はんどろやノート

ラクガキでもしますか。

Arkadia

2008年12月07日 | ほん
 「Arkadia(またはArcadia)」が今日のタイトルである。

 アーカディア(創元推理文庫版では「アーケイディア」だった)という名の少女が、アシモフの『銀河帝国の興亡』三部作(ファウンデーション・シリーズ)の最終話『第2ファウンデーション』のヒロインとして登場する。彼女は、14歳で、小説家になることが夢だった。だから、大人たちが数人集まって、謎とされる「第2ファウンデーション」の探索を密かに計画したとき、それを知った彼女は、こっそり宇宙船に乗り込んだのだ! (つまり「密航」である!)


〔 「あら、まーあ、学問的評価なんて、だれが問題にして?」 彼女はかれが気に入った。なぜなら、もう間違いなく彼女をアーカディと呼んでくれているからである。 「わたしはおもしろい小説を書くつもりよ。そして、たくさん売れて、有名になるの。売れて有名にならなければ、本なんか書いても意味ないでしょう。年寄りの大学教授に知ってもらうだけでは不満だわ。みんなに知ってもらわなければね。」 〕


 ということから連想して、松本零士の漫画『宇宙海賊キャプテン・ハーロック』のアルカディア号を描いてみた。

 「Arkadia」とは、ギリシャにある地名であるが、それ以上の意味を含んでいる。ギリシャの詩の中で「アルカディア」といえば、「理想郷」という意味になる。ここに、「牧歌的な」「純朴な」というような意味も含まれている。するとアシモフの小説の14歳の少女アーカディアは、「純朴な乙女」というような意味のネーミングであろう。
 松本零士氏が、キャプテン・ハーロックの駆る船に「アルカディア」とつけた理由は、僕は知らない。

 ところで、昨日僕はシービスケットという馬について書いたが、この馬は、サンタアニタ競馬場での劇的勝利を花道にして引退した。そうして1947年まで生きて、14歳で死んでいる。その馬の遺骨はリッジウッドという山(サンタアニタの北にある)に埋められ、そこにシービスケットの馬主ハワードは樫の木を植えた、というようなことが書いてあったので、僕はその山の位置を確認したくて、地図を調べてみた。その時に、おもしろい偶然(僕はこの言葉を何度使っただろう)を見つけた。サンタアニタ競馬場は、ロサンジェルス郊外にあるが、その都市の名前は「Arkadia」なのである。

   


 さて、もう一度、『銀河帝国の興亡』の少女アーカディアにもどるが、「小説家になりたいの」という彼女の「銀河の端から中央へ」と駆け巡る大冒険の物語を再読しているうちに、僕は、アンネ・フランクのことを思いうかべたのである。
 以下は『アンネの日記』の1944年5月11日木曜日の日記から。

〔 さてここでべつの話題。あなたもとうからご存じのとおり、わたしの最大の望みは、将来ジャーナリストになり、やがては著名な作家になることです。はたしてこの壮大な野心(狂気か?)が、いつか実現するかどうか、それはまだわかりませんけど、いろんなテーマがわたしの頭のなかにひしめいていることは事実です。いずれにせよ、戦争が終わったら、とりあえず『隠れ家』という題の本を書きたいとは思っています。うまく書けるかどうかはわかりませんが、この日記がそのための大きな助けにはなってくれるでしょう。 〕

  彼女はこのとき14歳だった。 13歳の誕生日から日記をつけはじめたアンネ・フランクは、15歳でその生涯を閉じた。もし彼女が生きのびていたら(もう少しだったのに!)どんな本を書いただろうか、どんな冒険をしただろうかと、アシモフのSF小説を読みながら僕は思ったのである。
 上の文中で、「あなた」というのは、アンネの架空の友人キティのこと。『アンネの日記』は、キティへの手紙のような形で綴られている。


