善手)、5四と(次の図)
変化1四歩11
ここで後手は2四桂。これには、1三歩成、同歩、1七歩。1筋の歩を1四まで伸ばしたのでこの受けがある。
以下、5四銀、3二角成、同玉、5一金(次の図)
変化1四歩12
5一金と遊んでいた金を使う。これが勝ちの決め手となるなんて、かっこいいではないか。
次は4一角だ。これを7四角と受ければ、5二角でよい。4二玉には6一角だ。
この5一金はぼんやりしているようだが、具体的に後手が受けるのはたいへんだ。これで先手勝ち将棋だが、もう少し進めてみよう。
2三玉、3五銀、4三銀、3一角(次の図)
変化1四歩13
3五に持駒を打つのがずっと先手の狙い筋であったが、それがここで実現。この図になってみると、先手の指してきた手がすべて生きる形になっている。
6八と、3四銀、同玉、3五金、2三玉、4二角成、6五角、4五桂(次の図)
変化1四歩14
この桂馬が攻めに参加して、先手勝勢。同桂は2四金がある。
3二銀打と頑張って受けるしかなさそうだが、それには5四歩、同角、5三桂成で寄せきれる。
つまり、「升田木村戦104手」から、1四歩とすれば、先手快勝の将棋になっていたはずなのである。
この変化の検討をみても、升田の「99手目2一飛」が悪手ではなく、むしろ好手だったことがわかるだろう。
升田は「2一飛」を対局中“ポカ”と思い、動揺し、形勢を悲観して、闘志と集中力が切れていたとしか思えない。(そうだとすれば、しかし、プロ棋士とは思えないような心の乱れようだ)
升田木村戦110手
▲5四歩 △4二角引
実戦はこのようになった。ほんとうの升田の失着はこの前からの数手か、このあたりにある。あるいは、5一飛成に対する、木村の3一角左をうっかりしていたのかもしれない。
この辺で木村名人も手ごたえを感じたことと思う。升田が焦っていることも気がついただろう。
ここは客観的に判断すると、「ほぼ互角、しかし厳密には後手良しか」、というような形勢のようだ。
5五歩、同銀となり、ここではもう、先手がたいへんになっている。5五の銀が攻めに使われる展開になると、これは“お手伝い”の手順となる。
木村義雄は『実戦集』に、〔私はここで5五銀が出ているので、4六歩が先手になったから、これで棋勢はますます有利になったと思った〕と書いている。
この将棋は、後手の木村名人が、こういうわからない形勢になったとき勝ちやすいように1筋、4筋に味付けをし、そして8五歩の桂取りという仕掛けをつくってきた、それがいま生きている展開になったのである。だからいったん後手に流れがくると、「互角」であっても、先手はもう勝ちにくい。
升田幸三は、中盤で木村義雄がせっせとつくった“蜘蛛の巣”に、すっぽりはまってしまったのである。
ここから、5四歩、4二角と実戦は進んだ。これで升田にもうチャンスはなくなった。
あとは、“蜘蛛の巣”の中でもがくだけ、の棋譜である。
この図では、「6二金」という手があったのではないか。ここが先手の最後のチャンスだったのではないか。
それが我々の研究だ。
変化6二金図1
この「6二金」(図)は、次に6三金として、4二角引に、5五竜または8一竜とする狙い。
ここで後手の手番だが、選択肢が多い。
<a>5四歩や<b>5二歩なら、6三金、4二角引、8一飛成で先手良しになる。
<c>4六銀が良さそうに見えるが、調べてみると、やはり6三金、4二角引、8一飛成で先手が良くなった。
<d>4六歩はどうか。以下これを調べてみる。
4六歩、4八金引、8五歩、6三金(次の図)
変化6二金図2
4二角引、5五竜、2四桂、3五歩(次の図)
変化6二金図3
1六桂、3九玉、2四金、4四歩、3二銀、4六竜(次の図)
変化6二金図4
ここで後手4五歩、1六竜、1五香、3六竜となると、先手良し。このまま放っておくと4三歩成がある。
この図は少し先手が良いようだ。
変化6二金図5
「6二金」に対して、「4六歩、4八金」の交換を入れないで、単に<e>8五歩(図)が後手の最善手かもしれない。
変化6二金図6
同じように進めたときに、この図のようになる。
ここでどうも先手に気の利いた手がなく、これは後手良し。<e>8五歩の変化は、後手良しか。
変化6二金図7
そこで、<e>8五歩に、6三金、4二角引、のところで、5五竜(銀をとる)ではなく、“8一竜”(図)と桂馬を取る手はどうだろうか。これは次に3五桂と打つ手に期待したものだ。
“8一竜”に、2四桂、3五桂、同金、同歩、1六桂、1七玉、6八と(次の図)
変化6二金図8
ここで先手の手番。いくつかの候補手があるが、どれがよいかはっきりしない。
5三歩としてみよう。5三歩、6九と、5二歩成、7五角、4五桂、5六銀不成(好手)、3三桂成、同玉、6四歩(この手で4五桂はあるが、4四玉、5三桂成、1九飛、1八金、4九飛成、4三成桂、5四玉で後手良し)、1三角、3六金、2八桂成(次の図)
変化6二金図9
2八同玉に、2四桂とされ、これは後手優勢のようだ。
この変化も有望ではあるが、厳密には「後手良し」と思われる。
ということで、「110手目6二金」は、有望だが、先手は少し届かなかった。 正確に<e>8五歩以下応じられると後手が良くなる、と我々の研究では出た。
しかし実戦で正しく<e>8五歩が指せるかどうかわからないし(名人は4六歩と指したいとウズウズしていたところだ)、相手は木村名人という終盤の強者ではあるが、先手が勝つ可能性もまだあったと思われるのである。
したがって、終盤探検隊的には、「実質的な先手升田の敗着は、110手目5四歩である」と認定したい。
ここから後、先手に勝つチャンスは、どうやら、ない。そういう将棋になっている。
「100手目2二角打」の図から、5三歩成を選んだその後のどこかに、升田の読みの甘さ(誤算)があって、それで逆転し、110手5四歩ではもう勝ち目がない、という将棋である。
升田木村戦112手
▲6二龍 △4六歩 ▲5七金 △8五歩 ▲6三龍 △3二銀 ▲6七金
このあたり、升田幸三に誤算があったのではないだろうか。もう集中力が欠如していて、図の4二角引をそれこそ「うっかり」してたのではないか。
4二角引に、同竜、同角、5三角という手がある。もしかしたら、升田はこの手に期待してこのルートを選んだのかもしれない。しかし、5三角に、同角、同歩成、3二銀の後、わずかに足りず、攻め切れそうにない。
升田は、113手目、6二竜。
ここから後は、先手の勝ち筋をつくるのは、難しい。
升田木村戦119手
△同と ▲4三銀 △同銀 ▲同龍 △3二銀 ▲3四龍 △同玉 ▲3五銀 △4三玉
▲6七飛 △6六歩 ▲7七飛 △7六歩 ▲同飛 △7五歩
我々の将棋なら、なんとなくこの図だと、先手もやれそうに見える。(あるいは升田もそう思ったか)
図から、6七同とに、升田は4三銀から3四竜と、竜を切って攻めていったが、それをやめて、6七同とに、同飛ならどうだろう? 後手は持駒は金と桂と歩…、先手もやれるのでは…?
しかし実際は、後手の持っているその「桂」が、ここでは絶大な力を持っているのだ。2四桂とされると、先手はそれだけで困ってしまうのだ。2四桂で、勝てない。1六桂と、3六桂の狙いがあり、適当な受けがない。
この2四桂の厳しさに気づくのが、升田は遅れたのかもしれない。それはプロではありえないが、それくらい、升田の指し手は妙な乱れ方をしている。やはり2一飛(98手目)が「うっかり」で、「失敗した」という意識が支配して、正常な心持ちではなかったということか。
升田木村戦134手
▲6五金 △1七歩 ▲5五金 △1八飛 ▲3九玉 △7六歩 ▲2九銀打 △4七桂
▲4八玉 △6七歩成
先手の升田幸三が3四竜と竜を切って、3五銀としたのは、後手の2四桂が厳しいためである。これで2四桂を打つ手をなくし、それから6七飛とこの飛車を活用。
もう勝てそうもない、とはわかっていても、それなりに頑張ったのである。
ここで7七飛などと飛車を引いていると、5四玉で、もう後手玉は捕まらない。
もし、美しい棋譜を残すというような意識でいれば、ここで投了するのがよさそうだ。
しかし、升田はまだ指し続けた。6五金。
後手木村名人は1七歩。ついにこの手が来た。飛車を手にすれば、この手が有効になる。
升田木村戦144手
▲4五桂 △同桂 ▲同金 △3九桂成 ▲4四銀 △5二玉 ▲5三歩成 △6一玉
▲1八銀 △4九成桂 まで154手で後手の勝ち
ここまで来ると、これははっきり先手が負けだと、私たちでもすぐわかる。この6七歩成の図は、そういう図だ。
それでもまだ、投了せず、25歳の升田幸三は指し続けた。
升田木村戦 投了図
詰むまで指して、投了した。
少年が、強い大人と指して負けて、泣きじゃくっているような、無念さのにじみ出ているラストである。
升田幸三は、この対局の3か月後に、また招集令状がきて、今度は南方の戦地に向かうことになる。
南海の島で、死ぬかもしれない…と覚悟を決めつつ、ふと夜に空を見上げて月を見て、この将棋のことを思い出して悔しがっていたのである。
升田幸三-木村義雄戦 100手目図
次回part42では、この100手目の図からの、先手の勝ち方を確認する。
升田が著書の解説で「敗着」としている99手目2一飛だが、ここは 先手優勢 であり、先手の 「勝ち」 になる手が、少なくとも4つはあるのだ。
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