はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

皮と中身のはなし

2006年11月04日 | からだ
 高校時代の「保健」の先生は、女子の体育を指導している既婚の30才くらいの女性だった。その先生が、性教育の授業でビデオを見させた。高1のときで、男女いっしょに見た。
 後年、ひとに話して「うそだ。」「それはないでしょ。」と否定されたのだが、本当だからしようがない。その性教育ビデオの中で、「包△」「仮性包△」の説明が図解入りでなされていたのだ。試験管を逆さにしたような「棒」が3つ描いてあって、正常、仮性包△、真性包△、と説明された。(説明したのはビデオのナレーターだけども。)
 われわれ男子はこらえきれず爆笑。少数派の女子は黙っていたが。まさかそんな説明が出てくるとは。
 そのとき、僕は15歳。で、むけていたか、それとも…。どっちだと思います?
 実際、どうなんだろう。アレはいつごろ「むける」んだろう?それについて話したことないなあ…。アレはだいたい自然にむけるのか、手で人為的にむくのか、フツウはどっちなんだ?
 僕はそのとき、まだ、皮の中だった(ふだんは)。 でも真性包△ではないことはわかっていたし、いつか自然にあのアタマは顔を出すもの、と思っていた。というより、そんなことあんまり考えもしなかった。
 子供時代は「中身」より「皮」が長い。それが成長とともに、「皮」よりも「中身」のほうがだんだん長めになってくる。でもまだ、「皮」の中が居心地いい、というのが10代半ばの男子である。
 ところがあのビデオを見て、笑いながらも、「アレレ? おれ、仮性包△?」とあせらされた。(それは僕だけではなかったようだ。) そうか、オトナはむけていなきゃいけないんだな…。それで、家で、むいてみた。手で。
 で、そのままの状態を保って日常生活をいつもどうりに。でも、ちょっと、痛いぞ。それまで保護されて生きてきたむき出しの純な「中身」はキズつきやすく、パンツの布地にこすれて痛いのだ。「ガマンしよう。3日もすりゃあ慣れるだろ。うっ、今日の体育はバスケか…」 まあ実際そのとおり、慣れた。晴れて「正常」になったわけである。
 しかしもし、あのきっかけがなかったら、僕はいつ「正常」になったのだろう。他の人は何をきっかけにむくんだろ? だれかに教えてもらうのか? そろそろむいたら?って。(そんなアドバイス、されたくないなあ。)
 せっかく保健の先生が女性だったのだから、授業で聞けばよかったなあ。先生、僕、むいたほうがいいですかって。(ウケることまちがいなし。)

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