 アンネ・フランクがアムステルダムの隠れ家で、このように日記を書いていた時、オードリー・ヘップバーンも同じオランダ国の別の街アルンヘムに棲んでいた。オードリーとアンネは同じ年に生まれたので同じ年齢だ。
 イギリスがドイツとの戦争に踏み切ったとき、イギリスにいたオードリーと家族は母の決断でオランダへと移住する。オランダが中立国であったので、オランダのほうが安全だと思い、そしてオランダはオードリーの母にとってなじみの国であったから。 だが、その判断は間違っていた。1940年5月、ドイツは宣戦布告なしにオランダを占拠した。
 オードリーの家族はユダヤではないので、隠れる必要はなかったけれど、被占領だから何事も不自由だった。子供であるオードーリーは、レジスタンスの地下組織の「連絡係」として働いた。靴底にメッセージを隠して。子供は大人より自由度があったから。
 この時期にオードリーはバレエに夢中になった。バレエを習うには少し年齢的には遅かったが、才能の輝きは十分にあったようだ。1944年1月、少女はアルンヘム市立劇場での初舞台で優雅に踊った。14歳。


 1944年6月6日、連合国はノルマンディー上陸作戦を開始した。(ノルマンディーはフランスの北の一地方) ドイツに奪われたヨーロッパを取り戻すために練られた大作戦である。
 『アンネの日記』のこの日の日記には、彼女たちがイギリスのラジオ放送で「This is the Day」(今日がその日だ!)と放送されたのを聴いて、開放される時への期待をふくらませ、その喜びが綴られている。

〔 《隠れ家》はいまや興奮のるつぼです。いよいよ待ちに待った開放が実現されるのでしょうか。 〕
  
〔 いつも喉もとにナイフをつきつけられて暮らしてきました。ですがいまや、味方の救援と開放が目の前まで迫ってきているのです。もはや問題はユダヤ人だけのものではありません。オランダ全体の問題なんです。オランダ全体と、そしてヨーロッパの被占領地域全体の。ひょっとするとマルゴーの言うように、うまくゆけばわたしも、九月か十月にはまた学校へ行けるようになるかもしれません。 〕

 ほんとうに、あと少しだったのに。



 アイザック・アシモフは14歳のとき、高校生だった。(翌年は大学生になる。) 新聞配達と家のキャンディーストアの店番で忙しく働いていたので、外交的な性格にもかかわらず、親しい友人はいなかった。図書館で本を借りて読むのがアシモフの楽しみだった。図書館で3冊借りて、読みながら帰った。問題は読んでいない残りの2冊をどうするかだが、それは1冊ずつ両脇にはさむことで解決した。その姿を見て、母親が「みっともないからなんとかしなさい」と言った。母としては、そんなみっともない姿を見せては、不快に思った店の客が逃げていくと心配したのである。 だが、アシモフはやめなかった。
 アシモフの言い分はこうである。
 自分は、本を読まないときも、道を歩く時には空想にふけりながら歩いている。これはやめることができない。そういうときには、何も見ていないから、道ですれちがって誰かが挨拶をしてきても、自分は気がつかない。そういうことがよくあるのだ。そうなると相手に失礼だし、それで怒る人もいる。客商売だから、これはまずい。けれども、本を読んでいて、挨拶を返さないからといって怒る人はいないだろう。だから、キャンディーストアの商売のためには、本を読みながら帰ったほうがいいのだ。
 家でも学校でも〔自分は変わり者だったらしい〕とアシモフは書いている。



 僕は12~13歳の頃、『週刊少年マガジン』を熱中して読んでいた。『あしたのジョー』の矢吹丈がカーロス・リベラやホセ・メンドーサと闘っていたころの『マガジン』である。
 この中に『男おいどん』があった。これが松本零士の出世作である。「タテかヨコかわからない(ほどの分厚い)ビフテキ」を食べるシーンが妙に印象深く残っている。(今はビフテキと言わずステーキと言うが。)
 『男おいどん』が終了して、そのしばらく後に、特別版読みきりとしてこの漫画は登場し、主人公大山昇太のアパート上空に巨大宇宙船が現われたりして驚いたものである。零士氏が、四畳半サルマタケ世界から宇宙へ飛び出た瞬間である。(『宇宙戦艦ヤマト』より少し前だったのではないかと思うが、定かではない。)
 14歳の僕はといえば、そろそろ漫画を読むのに飽きはじめていた頃だった。

  
    吾妻ひでお『不条理日記』から
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする